第11話 レッドビーシュリンプ

 鴨志田の事務所は、東京国際フォーラムのすぐ近くにあった。


 事務所にたどり着くまでの道幅は広かったが、うすら高いビル群のせいで、通りのひとつ向こうですら視認できない。おかげで少し迷い、約束の時間に五分ほど遅刻した。


 清澄白川駅の周辺ではまずお目にかかることのない高級ブティックや宝石店が軒を並べ、フランス語らしき気どった文字のせいで店名すら定かではないお洒落なチョコレート屋が庶民お断りの雰囲気をプンプンと醸し出している。


 一生縁のなさそうな石畳の通りをただ歩いているだけで、なんとも上流階級アッパーな匂いがした。


 マッチョな警備員のいる一階受付から、事務所のある八階までエレベーターで昇る。


 扉脇に設置されたインターホンを押すと、秘書と思しき女性の声がした。


「ご案内いたします。どうぞこちらへ」


 秘書に案内された部屋は壁一面に背の低い白いキャビネットが並んでおり、部屋の中央には民放ドラマの社長室に出てきそうな事務机が置かれている。


 そこまではありがちだが、応接ソファの横に熱帯魚ショップにありそうなやけに大きな水槽があり、小指の第一関節ぐらいのサイズの赤と白の縞模様をしたエビが一匹だけ王様のように泳いでいる。


 岩と水草の間からグッピーが数匹顔を出すと、同じところに隠れていたのか、ディズニー映画で一躍有名になったオレンジ色のカクレクマノミと青いナンヨウハギが現れた。


「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」


 ダークグレーのストライプスーツを着た鴨志田が慇懃な調子で言った。


「こちらこそお時間いただきありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします」


 林田が愛想よく答えると、ソファに掛けるよう勧められた。


 秘書がお茶を三つ持ってきて、一礼してから下がっていく。


「そんなに水槽が珍しいですか」


 登美彦がじっと水槽の方を見つめていると、鴨志田が微笑した。


「いえ。エビがいるな、と思って」


「レッドビーシュリンプというそうです。とある政治家のお手伝いをしていたことがありましてね。水槽を餞別代りにいただきました」


「名前はつけておられるのですか」


 ちょっとした人脈自慢を華麗に聞き流した林田が訊ねると、よくぞ聞いてくれました、とばかりに鴨志田が身を乗り出した。


「母校にちなんだ名前にしておりましてね。赤門と言います」


「それは覚えやすい。ちなみに別のやつは?」


「スタッフの出身校にちなんでクマノミを諭吉ユキチ、ナンヨウハギを重信シゲノブと名付けました」


 今度は学歴自慢か、と思って登美彦がうんざりした表情を浮かべる。


 赤門といえば東大で、諭吉といえば慶應だ。


 専門卒とはいえ、さすがにそれぐらいは知っている。


 となれば、シゲノブはおそらく早稲田だろうか。


 もしも愛称がニモとドリーであれば、ここまでカチンとはこなかった気がする。


 そういえばキンクロハジロはエビを食うらしいと思い出し、水槽の中で王様ぶる小さなエビをぱくりと食べる姿を想像して、ちょっとだけ溜飲が下がった。


「一発で覚えられるネーミングは重要ですね。素晴らしいセンスです」


 林田はいかにも感銘を受けた、とばかりに目尻を下げた。サングラスは車の中に置いてきたらしい。


「恐縮です。では早速ですが、こちらをご覧ください」


 鴨志田はクリアファイルから三枚のデザイン画を取り出した。


 働き蜂、働きアリ、そしてバタフライだろうか。


 タッチはそれぞれ違うが、どれも妃沙子の描く絵には足元にも及ばない。


 身贔屓なだけかもしれないが、いずれにせよこちらの想像を超えるような出来ではなく、原稿を突き返す編集者の気分が少しだけ分かった気がした。


「アニメ産業を下支えするアニメーターの姿をイメージして作らせていただきました。ハチとアリは説明不要でしょう。蝶はハバタキの社名からの連想です。いかがでしょうか」


「これは迷いますな。どれも力作です」


 林田が腕を組み、芝居がかった調子でうむむ、と唸ってみせる。


「鴨志田さんのイチオシは蜂ですかね?」


「いえ、蝶ですね。ブラジルで蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が起こるというバタフライ効果エフェクトを表現しております」


「なるほど、そのような含意があるのですね。たいへん勉強になります」


 あえて三択の答えを明言せず、相手に語らせ、適当な相槌を打つ。林田の一連の対応は、さすが制作進行を十年も務めただけはあると感心させられるものだった。


「そういえば、うちの原画マンの大塚君も一案考えてくれましてね。ご提案いただいた三点、どれも素晴らしいと思うのですが、私としてはこちらの案も捨てがたいのです。鴨志田さんはどう思われますか? 率直なご意見をお聞きしたい」


 林田はブリーフケースの中からキンクロハジロのラフ画を出した。


「これは?」


「カモ科の仲間で、キンクロハジロといいます。同じカモでもオシドリと違って地味ですが、アニメの制作現場は決して華やかではないですから、このぐらい落ち着いた配色でもいいかなとも思います。名刺もカラー印刷すると高いですしね」


 ついさっきまで饒舌に語っていた鴨志田がにわかに黙り込んだ。どう答えたものかと思案しているらしい。対する林田は毒のない顔をして、にこにこと笑っている。


「少々地味すぎるかとも思いますが、林田社長がお気に召しているようでしたらそれでよろしいかと存じます」


「私としてはご提案いただいた蝶が気に入りましたが、スタッフの意見も聞いた上で総合的に判断したいと考えております。今日は良いご提案をいただきました」


 林田はお茶を一口啜ると、ちらりと腕時計を確認する素振りを見せた。のらりくらりとしながらも、そろそろ退出しようかという雰囲気をちらつかせている。


「キャラクターのネーミングについてはどうお考えですか」


「どうとは?」林田が首を傾げた。


「キャラクターのネーミングについては商標調査を行う必要があります。ゲームやアニメの中ではどんな名前で呼ばれようが、登場人物の名前は商標として機能しないので大きな問題になりませんが、商品パッケージやネームタグにキャラクター名を表示すると、商標として機能します。その場合、思わぬ商標権の侵害となるケースがあり得ます。さらに言えば、キャラクターは文字商標と異なり、図形等商標としての調査が別途必要になります」


 いかにも法律の専門家といった杓子定規な態度で鴨志田が言った。


「ご忠告ありがとうございます。ネーミング以前にキャラクターも決まっていない段階ですから、必要になった際にまたお力添えいただきたく存じます」


 鴨志田は机の上に分厚い契約書のようなものを用意していたが、林田はさっさと席から立ち上がると、丁寧なお辞儀をした。


「パートナー契約を、とのお申し出はたいへんありがたく思いますが、なにぶん我が社は、自社サイトもなければ企業ロゴもマスコットキャラクターもないような小さな会社です。鴨志田さんの事務所と対等にお付き合いできるようになってから、また改めてこちらからご連絡させていただきたいと思います。本日はご提案どうもありがとうございました」

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