27
記憶についての重要な手がかりを得た私は、一度、神落市にある自宅へと戻ることにした。
外へ出ると、すでに日は暮れ始めていた。
私は、喪六さんにお礼を言うと、車をとめてある小学校へと向かった。
小学校の近くにとめておいた車は、幸い、違反切符などを切られることもなく、そのままの場所にあった。
私は携帯を取り出して、マスターに電話をかけた。何か困ったことがあったらかけなさいと、車を借りる際にマスターが教えてくれた番号だ。
三回ほど呼び出し音が鳴った後に、電話が繋がったことを示すぷちりという雑音が鳴り響いた。
私は車を貸してくれたお礼と、今から帰宅する予定であることをマスターに伝えようと、口を開いた。
「あ、もしもし、マスターですか?」
しかし、次の瞬間、電話から返ってきた声はマスターのものではなかった。
「マスターなら今は買い出しで留守にしている。そういうきみは助手か?」
不意を突かれて、私が声を出せずにいると、遊間は私からの返事の有無など気にも留めない様子で、そのまましゃべり続けた。
「まったく、僕の了承も得ず、勝手にどこへ出かけていたんだ」
「……神府町の方に、ちょっと……」
私が言い淀んでいると、彼は大きくため息を吐いた。
「はぁ……きみは馬鹿なのか?」
「馬鹿って、そんな言い方。私にだって……」
遊間の乱暴な言い方に、私も少し熱くなってしまう。
「私にだって、なんだ?」
そうやって、いつも私を馬鹿にして。私にだって、自分の意思や考えがある。
そう言ってやりたいのに、そんなちょっとした文句も口に出せないほど、私は弱い。
「……それで、何か収獲はあったのか?」
そんな私の心など気にも留めず、遊間は私に問いかける。
「……前世における母と思われる人物に会うことができました」
私がそう答えると、それまでの重たい空気などなかったかのように、遊間は声のトーンを高くした。
「そうか、でかしたぞ! それで、その母親の名前は?」
「喪六希咲さん、というそうです」
電話越しに遊間がペンを走らせる音が聞こえてくる。
「喪六希咲、か……それで、彼女とはどんな話をしたんだ」
私は、彼女との会話内容をかいつまんで説明した。
「なるほど……」
そういうと、遊間は何か考え事でもし始めたのか、急に押し黙ってしまった。
長い沈黙が続く。
まるで、電話の先にいる私の存在など忘れているかのように。
「あの、遊間さん……」
沈黙にたまりかねて、私が声をかけると、遊間は気が付いたように声を上げた。
「ああ、きみが勝手に一人で神府町に出かけてしまったことならもういい。調べようと思っていたことも、概ね知ることができたし、きみは早く事務所へ戻ってこい」
その勝手な態度に、私は思わずかっとなってしまった。
「嫌です、と言ったら?」
私は、自分でも驚くほど反抗的な口調で答えていた。
「何を馬鹿なことを言っている。肝心の、その記憶の持ち主はまだ見つかっていないんだぞ」
彼は、呆れたようにため息を吐いた。
「前世の記憶の持ち主なら、もうとっくに死んでますよ」
私は、ぶっきらぼうに答えた。
「なぜ、そう言い切れる」
遊間は詰問した。
「先ほども説明しましたけど、私、喪六さんに訊ねたんです。ここにはおひとりで暮らしているんですか、お子さんとかはいらっしゃらないんですかって……」
「ああ、聞いていたな」
「そしたら、今はもう手の届かない、遠いところへ行ってしまいました、と」
私は、喪六さんの言葉を思い出しながら言った。
「それは、ただ今は会えないところにいるだけで、死んでいるとは限らないだろう」
確かに、彼女は息子が死んだとは、一言も言っていなかった。
しかし、なぜか私には、彼女の息子、喪六紫杏という人物がもうこの世にはいないという謎の確信があった。
――いてはいけない。いないことにしないと、いけないのだ。
「でも、あなたの推理によると、この記憶は実在した人物がかつて有していた本物の記憶なんですよね。私も現地へ行って、この記憶が本物であることを確信しました」
私は必死に反論しようとする。
「ああ、その通りだ」
遊間は相槌を打った。
「ならば、この記憶の主が亡くなっていなければ、私の前世にはなりえないのではないでしょうか?」
「それが、本当に前世の記憶ならな」
遊間は苛立った声を上げた。
「それに、仮に前世の記憶の主が死んでいたとして、実際に人が殺されている予知夢の方はどう説明する?」
そうだ。遊間の言う通り、前世の記憶の主が現在どうなっていようと、現に殺人は起きてしまっている。
「それは……ただのデジャヴュです」
しかし、遊間の言うことを素直に聞くのが癪だった私は、八木山医師が言っていたことを思い出して、苦し紛れに反論した。
「そんなわけがあるか。現実から目を逸らすな」
遊間は語勢を強めた。
「とにかく、今はきみと口論している時間はない。早く事務所へ戻ってくるんだ」
私の意見など、まるで無視したその命令口調に、私の怒りはますますヒートアップしていく。
「前世の記憶の主が亡くなっていて、予知夢もデジャヴュだと分かった今、私がそちらに戻る必要はあるんでしょうか?」
今まで感じたことのないほどの昂りが、私の言語中枢を支配する。
「だから、それはきみが勝手にそう思い込んでいるだけだろう。御託はいいから、さっさと戻れ」
遊間の口調も、私につられて荒くなっていく。
「とにかく、今はもう疲れているので、続きは明日にでも。今日は自分の家に帰らせていただきます」
私はそう言って一方的に通話を切ると、携帯の電源を落とした。
先ほどの喧噪など嘘だったかのように、田舎の静寂が私を包み込む。
通話の切れた携帯を握りしめて、私はため息を吐いた。
「こんなつもりじゃ、なかったのにな」
私はただ良かれと思って、この町へ訪れただけなのに。
ただ、彼や他の見知らぬ誰かの助けになりたかっただけなのに。
なぜ、私は遊間と喧嘩などしてしまったのだろう。あんな、些細なことで。
――まるで、私が私でなくなったみたいだ。
顔を上げると、一匹の小さな虫が素早く目の前を横切っていった。
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