29

 不気味な夢を見て、私は目を覚ました。

 いつものように、自分が自分ではない誰かになったかのような、気色の悪い感覚。

 しかし、いつもと違って、誰も死ぬことのない夢。

 珍しい、と私は思った。

 重たい瞼をこすって、枕元の時計を見る。

 まだ、時計は朝の五時を指し示している。

 昨日の疲れが残っているのか、全身が酷く気だるい。

 さすがに、目を覚ますのが早すぎたかもしれない。

 そう思った私は、はだけていた布団を胸元まで無造作にたくし上げて、頭の上にすっぽりと覆いかぶせた。

 瞼を閉じ、再び意識が微睡むのを待つ。

 ……が、なかなか寝付けない。

 なぜだろう。先ほどから、胸騒ぎが止まらない。

 何か見落としている。

 何か猛烈に嫌な予感がする。

 私は、無意識のうちに夢で見た光景を振り返っていた。

 夢に出てきた、あの数字は何だ?

 ――マスターから借りた車のナンバーだ。

 夢に出てきた、あの場所はどこだ?

 ――私の住むアパートだ。

 夢に出てきた、あの女性は誰だ?

 ――私だ。

 そのことに気付いた瞬間、突如、ピンポーン、とインターホンの呼び出し音が鳴った。

 こんな朝早くに、一体だれが……。

 最悪の事態を想像して、一気に血の気が引いていく。

 ――ピンポーン。

 再び、呼び出し音が鳴り響く。

 このままここで息を潜めていたら、留守だと勘違いして引き返してはくれないだろうかと、淡い希望にすがる。

 ――ドンドンドン。

 しかし、その僅かな希望も、次の瞬間には、玄関のドアを乱暴に叩く音にかき消されてしまう。

 ――ドンドンドン、ドンドンドンドン。

 ドアを叩く音はしだいに強くなっていく。

 何とか来訪者の隙を見て、窓から外へ逃げ出すことはできないだろうか。

 そう考え、ベッドから降りようとするも、恐怖で足がすくんでしまい、身動きがとれない。

 ――ドンドンドンドン、ドン。

 そして遂に、ドアは破られてしまう。

 ――バキィッ。

 鈍い破裂音が、玄関から室内に向かって鳴り響く。

 ――カツ……カツ……カツ。

 何者かが廊下を歩く音が聞こえてくる。

 私は体の震えを必死に抑えながら、布団を被り息を潜めた。

「アハハハハ……。どこにいるのかなぁ、お嬢ちゃん」

 ねっとりと、絡みつくような声。

 それは、どこか聞き覚えのある声で。

「ここにいるのは分かってるよ。隠れてないで、出ておいで」

 その声が、段々と大きくなる。

 ぽたり、ぽたりと、額からは冷や汗が滴り落ち、心臓はばくばくと音を立てて脈打っている。

 そのような微かな音ですら、侵入者の耳に届いてしまっているのではないかという不安が、鼓動をより速めていく。

 落ち着きを取り戻すために、私は両手を胸に押し当てて、必死に深呼吸を繰り返した。

 ――ガチャリ。

 とうとう、寝室の扉が開く。

 ――ギシ……ギシ。

 男の足音がしだいにこちらへ近づいてくる。

 やがて、私が隠れる布団の前で足を止めると、男はもぞもぞと布団の表面を撫でまわした。

 男の手の体温が、布団越しに伝わってくる。

 ああ、神よ。どうか、私をお救いください。

 私は、普段は信じてもいない神に対して、必死に祈っていた。

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