第三部
31
「さて。何が何やら分からない、とでも言いたげな顔をしているな」
私の呆け顔を眺めながら、遊間はもったいぶった様子で咳払いをした。
「良いだろう。今こそ、この僕の悪魔的な推理を披露するときだ。ただし……」
「ただし……?」
「まずは、そこに潜んでいる害虫の駆除が先だ」
遊間はそういうと、持っていた杖の端で倒れている男のこめかみをぴしゃりと叩いた。
すると突然、杖で叩かれた男のこめかみが青白く発光し始め、続いて金属音や電子音に似た、嫌な感じのする高音が頭の中に鳴り響いた。
そして、その不快な耳鳴りが数秒ほど続いた後、男のこめかみがぐっと膨れ上がり、中から鳩くらいの大きさをした得体の知れない生物が一匹、姿を現した。
初めは、大きな昆虫だと思った。
しかし、すぐにその認識は間違いであることに気付く。
私の視線は、まず、その生物の頭部へと向かった。
蠅のように大きな目が二つと、その下に縦長の口が三つ。
水平に並んだ三つの口からは、おびただしい数の触手が飛び出ており、それらすべてが固有の意思を持った生物かのように、ぬらぬらと不規則に蠢いている。
続いて、腹部。
腹部からは、かぎ爪の付いた手足が十本伸びており、そのどれもが刃物のように鋭く、迂闊に近づけばその爪で身体を真っ二つにされてしまうことが容易に推測できた。
そして、背部。
扇状に広がる巨大な翅は、油の付着した金属のようにギラギラと虹色の鈍い光沢を放ち、見る者すべてに畏敬にも似た恐怖を与える。
見れば見るほどに嫌悪感が増すその得体のしれない生物は、私の知る生物の、そのどれとも似つかなかった。
その不気味な生物の、赤く大きな瞳が、じっと私を見つめている。
「いいか、きみはそこから一歩も動くな」
遊間は、緊張した面持ちで私に指図した。
同時に、まるでその言葉に呼応するかのように、その気味の悪い生物が、高速で翅をはばたかせ始める。
ふわりと、その生物の身体が宙に浮かぶ。
「あ、遊間さん……」
「いいからじっとしていろ」
その生物は、なおも私を見つめ続ける。
「でも……」
私がその威圧感に耐え切れず、後ずさりをした瞬間、その生物はとてつもない速度で私の顔面めがけて一直線に飛び込んできた。
「ひぃ……」
私は、声にならない悲鳴を上げた。
目を瞑り、咄嗟に両手を顔の前へ持っていく。
「ちぃっ……」
遊間が舌打ちをすると、直後、すさまじい爆発音が室内に響き渡った。
一瞬の間をおいて、ぱらぱらと何かが崩れ落ちる音が聞こえてくる。
私は恐る恐る目を開いた。
空中に、あの生物の姿はない。
あんぐりと口を開けている私を見て、遊間は無言のまま、床の一部を杖で指し示した。
見ると、あの不気味な生物が、原形をとどめないほどバラバラになって床に散らばっている。
「これで、ひとまずは安心だ。少し待っていろ」
遊間はそういうと、コートのポケットから携帯を取り出して、何者かに電話をかけ始めた。
「もしもし……ああ、私だ。例の連続殺人犯を確保した。今から引き取りに来い。非番だ? そんなこと、私には関係ない。場所は……」
遊間の話しぶりから察するに、電話の相手は顔見知りの警察官といったところだろうか?
その間に、私は倒れている犯人の顔を覗き込んだ。
息はしている。どうやら、気絶しているだけのようだ。
改めて、その顔をじっくりと観察する。
やはり、見間違いではない。
確かにそれは、私が足しげく通っている近所のコンビニで働いていた男の顔であった。
ネームプレートには、「
恐らく改名したのだろう。確かに、「喪六紫杏」という人間はこの世からいなくなっていた。
しかし、「
まさか、こんなにも身近なところに殺人犯が潜んでいようとは。
私は、背筋が凍り付くのを感じた。
「ああ、それでは頼む」
そうこうしているうちに、遊間は要件を伝え終えたらしい。
数分後、パトカーのサイレン音とともにスーツを着た男たちが数人、部屋の中に上がりこんできた。
その中から、眼鏡をかけた金髪の男が一人、私を見つけると早足に駆け寄ってきた。
「通報を受けて参りました、神落警察署の
「はい、私が魔門ですが……」
鼻筋の通った、色白の好男子である。
「申し訳ありませんが、現場検証のために数日の間、この部屋を立ち入り禁止とさせてください。その間の宿泊先はこちらで手配いたしますので……」
三上は申し訳なさそうに、両手を顔の前で合わせた。
「それから、この後、何かお急ぎのご予定などございますか? よろしければ、本件についてお話伺いたいのですが……」
「あ、はい。今日はとくに……」
私が承諾の返事をしようとすると、遊間はそれを遮って、代わりに胸ポケットから小さなメモ書きを取り出し、それを彼に手渡して言った。
「その必要はない。捜査に必要な情報はすべてそのメモ書きに記しておいた」
その言葉を受けて、三上はメモ書きの中身を確認し始める。
「それと、彼女の身柄は、しばらくうちで預かる」
そういうと、遊間は無理やり私の手を引いて、玄関口へと歩き出した。
「ほら、助手。さっさと行くぞ。ぼさっとしてないで、きびきび歩け」
遊間の自分勝手な行動に、三上は呆れたようにため息を吐いた。
しかし、いつものことで慣れてしまっているとでもいった様子で、三上は黙って私たちを見送ると、すぐに何事もなかったかのように部屋の中へと戻っていってしまった。
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