40

 良くない夢を見た。

 悪夢の類ではない。

 しかし、その夢は、決して安易な気持ちで覗き見して良いものではないと、本能が警告を発していた。

 目覚めてからすぐに、机や椅子を蹴り飛ばしたかのような激しい物音が二階から鳴り響いた。

 そして、しばらくすると扉のきしむ音がして、続いて、誰かが階段を慌てて駆け下りてくる音が聞こえてきた。

 ソファから上半身を起こして階段に目を向けると、真っ青な顔をした遊間が、ぎょろりとした目で私を見つめていた。

「見たか?」

 その一言だけで、あの夢のことを言っているのだと瞬時に理解できた。

 私は何も言うことができず、ただこくりと頷いた。

「やられたな。まだ、残党がいたとは」

 遊間はそういうと懐から杖を取り出し、それを私のこめかみに当てて、呪文めいた謎の言葉を発した。

 すると突然、サイレンのようにけたたましい音が頭の中に鳴り響き、同時に頭蓋骨が割れそうになるほどの鋭い頭痛が私を襲った。

「い、痛い……」

「少しの辛抱だ。我慢しろ」

 遊間に片腕で抱きかかえられ、しばらくその痛みに耐えていると、突如、瞼の奥が激しく明滅し始める。

「あ、が……」

「あと少し。あと少しだ……」

 遊間の、私の肩を握る力が一層強くなる。

 彼のいう通り、明滅は徐々に小さくなっていき、それに伴い頭痛も軽くなっていく。

 そして、その明滅が完全におさまると先ほどまでの頭痛は嘘のように消え去っていた。

「もう大丈夫だ」

 遊間の一言に、私は、閉じていた瞼を恐る恐る開いた。

 目の前に、遊間が昨日退治したはずのあの怪物が、不快な羽音を立てながら浮かんでいる。

「シャン!」

 私が大声で叫ぶと、シャンは銀色の羽を大きくばたつかせながら壁に向かって突進し始めた。

「逃げる気か」

 遊間が杖を振ると、杖の先から青白い閃光がシャンに向かって放たれる。

 シャンはそれを巧みに回避する。

「ちっ」

 遊間がすかさず二撃目を放つ。

 しかし、それも間一髪で躱すと、シャンはそのまま壁をすり抜けて、バーの外へと逃げ出してしまった。

「遊間さん、追わないと」

 私が慌てて立ち上がろうとすると、遊間は落ち着き払った様子で私の肩を押さえつけた。

「いや、大丈夫だ。奴には追跡の魔術をかけておいた」

「追跡の魔術?」

 シャンという怪物、それに先ほどの遊間の芸当を見せつけられた後だ。

 今さら魔術という単語が出てきたところで、私は何も驚かない。

 しかし、彼は自分でこうも言っていたはずだ。

 ――この僕が読心術者だって? まさか。オカルト事件専門の探偵を謳っているが、僕自身にそういった超能力は備わっていない。ごく普通の身体を持った、ごく普通の人間。ただの天才さ。

 遊間はそんな私の考えを見抜いてか、からかうように言った。

「言ったろ? 僕に超能力は備わっていない。だけど魔術なら、ほんの少しだけ扱えるのさ」

 しかし、そんな屁理屈をこねられたところで、私に理解できるはずがない。

「超能力も魔術も同じ超常の力じゃないですか。それらの間に何か違いでもあるんですか?」

 遊間はそれを聞いて、確かに、と頷いた。

「そうだな。超能力は生まれつき備わっている先天的な異能による力だとすれば、魔術は師について学ぶことによって扱えるようになる後天的な知識による力だ」

「知識による力。それって、現代の科学技術と何ら変わりないんじゃないですか?」

「ああ。科学的に原理が解明されていないというだけで、誰にでも扱えるひとつの立派な技術だ」

 それなら、彼が超能力と魔術を別の力として区別したことにも頷ける。

「では、遊間さんの弟子になって修行すれば、私にも魔術が使えるようになるんですか?」

「ふん。死ぬほど努力すればな」

 遊間は鼻で笑った。

「まあ、講義はこれくらいにしておいて……」

 そういうと、遊間はポケットからぼろぼろの羊皮紙を取り出し、それをテーブルの上に広げた。

「追跡の魔術は、その名の示す通り、固有の思念を込めた魔力で標的をマーキングし、その魔力の痕跡を辿ることによって対象を追跡する魔術だ」

 遊間は羊皮紙の上を指さして言った。

 羊皮紙を覗き込むと、そこには神落市の地図が描かれており、その上を赤く光る点がちょこまかと動き回っている。

「この赤く光っている点が、シャンの現在の居場所だ。追跡の魔術によって、奴がどこに隠れようと、この地図上にその居場所が表示され続ける」

 赤い点を遊間が指で追っていく。

「いま、きみの家を通り過ぎて……ほう。コンビニも通り過ぎたぞ。この方向には確か……」

 そうしているうちに、やがて点は地図上のとある場所で停止し、ピクリとも動かなくなった。

「なるほど。ここが奴らの潜伏地か」

 遊間はそういうと、羊皮紙をポケットへ乱暴に押し込み、黒のインバネスコートを羽織って、玄関の扉を開いた。

「さあ、残党狩りの時間だ」

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