23

 あの事件の日から数週間が経ち、私は徐々に平静さを取り戻していた。

 相変わらず、あの悪趣味な遊びは続いていたが、その頻度は以前より少なくなっていた。

 瑠璃とともに過ごす時間が、ささくれ立った私の心を、徐々に元のかたちへと戻してくれたからだ。

 彼女の存在が、彼女の存在だけが、闇に覆われかけていた私の心に、最後の光をもたらしてくれていた。

 そんな時だった。あの男に出会ったのは。

 ある休みの日、夕飯の買い出しのために商店街を歩いていると、たまたま同じく買い物に来ていた瑠璃と雑貨屋の前で出くわした。

 瑠璃はちょうど店から出てきたばかりのところで、私を見つけるや否や、両手に持っていた荷物を片手にまとめて、もう片方の手を大きく振り回した。

 私ははにかみながら、小さく手を振り返した。

 そして、彼女のもとへ駆け寄ろうと足を踏み出したそのときだった。

 瑠璃の後ろについて、店から出てきた男の顔を見て、私は驚愕した。

 その顔は、あの日、母とともに廃ビルへ入っていったあの男と同じ顔をしていた。

 いや、まさしくその男本人であった。

 瑠璃は、店から出てきたその男を手招きで呼び寄せると、何事かを耳打ちした。

 耳打ちされた男は、私の存在に気付いたように視線をこちらへ向けると、気さくな様子で私に話しかけてきた。

「きみが例のせんせいくん、だね。私の娘がいつも世話になっているようで、すまないね」

 私の娘。

 その一言に私は耳を疑った。

 何かの聞き間違いであってくれ、と願った。

 そして、それが聞き間違いではなかったことを理解すると、しだいに何か得体の知れない感情が、腹の底からぐつぐつと湧き上がってくるのを感じた。

「いえ、こちらこそ、いつもお世話になっております」

 私は、喉元まで出かかっている感情を必死に抑えて、笑顔を取り繕って答えた。

 そこから先のことは、あまり覚えていない。

 瑠璃たちと別れて、買い出しから帰宅した私は、ただただ放心していた。

 瑠璃のなかに、あの下劣な男の薄汚れた血が混じっている。

 その事実を思うだけで、神経が凍り付くほどの嫌悪感が全身を駆け巡る。

 汚らわしい。

 汚らわしい。汚らわしい。汚らわしい。汚らわしい。

 ――。

 プツンと、何かが切れる音がした。

 そう。汚らわしい。

 父を奪ったあの女といい、私を捨てて快楽に堕ちた母といい。

 女というものは、なんと汚らわしいものなのだろう。

 瑠璃。きみもいつか、彼女たちのように汚らわしい女へと成り果ててしまうのか。

 それならば、いっそ私が。

 そうなる前に、このワタシが。

 そのようなことを考えているうちに、私は、自分の股間が酷く膨れ上がっていることに気付いた。

 気が付くと、私は電話機に手を伸ばしていた。

「もしもし、瑠璃? 夜遅くにすまないね。今から、学校の裏山で会えるかな。きみに見せたいものがあるんだ」

 その日の月はやけに赤く、おどろおどろしかった。


 ――****の記憶、了。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る