35
「最後に一つだけ質問してもいいですか?」
「なんだ?」
遊間は気だるげな様子で、体内に残っていた煙をすべて吐き出した。
「今朝、私があの男に襲われたとき、どうしてあんなにタイミング良く助けに入って来られたんですか?」
「ああ、そんなことか」
遊間は脚を組み、頬杖をついた。
「張り込みしていたんだよ。きみのアパートの前で、一晩中」
「一晩中?! どうして、そんなことを」
私のどうして、という言葉に、遊間は若干苛ついた様子で答えた。
「きみの身に危険が迫っていることは明白だったからだ」
「明白だった?」
「ああ、それも簡単な推理だ」
そういうと、遊間は大きくため息を吐いて、組んでいた脚を元に戻した。
「本来ならば、僕がきみを連れて神府町へ赴き、そこで着実に犯人捜しをする計画だったのだが……」
遊間が、私の目を見てその先を促す。
「私が一人で勝手に飛び出してしまった……と」
「ご名答」
遊間は目をぐるりと回した。
「そして、幸か不幸か、きみは犯人の母親に出会ってしまう。それだけのことであれば、さして問題にはならなかったのだが、迂闊にも、きみは彼女に口を滑らせてしまったわけだ。あの裏山でかつて起きた事件について調べている、と」
「あ……」
私は間の抜けた声を上げた。
「犯人の母親ならば、当然その日にあった出来事を息子に伝えるだろう。過去の事件について調べている、怪しい女に出会った、と」
当然、名前や外見的特徴などの個人情報もセットでな、と遊間は付け加えた。
「それで、犯人が私を狙うかもしれないと考えて……」
「ああ。きみの部屋の様子を一晩中見張っていたんだ」
私は一時の感情から、彼を突っぱねてしまったことを恥ずかしく思った。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます」
「まぁ、依頼だからな」
遊間は素っ気ない態度で答えた。
「依頼と言えば……」
遊間の何気ない一言から、私は重要なことを思い出す。
「今回の件、依頼料と報酬はいくらぐらいお支払いすれば……」
相談後に訊ねるつもりが、いきなり手錠をかけられた衝撃や、その後の遊間との非常識なやり取りのせいで、すっかり頭から消えてしまっていたのだ。
「ああ、そういえばまだ説明していなかったな」
遊間も、たった今思い出したかのように手を打った。
「実をいうと私、去年から働いていなくてあまりお金が……」
私が自分の懐事情について説明しようとすると、遊間はそれを遮って思いがけない言葉を返した。
「今回は無料で良いぞ」
「え?」
あまりにも想定からかけ離れたその返答に、一瞬思考が停止してしまう。
そんな呆ける私の様子を見て、遊間は説明を付け加えた。
「報酬なら警察から受け取っている。だから無料でいい」
「警察から受け取っているって、どういうことですか?」
それでもまだ遊間の言っていることが理解できず、私はさらに聞き返す。
遊間はやれやれと肩をすくめて、椅子の上で姿勢を正した。
「僕は探偵業とは別に警察庁のオカルト事件専門コンサルタントをしていてね。今回のように怪異が関わっている刑事事件を解決した場合は、通常の報酬とは別に褒賞金を受け取れる契約になっているんだ」
なるほど。警察ほどの強大な組織が怪異という恐ろしい存在を認識していないはずがない。
私たち一般人の知らないところで、遊間のような怪異事件の専門家を雇用していたとしても不思議ではない。
しかし、警察から褒賞金を受け取ることができるからと言って、依頼主からの依頼料を受け取ってはいけないという決まりはない。
そのことについて訊ねようと私が口を開きかけると、遊間がそれに先手を打つかのように続けた。
「褒賞金の有無についても、最初に三上と電話したときに確認済みだ。見たところ、きみ、お金はあまり持ち合わせていなさそうだったしな」
お金を持ち合わせていなさそう、は余計な一言だったとしても、遊間の心遣いを感じて私はますます申し訳なく思った。
「二人ともお昼ご飯できたわよ! 愛ちゃんも今日は泊まっていくんでしょう?」
突然、階下からマスターの声が響いた。
遊間の方に目を向けると、彼は照れくさそうに顔を背けて言った。
「警察の捜査で暫く自宅には戻れないだろう? バーのソファで寝泊まりできるよう、僕から頼んでおいたのだが……迷惑だったか?」
まさか、あの遊間がそこまで気を利かせてくれるなんて。
「いえ、そんなことないです。ありがとうございます」
私は感激して、素直に感謝の言葉を述べた。
それから、階下のマスターにも聞こえるように大声で返事をした。
「マスター、ありがとうございます! 今、そちらへ向かいます!」
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