4. 悪役令嬢たちのお茶会

 アーガイル公爵家は名門貴族であり、国内有数の富豪でもある。それだけに、公爵家の屋敷はとんでもなく、広い。大きい。

 単なる家の格式だけならばエセルも負けてはいなかったし、屋敷の規模もそう引けを取るものではなかったが、抱えている使用人の数が段違いなのだろう。エセルの住む屋敷と比べて、公爵家の屋敷は見るからに手入れの行き届いた様子だった。

 じっくり見ると悲しくなりそうだったので、案内される間もなるべく意識しないようにした。

 幸い、たいした距離を移動することもなく、部屋に通される。


 一歩室内に足を踏み入れて、エセルは硬直した。

 その部屋があまりに豪勢だったから――ではない。

 室内に、この家の令嬢以外にもう一人、貴族の令嬢の姿があったからだ。

(そんなこと、聞いていないんだけど)

 レディローズ以外の人と会うつもりなどなかったから、どうすればいいのかわからない。


 もとよりエセルは自称の通り引きこもりで同年代の貴族に顔見知りがほとんどいない。というか、アレクとレディローズ以外に話したことのある貴族の子女など片手の指で数えきれるほどしか、いない。

 それに、王都の貴族ならば例外なくエセルの抱える”問題”のことを知っているから……興味本位の眼差しを向けられることが嫌で、エセルは知らない人間との交流はすべて避けてきた。だからこうして、予期せぬ人物と引き合わされて、動揺せずにはいられなかった。


「よく来てくれたわね、エセル。――そう驚いた顔をしないで。大丈夫、この子もお仲間よ」

「……仲間?」

「紹介するわ。ハーミッド伯爵令嬢ブランカ=ネージュ。彼女もあなたと同じ、悪役令嬢なの」

「はあ」

「ブランカ、こちらがグランヴィル大公女エルセリア。話した通りの新顔さんよ」

「よろしくね、エルセリアさま」


 ブランカ=ネージュはどこか浮世離れした雰囲気の、妖精のように華奢で可憐な美少女だった。やわらかそうに波打つ銀の髪に水色の瞳で、ちょっとしたことで傷つけてしまいそうな儚い雰囲気を漂わせている。

 その外見を裏切らないふわふわしたやわらかい声で挨拶されると、無愛想な対応などとてもではないが、できそうにない。


「さて、エセル、あなたも座ってちょうだい。さっそく作戦会議を始めましょう」

「ちょっと、待ってよ。レディローズ。わたし、この人にまで話を聞かせるなんて……」


 本来ならば、この場にはエセルとレディローズしかいないはずだった。

 この国の社交界にも影響を持ち、あらゆる情報を手に入れているレディローズに相談するつもりでここへ来たのだ。

 すなわち、どうすればアレクが婚約解消にうなずいてくるかどうか。


 それなのに、とエセルはブランカ=ネージュを見る。

 一体どんな成り行きでこの少女が飛び入り参加をしたのかは不明だけれど、同じ悪役令嬢とはいえ初対面のよく知りもしない相手に、ぺらぺらと家の内情まで話すつもりはなかった。

 まして、一度整った婚約を破談に持ち込もうという、貴族社会の常識からいえば信じられないようなことを企んでいるのだ。

 信用できるかも分からない相手に、そんな重大な秘密を話すわけがない。

 ところが。


「あら、安心してね、エセルさま。わたくし、あなたの事情のことは、よぉく知っているわ」


 可愛らしく頰に手を当てて、ブランカ=ネージュはそう言った。

 よく知っている? 何を、とたずねようとしたエセルは、続けられた台詞に言葉を失った。


「アレクシスとの婚約解消を、陛下に申し出たのですってね。陛下も、その場で拒絶ならなかったということは、いろいろとお考えになっているのでしょう」

「どうして……それを……」


 一瞬、レディローズがエセルに無断で話したのかと思い、彼女の方を見た。

 けれど違った。


「わたくし、アレクシスとは従兄妹になるのよ。お母様同士が姉妹だったの。家同士の付き合いも昔からあるわ」

「そう、なんだ」

「今朝、アレクシスが泣きついて来たのよ」


 冗談めかした口調でブランカ=ネージュが言う。


「エセル様が婚約解消を望んでいる、どうすればいいだろうって。同じ悪役令嬢なのだから、何か調べられないかと言われたの。それで、今日、ここへ来たのよ」

「は…………。それじゃあ、ブランカ=ネージュ、あなたはわたしを説得するためにここに?」

「まさか。わたくし、面倒ごとは嫌いよ。でも、どうしてもとお願いされてしまったし、アレクシスが可哀想だから、断れなくて。だからあなたにお会いして、お話を聞くことくらいはしてあげようと思ったの」


 妖精のような少女の口から飛び出した身も蓋もない話にエセルはびっくりした。宮廷人は、こんなに開けっぴろげに本心を語ったりしないものだ。どうやらこの伯爵家の令嬢も、悪役令嬢をやっているくらいであるし、かなりの変わり者らしい。

 困惑しているエセルに、苦笑しながらレディローズが語りかけた。


「この子の口の固さはわたくしが保証するわ。それに、興味のないことへの無関心さもね。ブランカ=ネージュがアレクシス殿下へ、あなたの計画を漏らすことはありえないわ」

「ええ。わたくし、自慢できることではありませんけれど、他人には一切興味がありませんの」


 そのふわふわした声と不釣り合いな取りつく島のない口調に、あ、あんまり関わっちゃいけないやつだとエセルは察して「そうなんですね」とごまかした。興味がないなら放っておいてよ、なんて冗談でも言えそうな雰囲気ではない。

 幸い、レディローズが助け舟を出してくれたので話題が切り替わる。


「さあ、エセル、こちらへ来てお掛けなさい。――まずはお茶にいたしましょう。それから、ゆっくりお話を聞かせてちょうだい」

「ありがとう」


 エセルが椅子に腰掛けるのを見届けた後、レディローズは慣れた手つきで陶器のティーポットを持ち上げると、美しい色をしたお茶をカップへと注いだ。

 おいしいお茶を淹れて客人をもてなすことは貴族の女性のたしなみの一つだ。基本的に身の回りのことは使用人まかせにするのが貴族の習慣だけれど、どれほど身分の高い女性でも、こればかりは使用人まかせにはしない。

 香茶で満たされた白い陶器のカップを受け取り、たちのぼる芳香に、エセルは息をつく。香茶はその名の通り、香り高い茶葉を何種類も配合してつくられるお茶だ。貴族の家ごとに独自のブレンドレシピがあり、代々一族の者だけに伝えられることも珍しくない。レディローズにお茶を振る舞われたことは何度かあるけれど、相も変わらず見事な腕前だ。これならば王妃様にだってお茶を献上できるだろう。


 薄いカップの縁に口をつけ、お茶の香りと味を舌のうえで転がしながら、エセルはさりげなく目の前の令嬢ふたりに視線をやる。

 レディローズがああ言っていた通り、なんとなく、ブランカ=ネージュには計画のことを話しても大丈夫な気がする。信用できるというわけではないけれど、この無関心さなら問題ないだろうと思えた。

 彼女は欠片もエセルへ好奇の眼差しを向けてこない。宮廷人ならば誰もが知っている悪名高きエセルを前にしても、だ。


「――ふたりとも、貴族だから知っているだろうけれど、わたしは国王陛下に疎まれている。父の子ではないと疑いをかけられたせいでね」


 エセルがゆっくり口を開くと、二対の穏やかな、ほとんど感情のない視線が向けられる。

 ふたりの令嬢はただ微笑んで、エセルを見つめている。下世話な好奇心をのぞかせることもなく、かといって嫌悪に眉をひそめることもなく、ただ微笑んでいるだけ。そのことに、ほんの少しだけ、エセルは勇気を得る。


「事実がどうなのかはわからない。母はもう死んでしまったから、わたしの父親が誰なのかを確かめることはできない。とにかく、陛下はわたしを宮廷から遠ざけて、一度も会おうとはしてくださらなかった。――まあ、それはいいんだ。物心ついた時から宮廷からは無視されていたし、わたし自身、社交的な性格とは言い難いから。陛下の御疑いは一生解けないだろうし、ずっと王都の片隅に引きこもったまま暮らすのも、悪くないと思っていたんだ」


 強がりではなく、それは本心だ。エセルは、年頃の令嬢が夢見るような賞賛や名誉、きらびやかな宮廷生活といったものに関心はなかった。

 ただ、大好きな幼馴染がたびたび通って来てくれるだけでうれしかったし、満足だった。この広い世界で一人だけ、エセルのことを大事に思ってくれる人がいる――その事実さえあればエセルは幸せだった。それ以上のものは望んでいなかった。

 だがその小さな幸福も、永遠には続かなかった。


「三年前、ある親切なご婦人が、わたしに長い手紙をくれたんだ。その時に初めて、わたしは、自分の立場が思っていたよりも悪いことを知ったんだ。そして、わたしと婚約しているせいで、アレク――婚約者もまた、陛下から冷遇されていることを知った。

 最初は嘘だと思った。冗談だと思ったよ。だってアレクは王子なんだ、陛下がどれほどわたしを疎んじているからといっても、アレクまで巻き添えをくうなんて有り得ないと思っていた。――でも、それは事実だった。他の兄弟たちは公爵に叙されて、領地を与えられて、世継ぎ候補として大勢の人間に囲まれて宮廷で暮らしているのに、アレクはそういうものを何一つ持っていなくて」


 ショックを受けたエセルは、アレクを呼び出し、問い詰めた。陛下がきみにだけ声をかけないというのは本当なの? 去年の誕生日の祝賀会に呼ばれなかったというのも本当なの?

 アレクは平然と、何でもないことのように言った。

『そうだよ。でも、べつに大したことじゃない。陛下が僕をお気に召さないのはどうしようもないことだし』


 そんなはずがなかった。”大したことじゃない”だなんて、絶対にありえなかった。

 国王から冷遇され、宮廷から遠ざけられるということが何を意味するのか、他ならぬエセルだからこそよく理解している。

 生きながらにして死人か罪人のように扱われ、存在しない者のように無視されるのだ。国王の不興を買った人間にわざわざ近付こうとする貴族など存在しない。

 自分がそのような仕打ちを受けるのは構わない。慣れているし、正当な理由あってのことだからだ。

 でも、アレクは違う。彼はただエセルと婚約をしているというだけなのだ。それだけで、他の兄弟に与えられているものが、彼にだけは与えられないなんて。


「彼は優しい人だから、これくらい大したことじゃないって言ってくれるんだ。でも、わたしには耐えられない。あんなに優しい人が、子供の頃から優秀で、誰にでも好かれるような人が、わたしなんかのせいでそんな境遇に堕とされているなんて。わたしのせいで、不幸にしてしまったなんて。

 ――だから、わたしは彼との婚約を破談にしたい。そうすれば、わたしさえいなくなれば、すべてが解決するんだ。アレクは本来の、彼の身分と能力にふさわしい待遇を手に入れられる。爵位も、領地も、未来への期待も。新しい、美人でなんの欠点もない婚約者を見つけて、幸せになれる」


 エセルは笑った。心から。


「そのために、わたしは悪役令嬢になったんだ。アレクがわたしに愛想を尽くしてくれるように。そして、婚約破棄を承諾してくれるように」

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