第2話 危機的状況

「カナリアさんすみません」

「はいはい、あらイクエちゃん、ごきげんよう。どうしたのかしら?」

「あの、薬草の買い取りをお願いしたいんです」

「いいですよ。あら? 鞄は?」


 実にもっともな質問。


「あ、ちょっと待ってください」


(んっと、『ぽちっとな』。えっとこれとこれと)


 育江はシステムメニューから倉庫ボタンを押下。インベントリから採取した薬草の枠を選択すると、カウンターの上に手をかざす。

 どさどさと、軽く音を立てながら、山積みになっていく薬草、薬草、また薬草。


「おぉおおおおお」


 美麗な受付嬢然としたカナリアから、らしくない感嘆の声が漏れる。


「あ、ここに出しちゃダメでしたか?」

「い、いいえそうじゃないの。珍しいものを見てしまったのでつい、……ね。イクエちゃん、あなたもしかして『空間魔法』――」


 カナリアは慌てて自分の口を手で覆った。そのままきょろきょろと、辺りを見回した彼女は、育江に手招きをする。どうやらカナリアは掲示板を見ていた探索者が気になったように思える。

 育江は素直にカウンターへ顔を近づけると、カナリアはそっと耳元でささやいてくれる。


『ごめんなさい。うっかりしていたわ』

『いえ、あの、空間魔法って、これのことですか?』


 育江は薬草の一部を出し入れして見せる。


『えぇ』

『カナリアさんの感じだと、大っぴらに見せてはまずいとかあります?』


(あっちでは普通にみんな持ってたけど、こっちでは普通じゃないこともあるとか?)


 育江はそう懸念する。


『確かに、持ってる人は珍しいわ。そうね、十人に一人くらいかしら、……私もその『十人に一人』なんですけどね』

『あ、そうなんですか。もしかしてカナリアさんって』

『えぇ、前は探索者でね、荷運びポーターをしたの。でもね、膝に怪我をしちゃって、それでこっちに転職したというわけ』


 育江にだけこっそり教えてくれたのだが、カナリアは元探索者だった。だからあれだけあっさりと、育江を抱き上げることができたというわけだ。

 彼女の言うとおり、インベントリを持つものの割合が十人に一人だったとするなら、気をつけなければいけないのだろう。


 PWOの世界ですら、見えないハラスメントなどの問題は常にあったはず。もしこの世界がゲームでないとしたら、何かあっても運営が介入してくれない。ひとつ間違えたら、『荷物運び』をするように、『お願いという名の強要』をされてしまう可能性もあり得るだろう。


 育江の本職は調教師テイマー。だからそんな退屈な仕事は御免被りたいと思っただろう。


『あのね、イクエちゃん』

『はい』

『身を守るすべがないうちはね、鞄を持ち歩いて、そこへ手を入れて、出し入れするような偽装をおすすめするわ』

『わかりました』

『何か困ったことがあったらね、私の名前を出してもいいわよ。きっと力になれると思うから』

『はい、ありがとうございます』


 薬草は全部で、銀貨五枚になった。スキル上げをしながらの、採取作業の割には悪くない報酬だ。思ったよりも良かったからか、育江はほくほく顔。だが、帽子を深く被っているおかげで、すれ違う人にはそうは見えてないだろう。


 ▼


 育江がこちらのギルドを訪れてから五日が経った。その間続けていた薬草採取のおかげで懐にも多少の余裕ができた。育江にとってこれまでの採取活動は、スキル上げのついでだったこともあり、それほど疲れるものではなかった。


 インベントリを偽装するために、リサイクル品を扱った店で鞄も手に入れた。ダンジョンで働く荷運びと勘違いされないように、外套の下に隠れる程度の大きさにしておいた。


 宿代を次の十日分を前払いした翌朝、目を覚ますと外は大雨だった。宿屋『トマリ』の受付の女性、メアラに話を聞いたところ、『雨期に入っているから、これからは雨が続くかもしれない』とのことだった。


 帽子を被り、外套を羽織って、なんとか塔へたどり着いたときには、帽子も外套も水が沁みてしまい、大汗をかいたかのような、濡れ鼠ぬれねずみ状態になっていた。もちろん鞄を逆さにすると、水が出てくる始末だ。


 PWOにも雨のエフェクトや演出はあった。だが、ここまで酷い状態が演出だとしたら苦情ものだと思っただろう。だから余計にPWOあちらとは違う、そう思い始めた育江だった。

 思った以上に悲惨な状況の育江を見てしまったからか、慌てて走り寄るカナリア。育江の帽子を脱がせて、手に持ったふかふかのタオルで髪を拭ってくれた。


「なにしてるの? ダメでしょうこんなにずぶ濡れになって。身体の調子でも崩したらどうするのよ?」

「あ、でも。仕事しないと、お金が」

「どっちにしても、こんな大雨じゃ無理よ。こんな日はね、林のところにも、魔物が出てくることがあるんですからね?」


(魔物、まもの、……あぁ、モンスター、『モブ』のこと。なるほど、そういう設定――いえ、習性があるのもいるってこと)


 育江が言うモブとは、ムービングオブジェクトの英語略でMobと書き、魔物モンスターのことを言い表している。ときに、ボス以外の敵対する魔物を、まとめて差す場合がある。


 人間と違い、魔物は視覚や聴覚、嗅覚以外で相手を特定する器官を持っている場合もあるという。だから、種族の違いということはあっても、人間に近い育江には、この大雨は障害物以外の、なにものでもないと言えるだろう。


 インベントリの中には、買い置きのとまじゅーもある。串焼きも数本、チーズも、パンもいくらかあるから、部屋に数日もっていたとしても大丈夫なはず。

 良い機会だから、倒れるくらいに魔力を枯渇させて、大幅な魔力総量の増加を目標にしてもいいかもしれない。

 熱中できることがあれば、雨もまた楽しいと思えただろう。そう、このときまでは……。


 ▼


 雨期に入って十日経つが、大雨が一向に止む気配がない。昨日、虎の子だった最後の銀貨を宿屋に納めてしまった。もちろん、夜が明けたら雨が止んでくれていることを祈りつつ眠る。


 今日はとまじゅーとパン一個だけしか食べてない。なぜこんなことを予想して、PWOあちらで『召喚しょうかん魔法』を取っておかなかったのかと、育江は自分自身を呪っていた。


 召喚魔法の低レベル呪文に、スキル上げにしか使われない『ネタ呪文』として存在していた、『サモンウォーター』や『サモンビスケット』という、違う空間から飲み物や食べ物を召喚する魔法があった。もちろん、課金用ネタ呪文として、運営の大好きなとまじゅーを召喚する、『サモンとまじゅー』というのもあったのだが、初期レベルでも召喚魔法が使えないと、インベントリの肥やしにしかならない意味のないものだった。


 お腹が空いて眠れないけれど、寝たらピークが過ぎると想い、無理矢理魔力を枯渇させて、気絶するように眠った――


 目が覚めたときは、雨音がほぼほぼ聞こえなかった。育江はおそるおそる、祈るような気持ちで雨戸を開ける。するとそこからは、細く日が差していた。


「天はあたしを見放さなかったわ……」


 そう冗談を言う余裕は、ほんのわずかだがあった。


 インベントリには、最悪のパターンを考えて、食べずに残してあったパンひとかけら。それを口に放り込んで、こちらも最後の一缶のとまじゅーを開けて、ゆっくり噛みしめるように飲む。とまじゅーの沁みたパンの美味しいこと、美味しいこと。

 飲み慣れたとまじゅーの、実に美味しかったこと。節約しないでいい、そんな想いまでもが隠し味になったのは言うまでもなかった。


 最速で歯を磨き、超最速で着替え、超々最速で鍵を閉めて宿屋『トマリ』を飛び出していく。


(これだけ長い間雨が続いたんだもの。一番乗りで着けたなら、薬草も取り放題のはずよっ)


 欲望ダダ漏れな妄想は、口に出さないようにするだけで精一杯。どれだけ多くても、ギルドでは買い取ってくれる。取れば取っただけ、報酬に変わるのなら頑張れる。


 とにかく、昼までがんばろう。一度ギルドに戻って、買い取ってもらって、何か美味しいものを食べに行こう。育江の頭には、もう、肉料理しか思い浮かばなかった。


 いつもよりほんの十数メートル奥に入り、辺りを見回した。育江の視界には薬草、薬草、薬草。どこを見ても薬草だらけ。こんなところを見落としていただなんて、思えないほどに濃密な空間。


 綺麗に摘んではインベントリへの繰り返し、スキル上げは二の次。それはもう、ただただ夢中で薬草の採取を続けていた。

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