5. 令嬢の誓い

「まあぁ……素敵ですわ。エセルさまはそれだけ深く、アレクシスのことを想っておいでなのですね」


 ブランカ=ネージュはとろけそうに甘い声でそう言って、両の手のひらを閉じ合わせてみせた。

 一方、レディローズは静かな表情で黙ってティーカップを傾けている。その頭の中では何を考えているにしろ、外見からはいかなる変化もうかがえなかった。


「そんな感動的な話じゃないよ。ただたんに、わたしという疫病神とは縁を切って、幸せになってもらいたいだけ」


 子供の頃、思うままに口にした「ずっと一緒にいて」という願いを、アレクは彼らしい優しさと誠実さから守り続けてくれた。

 だがそのために彼が不幸になる必要はどこにもない。

 エセルはアレクのことが好きだからこそ、自分のせいで彼が不幸になることは許せなかった。たとえアレク本人に「このままでいいんだよ」と言われたとしても、エセルが平静でいられない。


「アレクはすごく良い人だよ。優しくて、慈悲深くて。子供の頃の口約束を律儀に守って、こんな呪われた女とも婚約してくれるような人だ」

 エセルは、かつて投げつけられた言葉を思い出しながら、言った。

『――あなたのせいで、アレクシスは人生を台無しにされてしまったのよ!』

 まったくその通りだ。エセルはアレクシスの善良さに甘えて、彼がどんな立場に置かれているかなんて考えもしなかった。

 だから、もう、そんなことはしない。エセルは自分で考え、自分で行動を起こした。過去の自分がどれだけ愚かだったかを理解したから。


「優しいアレクは絶対、わたしのことを見捨てられない。こんな沈みかかった船みたいなわたしをね。――だから、わたしの方から、彼を解放してあげないとならないんだ」

 言い終えて、エセルはちらと二人の反応を伺った。

 虫の良いことを言っている、自分勝手すぎる、くらいのことは言われるかもしれないと予想していた。実際、その通りなのだ。エセルのしようとしていることは、さんざんアレクを振り回した後にぽいと放り出すに等しい。あまりに無責任で、あまりに自己中心的と非難されても否定できない。


 だが、二人の悪役令嬢は、エセルが話し始めた時と同様にしずかな品良い笑みを浮かべているだけだった。

 安堵のあまり、エセルは息をつきそうになった。彼女たちが内心でどう思っていようと、表面だってはエセルを非難しようとしていない――その事実だけでだいぶ精神的に楽になる。

 非難されることには慣れているエセルだけれど、慣れていても平気というわけではないのだから。


「――興味深いお話でしたわ、エセル」

「それはどうも、レディローズ」

「あなたの意志は固まっているようね。婚約破棄へ漕ぎつけるためには何でもしてみせる――たとえ悪役令嬢と呼ばれることもいとわない、と」

 エセルはうなずいた。すると、ブランカ=ネージュがぺちぺちとかわいらしい拍手をくれる。

「それこそが悪役令嬢となるための、唯一の資格ですわ、エセルさま。わたくし嬉しいわ、また新しいお友達ができるなんて。ねえレディローズ」

「ブランカ、わたくしたちはお友達ごっこをしているわけではなくってよ」

 ほんのわずかに苦笑をのぞかせてながら、レディローズはエセルに向き直ると言った。

「実際、わたくしたちは同じ悪役令嬢を名乗るけれど、仲良くしなければならないわけではないわ。手を取り合わなければいけないわけでもなく、時には対立することさえある。

 それでも、これだけは覚えていてね、エセル――わたくしたち悪役令嬢は、けしてあなたの夢を否定することだけはしないわ。なぜならわたくしたちは皆、周囲から認められない夢を抱いて、その夢のためならば“悪”と呼ばれようと構わないと、そう誓った者たちなのだから」


 エセルは小さくうなずいた。今まで不思議に思っていたことが、ようやく腑に落ちた。

 どうしてレディローズやブランカ=ネージュたちが悪役令嬢などと呼ばれているのだろうと思っていた。公爵家や伯爵家の出で、裕福で歴史ある名門貴族、望めば王妃にさえなれるほどの出自で何一つ不自由なく育てられたような彼女たちが、どうして“悪役”令嬢などという、一見不名誉にも思える称号を持っているのか。

 その答えを、たった今、レディローズ自身が口にした。周囲から認められない夢を抱いて、その夢のためなら“悪”と呼ばれることさえいとわないと誓ったと――エセルはレディローズを見て、次いで、ブランカ=ネージュを見た。

「きみたちも、誰にも言えない夢を抱えているの?」

 エセルの問いに対して、二人の悪役令嬢はそれぞれ彼女なりの方法でくちびるの端をつりあげてみせた。


「誰もがありえないと笑うような、荒唐無稽でだいそれた夢よ」

 と、花ひらくようにあでやかに、レディローズが。

「誰かに言う必要なんてない夢よ。だってわたくしだけが理解していればよいのですもの」

 と、花ほころぶように可憐に、ブランカ=ネージュが。


 おのれの夢を語る少女たちの誇り高い美しさに、エセルは感嘆の吐息をこぼした。

 そして自分も、彼女たちのように生きることができるだろうかと、思った。

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