第13話 速写
その日は夜まで休憩もせず、日付が変わるまでひたすらに絵を描いた。
バレンタインデー以来となる妃沙子の部屋で、夜食に冷凍エビピラフをご馳走になった。
ぷりぷりとしたエビの食感はとても冷凍食品とは思えないような美味しさであったが、そういえばキンクロハジロもエビを食べるんだったよなと思うと、なんとなく餌付けされているような気にもなった。食費が浮いて助かる、という思いと、このままズルズルと依存していいのか、という気持ちがない交ぜになる。
風呂上がりの妃沙子は、バスタオルを身体に巻いただけの格好で体重計に乗っている。
計時された体重がお気に召さなかったのか、不本意そうな表情をして、もういちど体重計に乗りなおした。
登美彦は自前のクロッキー帳を開くと、鉛筆で妃沙子の姿を速写した。妃沙子に速写のコツを教わってから毎日欠かさずなにかしら速写しているが、一分や二分で描こうとすると線は荒れるし、対象の特徴を捉えきれない。
案の定、描き上げた妃沙子の姿は本人とは似ても似つかないぼやけた曲線となり、表情も愛らしくない。濡れた髪も水をはじく肌もろくに表現できておらず、風呂上がりの無防備さもなければ、匂い立つような色気もなかった。
肩まで伸びた髪のおかげで、かろうじて女性だと分かるぐらいの最低の出来だ。
「ふーん、登美彦にはこう見えるんだ。ぜんぜん可愛くないんだけど」
髪を乾かさないままの妃沙子に背後から抱きつかれ、クロッキー帳にぽたぽたと水滴が垂れた。絵のあちこちに雨に濡れたような薄墨色の染みができ、白い紙の上の鉛筆の線がじわりと滲む。よけいに輪郭はぼやけ、不規則な
「一分や二分じゃ上手く描けませんよ」
「描けるし。ちょっと鉛筆貸してみ」
妃沙子は百枚綴りのクロッキー帳から登美彦が描いたページをびりりと破くと、床の上に胡坐をかいて座り、さらさらと鉛筆を走らせた。横開きのページに妃沙子は自分だけでなく、ついでのように登美彦を描き、林田を描き、響谷まで描いてみせた。
「ほらっ、こんなもんでどうよ」
妃沙子本人は机に向かって絵を描いており、登美彦は池の傍らに中腰でしゃがんでおり、サングラスをかけた林田はコーヒーを堪能している。響谷は電車の座席に足を広げて座っており、目の前で談笑している女子高生たちのスカートをじいっと凝視している。
「響谷さんの構図だけ、ものすごい悪意を感じるんですけど」
五分足らずでひと通りを描き終えた妃沙子は、テーブルの上に鉛筆を置いた。
「それ、実際にあった構図だから。私が入社したての頃、響谷のオッサン、女子高生のスカートがどうヒラヒラするのか分からない、ってんで電車の中でストーカーみたいにずーーーっと観察しててさ。それで女子高生が喋り出すと、すぐに指を折って数えだすの。ひとつの単語、ひとつのセリフを何秒で喋っているのか計算してたのよ。これが動画の極意だよ、って教えられたわ」
現実感のある動きを描くのが動画マンの仕事であるが、下手をすれば鉄道警察に突き出されてしまいそうな行為だと思う。アニメーターとしての響谷は尊敬しているが、さすがにそこまでは見習えない。
「そこまでいくと変態的ですね」
登美彦が苦笑すると、妃沙子が憤ったような声をあげる。
「的は要らないわ。ただの変態。その後、当然のように、妃沙ちゃんもちょっとスカートをヒラヒラさせてみてよ、って言うわけ。そっから私、ずっとジーンズ履きよ」
「響谷さん、アニメの主人公になれそうなぐらい、いろいろなエピソードを持っていますね」
「放送コードに引っ掛かるわよ、そんなも……んっ」
びしょびしょに濡れたまま、妃沙子が正面から抱きついてきた。
そのまま唇を重ねる。舌と舌が絡み合い、唾液が糸を引く。
登美彦はぎこちない手つきで妃沙子が体に巻いていたバスタオルを剥ぎ取ると、その下に隠れていた優美な白い曲線に舌を這わせた。
妃沙子の肩がびくんと撥ね、呼吸がだんだんと荒くなっていく。登美彦の舌がだんだんと下腹部へ向かって潜行していくと、妃沙子が押し殺したような声をあげた。
速写で終わらせるには勿体ない。
小刻みに痙攣する美しい曲線をゆっくり、ことさら念入りにじっくりと観察していると、妃沙子の手からクロッキー帳が転げ落ちて、床の上にぽたぽたと水滴が垂れ、いつのまにか水溜まりのようになっていた。
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