第8話 そのまんまじゃないですかー。

 あちらの何かの授業で習ったのか、それとも雑誌かなんかで見たのかは忘れたが、育江が見聞きした水平線の見える距離は、四キロから五キロとあった。身長によっても見える距離が違うはずだ。


 ここは四キロと仮定して、四十回で百六十キロ。マトトマト村まで馬車で日の出から日の入り。おおよそ百キロはないくらいとして、中距離転移はその倍くらいと考えていいだろう。


(あー、あたまがこんがらがってきたわ。どっちにしても『それくらい』なんでしょ。単純計算しても、今日中に王都へ着くことってたぶんないんだわぁ……)


 システムメニューの時間を見ると、午後三時になったところ。育江が考えただけでも、三十一時間かかると思ったところだ。


 二時間経過しているから、それでも余裕を見て三十時間かかるかどうか。寝ないで丸一日かけても足りないことがわかってしまう。


 育江のやっていることは、もはやスキル上げではなくただの作業。夜通しする必要はどこにもない。日暮れまで何周か続けて、宿へ戻ると同時にシルダが目を覚ます。


「ぐあっ」


 まだリュックに入って背中にいるが、間違いなく『はら減った』なのだろう。


「はいはい。ご飯にしよっか?」

「ぐあっ」


 検証作業という名の、王都への移動を始めて二日目の朝。


 育江は、毎朝欠かさずにしている、マナ回復促進ドリンク、食後のとまじゅーを飲み終えたところだった。シルダは朝ご飯を終えると、普通なら寝転がってへそ天するところだが、椅子からのそのそと降りると、育江の足下にしゃがんでじっと見ている。


「あ、そういうこと。ちょっと待ってね。先にギルド行って話してこなきゃだからさ」

「ぐあぁ」


 そうだっけ、のように力なく声を出すシルダ。


 二人で一度、ギルドの受付へ行く。そこでいつものようにカナリアと顔を合わせる。


「おはよう、イクエちゃん」

「はい、おはようございます。あの」

「どうしたの?」

「しばらくは例の『お願い』大丈夫ですよね?」

「そうね。えっと……」


 カナリアは書類のような者に目を通す。


「えぇ。四、五日なら大丈夫みたいだわ」

「それでも四、五日なんですね……」


 育江の嫌そうな顔。その可を見上げてシルダが育江の後に隠れて『ぐあぁ』と声を漏らす。


「た、たいしたことはないと思うの。定期的にやってる浄化施設の方だから。この町はね、それなりにほら、人が住んでるから」

「わかりました、一応、頭に入れておきます」

「ありがとう。お姉さん、助かるわ」


 カナリアとカウンターで分かれて、一度宿屋へ戻ってくる。


 育江はシルダがすっぽり入るリュックを出して、自分の足下へ置く。シルダは、まるでズボンでも穿くように、リュックを腰まですっぽり。そのまま肩口まで持ち上げると、顔を出して育江を見ている。


「ぐあ」


 そう一言言ったかと思うと、目を閉じてしまった。


「シルダ、あんた、寝る気満々なのね」

「ぐあ」


 シルダは一度目を開けて、また閉じてしまう。


「はいはい、……よっと」


 正直言うと、一昨日より重たいと感じなくなった。その理由は、昨日一日で、ほんの少しだけ筋力が上がっていたから。こうしてシルダを背負っているだけで、地味に『筋力』のスキル上げになっているからだろう。


「えっとまずは、……うん。『中距離転移ショートゲート』」


 育江の前に『門』が開く。そこには、昨日の川が見える。『門』をくぐって、あっという間に橋のかかった河原へ来た。


「よしっと。次はんっと。『中距離転移』」


 『門』の先には、街道が見えて、その場所に何の変哲もない林。ただ、目印になるのが、、なぜそこにあるのかわからない、一メートル五十センチほどの幅、高さ二十センチほどの岩。少し砂を落とせば、ベンチに使えるかもと思えるものだった。


 背中に背負っているシルダは、気持ちよさそうに寝息を立てていた。例え寝ていたとしても、背中にいるわかるだけでも、寂しいという感じがしない。


「さてと昨日の続きだねー」


 もはや儀式と化したルーティーンの一つ。『パルズマナ』で魔力回復を促しておく。

 目視範囲ギリギリに視点を動かし、『目視自身転移ムーブセルフ』を使って移動をしていく。


 ――二十七回、二十八回、二十九回。ここまでに、街道筋にある宿場町は見えない。思ったよりも少ないものだと、育江は思っただろう。


 繰り返すこと次で三十回。ここあたりからはなるべく、目印になるものを探しながらの移動になる。三十回目、三十一回目、三十二回目と、景色に変化はなし。三十三回、三十四回、三十五回。依然、景色に変化なし。


「町とか村なんてさ、そうそうあるものじゃないんだろうねー」


 背中のシルダは相変わらずの二度寝中。


(寝る子は育つって言うけど、ほんとに育ってるのよね)


 最近徐々に重たくなっている。体高も少し大きくなっている感じもする。

 本当なら『ペットケージ』の『門』を出して、放り込むのも可能だが、シルダを背負っているだけで、筋力が上がったことも理由の一つ。けれど実は、一人だと寂しいからというのもあるだろう。


 カナリアの話では、ジョンダンだけである程度のものが揃ってしまうこともあり、王都から来る交易商人の馬車は、いいところ月に数台。だからこれまでの間は、馬車とすれ違わなかったのは、運が悪いというわけではない。


 『目視自身転移』を再開して、三十六回目、三十七回目、ここでやっと変化があった。


「あ、あれってもしかして」


 少し遠くに馬車らしきものが、街道脇に入っていくのが見えた。話に聞いてた宿場町で間違いない。町中をこっそり覗けそうな、比較的近い場所まで『目視自身転移』で移動する。

 そっと町の中を覗き見ようとすると、さきほどの馬車から人が降りてくるのが見えた。それほど大きくはないが、おそらくはジョンダンへ一番近い宿場町なのだろう。


 システムメニューの時間をみると、まだお昼には早い十一時前。シルダも眠ったままだった。とりあえず、ここの宿場町の特徴をメモしておき、育江は先を急ぐことに決める。


(シルダが起きて、『はら減った』してきたら、ご飯にしよっかな)


 街道沿いに、少し先へ移動する。人気がなくなったあたりで、中距離転移を使って『門』を出す。間違いなく前の地点、大きな岩がある場所が見えたところで確認終了。『門』へ左手を入れてすぐに出し、霧散するのを確認。


 ちらりと筋力の欄を見ると、ほんの少しだけ上がっている。同時に体力を見ると、少し落ちていた。


(そりゃそうだよねー。『ライトスタム』っと。でもシルダが前ほど重く感じないから、少しは影響あるんでしょ)


 これでしばらくの間は、シルダを背負って『重たい』と口を滑らせることもない。同時にシルダがねるようなこともないだろう。内心ほっと胸をなで下ろす育江だった。


 『目視自身転移』を三十五から四十回唱えるまでに、明確な目印を探す。前の目印へ『中距離転移』で戻れることを確認。これを繰り返していると、徐々にだが変化が現れてきた。


 王都へ近づいているのだろうか? 街道沿いに小さな村や町を見かけるようになったおかげで、目標をつけやすくなった。


「ぐあ……」


 シルダが目を覚ましたようだ。


 システムメニューの時間を見ると、夕方の六時近い。育江の服の裾を引っ張れないからか、シルダはリュックの中で身体を揺すりながら意思表示をする。


「ぐあっ、ぐあっ」

「はいはい。『はら減った』なわけね?」

「ぐあっ」


 確か、二つ手前くらいに、少し大きな村なのか町なのか。最初の宿場町の倍はある場所があったのを思い出す。


「あそこでご飯にしよっかな」

「ぐあ?」


 シルダは寝ていたからわからないだろう。育江は『中距離転移』を二度繰り返す。そこには明かりが灯り始めた町があった。転移した場所は、町より少し離れた林の中。


 明確な目標になるものを思い浮かべることが可能であれば、多少のアレンジは効くようだ。こうして、離れた場所にも転移できるというわけだった。


 宿場町と違って、育江が突然徒歩で現れたとして、そこにいる人の数から違和感はそれほど感じないのだろう。育江は宿を探し、部屋を借りることは難しくなかった。


 旅人の多く訪れるここでなら、育江のような見た目は、珍しくはあるがいなくはない。町で生活をしてる人は、違う服装をしているのだが、帽子を深く被っていないだけ。


 雨期が終わり、暑くなりつつあるのに、外套を羽織るのは少々違和感はある。なるべく前は閉じずに羽織るだけ。何か言われそうになったら『日焼けが怖いので』と誤魔化そうと育江は思っていた。


(あの宿場町だったら、こうはいかないでしょうからねー)


 ▼


 翌日、朝食を終えるとすぐに、シルダはリュックを履いてしまう。


「あのねぇ……」

「ぐあっ」


 背負わせる気満々だった。


 昨日、一昨日と続けてきた、『目視自身転移』の繰り返しと、『中距離転移』の確認作業。育江の予想では、今日中に終わるはず。


 そう思えた理由は移動するたびに、畑や村が、町が確認できるのだから。それでも夕方には、なんとか覚えのある場所。王都へ到着することができた。


「やっとついたねぇ……」

「ぐあ?」

「よし、とりあえず帰ろっか」

「ぐあ?」


 育江は、確実に『迷宮都市ジョンダン』へ帰れるか? これが最後の確認作業だった。これを終えない限り、今回の旅は達成できたわけではないのだから。


 育江が『中距離転移』を繰り返し、やっと『ジョンダン』手前へ到着。システムメニューから時間を見ると、夜七時を過ぎようとしていた。


「ぐあっ、ぐあっ」

「あーはいはい。お腹空いたよねー、……ってあれ?」


 育江は出してあったシステムメニューの横あたり、時空魔法の経験値欄が一桁に戻っているのに気づいた。よく見ると、レベルが五になっていて、呪文の欄も『長距離転移ロングゲート』が新しく表示されていた。


 もちろんいつもの癖で、新しい呪文の効果などが書いてある、説明書きを読んでみた。


「なになに? 『長距離を転移することができる』、って、そのまんまじゃないですかー」

「ぐあ?」


 どっと疲れが出てしまう育江だった。


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