32
「さて、どこから話そうか」
事務所へ戻ってお気に入りの場所に座るなり、遊間は早口で話し始めた。
よほど、自らの推理について語りたかったのだろう。
私が車の返却についてマスターとやりとりをしている間、その周りを彼がそわそわと落ち着きなく歩き回っていたのは、きっとそのせいだ。
「まずは、きみがずっと前世の記憶だと思い込んでいた、謎の記憶の正体を解き明かすところから始めよう」
遊間はそういうと、乱雑に積み上がった本の山から、その山が崩れないよう器用に一冊だけ抜き出して、私に手渡した。
表紙には「前世を語る子供たち」と書かれてある。
図書館で、八木山医師から手渡されたものと同じ本だ。
「さて、前世の記憶を持つと証言する人物の例は世界中で報告されているが、そのほとんどが二歳から四歳の幼児であり……おや、その顔つきだと、この本の存在についてはすでに知っていたようだな」
遊間はつまらなそうな顔をする。
「まぁ、そういうわけで、その記憶がここ一年の間によみがえったものだと聞いて、それが世界中で報告されている前世の記憶とは異なるものだということが僕には推測できた」
出鼻をくじかれてやる気を失ってしまったのか、遊間は前世の記憶についての説明を早々に切り上げると、私から本を取り上げて、それを本の山に適当に投げ捨ててしまった。
「そこで重要になってくるのが、夢で見た内容が正夢になったというきみの証言だ。この証言から、二つの可能性が浮上した」
遊間はそういうと、右手で数字の二を作ってみせた。
「一つ目はきみの勘違い。たとえば、脳の不調や不具合による思い違いなどだ」
これもまた、八木山医師の診断と同じ推論だ。
しかし、遊間はその仮説をあっさりと否定する。
「だが、その可能性はすぐに潰えた。なぜなら、最初に正夢化した事件について、きみは一般人では知りえない情報まで詳細に語っていたからだ」
遊間はそういうと、胸ポケットから携帯を取り出して、発信履歴を表示して見せた。
「正夢になった悪夢についてきみから話を聞いた僕は、まず事実を確認するために、知人の警察官に電話をかけた。……ああ、知人の警察官というのは、あの三上のことだ」
私が悪夢について遊間に相談した直後、彼は何も言わずに部屋の奥へと消え去ってしまったわけだが、あのとき別室からぶつぶつと漏れ聞こえてきた声は、どうやら彼の独り言ではなかったらしい。
「その通話から得られた情報によって、きみの見た夢の内容がでたらめではないことがすぐに証明された」
たとえば、と遊間は続ける。
「被害者の口元からガムテープの付着跡が検出されたこと。被害者の手足には麻縄のようなもので縛られた痕が残されていたこと。被害者の死因が首を絞められたことによる窒息死であったこと。これらはすべて、事件に関わりのない一般人には知りえない情報だ」
遊間はそこまで話すと一息ついて、目の前のフラスコを火にかけ始めた。
「そうすると、残るは二つ目の可能性、すなわち記憶障害を引き起こす類の怪異だが……今回は恐らく、人の記憶を他人に植え付けるタイプの怪異が原因だろうと僕は考えた」
「か、怪異……?!」
およそ日常生活では聞くことのない言葉に、私は思わずオウム返しをしていた。
「ああ。そして、人の記憶を他人に植え付けるタイプの怪異は、僕の知る限り数種類いるのだが……」
私の素っ頓狂な悲鳴など意に介さず、遊間は淡々と語り続ける。
「あの、ちょっと待ってください!」
「人が気持ちよく話しているときになんだ」
遊間は露骨に不機嫌そうな顔をした。
「怪異って……何ですか?」
「ああ、そんなことか」
遊間は騒ぎ立てるほどのことでもないといった様子で、淡々とその疑問に答えた。
「先刻、きみも目撃しただろう? あの昆虫に似た怪物を」
遊間にそう指摘され、先ほど私たちを襲ってきたあの気味の悪い生き物の姿が脳裏に浮かぶ。
「あれが、怪異……」
「そうだ。あの生き物のように、人の世の
にわかには信じられない話だ。しかし、すでに私はその姿を目撃してしまっている。
昔の私であれば、あのような怪物の存在を認めることは決してなかっただろう。
しかし、あの身の毛もよだつような異形を目の当たりにしてしまった今、怪異と呼ばれるオカルト的現象の実在を認めないわけにはいかなかった。
「そこでだ。怪異の正体を探るにあたって重要な手がかりとなるのが、いつ記憶の移植がおこなわれたか、だ」
遊間はフラスコの中身が煮立っているのを確認すると、その蓋に吸引用のストローを突き刺した。
「きみが決まって悪夢を見る時間帯はいつだったかな? そう、夜だ」
フラスコの中身をストローでぐるぐるとかき混ぜながら、遊間は一人で話を進めていく。
「人の記憶を他人に移植することができる夜行性の生物。僕の知る限り、そのような特徴を持つ生物は、あの怪異以外に存在しない」
遊間はフラスコをかき混ぜる手を止めると、人差し指を突き立ててこう言い放った。
「シャッガイの昆虫……通称、シャンだ」
ぐつぐつと音を立てながら、蒸気がストローを通って勢いよく吹き上がる。
遊間はそれを一息吸い込むと、恍惚とした表情を浮かべた。
「とまぁ、きみから話を聞いて、警察からの裏取りも終えた時点で、すでにその怪異の正体には見当がついていたわけだが……」
遊間の吐く息から、アルコールの強い匂いが漂ってくる。
「問題は、その記憶の本来の持ち主が誰なのか、ということだった。その記憶の主の正体を突き止めることが出来なければ、また殺人事件が起こることは明白だった」
遊間は再びストローから蒸気をひとくち肺に取り込むと、それを天井に向かって吐き出した。
「ちょっと待ってください。怪異の正体が掴めていて、記憶の主が殺人事件の犯人ということまで分かっていたんですよね」
そうだな、と遊間は涼し気な声で答えた。
「そこまで分かっていながら、どうして私に手錠なんかかけたんですか」
「ああ、それはだな……」
先ほどまで流暢に話していた遊間が、珍しく言い淀む。
「それは?」
私がその先を促すと、遊間は急に真剣な顔をして、私の方へ向き直った。
「……きみがシャンに人格を書き換えられて、実際に殺人を犯してしまっている可能性があったからだ」
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