第12話 あーん



「あーん」



 結野さんがお箸で卵焼きを持ち、こちらに差し出してくる。


「結野さん。ちょ、ちょっと」


 待ってと言おうとして、しかし遮られる。


「早く食べてちょうだい。お母様が帰ってきてしまうわ」


「京介くん! 私のも食べてください!」


 反対側から、上村さんの声がする。


 結野さんの方を向いているから見えてはいないが、彼女も料理をお箸で持っているのだろう。


「さあ」

「さあ」



「わかった。食べる。食べるから」


 俺は結野さんの卵焼きを食べ、逆を向いて上村さんの卵焼きを食べる。


 あーんという恋人同士のイチャイチャにしてはムードもへったくれもない作業じみた行動だ。

 しかしいつ母が焦れてリビングに戻ってくるのかわからない以上、ここはすぐに作業的にするしかない。


 それに片方のを食べている間はもう片方が不機嫌になるだろうし。


 さっきも、結野さんの卵焼きを食べている間は上村さんが少しムッとしていた。


 他の人の行為を見て不機嫌になるなら3人の時にやらないで欲しい。


 こういうのは二人っきりのときにやってくれよ。

 それならいくらでもやるからさ。



「佐々木君。次は私のお魚を」

「いいえ私のお野菜を」



「ええと、自分のがあるから。これ以上は遠慮するよ」


 俺は一口に切った焼き魚を差し出して来る結野さんと、野菜を差し出す上村さんの主張をやんわりと拒否する。


「それもそうね。無理強いはやめるわ」

「食べすぎもよくありませんからね」


 俺の言葉で彼女たちが料理を食べさせようとすることは止まった。

 がしかし、彼女たちはそれだけでは止まらなかった。。



「もういらないのなら、次は私にあーんをしてちょうだい」


「あ、ずるい。私にもしてください」



 今度は2人して口を大きく開き、俺にあーんをせがんでくる。



「「あーん」」



 迫る2人。


 これは……やるしかないか。


 さっきは、結野さんの方から食べたから、次は上村さんの方からにする。


 俺はお魚の一部をお箸で切り、上村さんの口に持っていく。


 パク。

 上村さんはお魚を食べ、雌伏の表情を浮かべた。


「このお魚美味しいです。もっと下さい……」

 

「佐々木君。次は私よ? 忘れないで欲しいわ」


 次をとせがむ上村さんを睨みつけ、結野さんが主張する。


「ふふん。先にあーんをしてもらったのは私です」


「……だからなに?」


「いいえ。なんでもないですよ? ただ、貴方より私の方を優先してもらったという事実を言っているだけです」


「――!」


 ギリ、と歯を食いしばる音が横から聞こえてきた。

 もちろん発生源は結野さん。


 結野さん。イラついているな……。



「佐々木君。早く私にも食べさせてちょうだい」


 再度あーん、と結野さんは口を広げる。


「わかってるよ。ええと……」


 俺はおかずを端でつかむ。


 しかし、


「あら、お箸でするの?」


 と結野さんに止められた。


「そのお箸はそれはさっき上村さんに食べさせたじゃない。私は貴方と間接キスをするのは構わないけれど、上村さんとするのは遠慮するわ」


「ああ、じゃあ別のお箸をもってくるよ」


「いいえ。その必要はないわよ」


 結野さんが顔を近づける。


「口移しをして」


「は、はぁ――!」


 その言葉を聞き、上村さんが立ち上がって抗議を始めた。


「ずるいですずるいです。ダメですそんなの」


「ダメじゃないわ。恋人だもの。それくらいは構わないでしょ?」


「私はお箸だったのに!」


「なら貴方も口移しをせがめばよかったじゃない。それを思いつかなかった貴方が悪いのよ」


「うう、いいもん。後で私も京介くんにやってもらうから」


「私の後の口移しだけどね」


「ーー!」


 今度は上村さんの方からギリ、聴こえてくる。


 こちらからは顔は見えないが、怒っているのだろうな。


「それで、何を口移しで食べさせてくれるの? 私としてはそのお味噌汁をーー」


「ふ、ふん! 先に間接キスしたのは私ですから! 京介くんの初めては私ですから!」


「え、いや、先を言うなら、青山さんとはキスはしたけど」


「……」

「……」



 俺の言葉を聞き、騒がしかった2人が黙り込んだ。


 あれ、これなんか地雷的なものを踏んでしまった?


「ちなみにそれはいつ?」


「今日。デートの時」


「い、いちかいですよね?」


「3回したかな」


 俺の言葉を聞き、2人の纏う気配が一気に暗くなる。


 上村さんのみならず、結野さんも目のハイライトが消える。


「そう、そうだったの。キスを。3回も」

「京介くんったら、私に隠れてそんなことしてたんですね」

「青山さん。思っていたより行動派じゃないの」

「この抜け駆けの代償は、京介くんに払ってもらいますよ……」


「おい、待ってくれ。2人ともちょっとおかしいぞ」



 俺が青山さんとキスをしたのがそんなにショックだったのだろうか。

 それとも1番にキスを奪われたと思っているのか?


 まあ初めては青山さんでもないんだが。



「口移しなんて生ぬるかったのかしらね」

「間接キスじゃなくて、直接キスをしてもらいますよ。何度も」


「おい待て落ち着け。ていうかこの家にはまだ母もいるんだぞ?」


 ていうか我が母は何をしているんだ?


 こんだけ騒いでいるんだから、何かしか様子を見にきてもいいだろうに。


 まさか本当に最後まで何もせず見守っているつもりか?


「あら。もう食べ終わったの?」


 頃合いを見計らったかのごとく、リビングに母が帰ってきた。


 流石に騒がしくて、不審に思ったのだろうか。 

 まあ何でもいい。


 戻った母は食事もせず立っている上村さんたちを見て、食事が終わったと勘違いしたみたいだ。


 正直助かった。

 ありがとう!


「いやそれがまだなんだ。だから早く食べよう。2人も座って、ね!」


「は、はい」

「行儀が悪かったわね」


 母が介入してきて気がそがれたのか、彼女たちは素直に従ってくれた。


 そして母も合流して、夕食を食べた。







「それじゃあ佐々木君。部屋に行きたいから、案内してくれる?」


「いや、さすがにもう帰ってくれ……」


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