恋隠す教え子は、怪しい教材にハマるのを辞めたら、君の支えになりたいと家庭教師から告白される。
四月も半ばとなり、日の光もぽかぽかと暖かになってきた。
春風のように穏やかな足取りで
(まだ、ドキドキするな)
二十歳にして初めて抱いた恋心。伊月は心臓の高鳴りを感じ取る。
夜明の部屋に上がるのは、今回で二回目だった。まだ慣れるというには短過ぎる回数だ。
(慣れないとな)
そう思いながらも、いつまでも慣れなそうな気もしている。
夜明の部屋の扉を軽くノックする。「ど、どうぞ」と緊張した声が返ってきて、伊月も更に緊張を高めた。
ドアノブを掴み、深呼吸。勢いだと、一気に扉を開け放った。
女の子らしい可愛らしい部屋の中には、窓から差し込む春の陽光に照らされる美しい少女。伊月の教え子の夜明だ。
これまで同様、制服姿の彼女は、真っ白い勉強机に向かっていた体を伊月へと向け、淡く微笑んだ。
「こ、こんにちは」
「あぁ、うん。今日も宜しく」
(うぅっ……今日も可愛いな!)
何度見ても、伊月は夜明の美貌に見惚れてしまう。
ただ、それは夜明も同じことで、できる女性といった容貌の伊月に内心目を奪われていた。
(男性なのに、どうしてこんなにも綺麗なのでしょうか)
もしかしたら、本当は女性なのかもしれないと、合うたび夜明は疑ってしまう。けれど、その疑義をいつも否定する。
(女性であったら、困ってしまいます)
伊月に片想いをしている夜明にとっては、男性であるのが望ましい。無論、伊月は男性であるため、無用の心配ではあるのだが、そうした疑問を抱いてしまうほどに、伊月の容姿は女性的であった。
お互い見つめ合ってしまい、慌てて目を逸らす。なんとも言えない甘ったるい空気だ。早く付き合ってしまえという声がどこからか届きそうだ。
空気を変えようと、伊月が咳払いをする。
「失礼。では、始めようか」
「はい。あ……そういえば」
思い出したと、夜明が手を打つ。
(可愛い)
勉強机の上に置いてあったスマホを手に取ると、伊月を手招きする。
近付いていいのか。一瞬、躊躇する伊月であったが、無視するわけにもいかず、慎重に歩み寄る。そして、彼女が
そこには、
『1日10分で天才を作る! 有名塾講師も認めた学習教材!』
という、明らかに怪しい誇大広告な月額制教材が表示されていた。価格は月五万円。
(詐欺の匂いしかしない)
誰が買うのか。そんな詐欺教材を伊月に見せた夜明は、宝物を見つけたような笑顔で言った。
「1日10分で天才になれるだなんて、素晴らしいとお思いになりませんか? 契約しようと検討しているのですが、
「ドブに捨てるほうがいくらかマシかな」
純粋培養の天然記念物を見つけてしまったような心地になった伊月は、これが一体どんな教材なのか、懇切丁寧に説明してあげた。
「そのような教材だったのですね……」
「契約する前でよかったよ」
肩を落として夜明は見るからに落ち込む。
お金を無駄にしかけたからというよりは、天才になれるという期待が裏切られたからというのが大きい。
(なんて言葉をかけたらいいのか)
苦悩する伊月に、再び夜明がスマホの画面を見せてきた。
「では、こちらの『アプリ塾』というモノはいかがでしょう。無料で、毎日更新される問題を解くだけで大学受験も成功するという――」
「うん。洗いざらい出していこう」
■■
でるはでるは効果の疑わしいモノの数々。
まるで宝のように掘り起こされるそれらは、あまりに多種多様だ。
怪しい教材にアプリ、頭を良くするサプリに、脳を活性化させるという音楽……。
最初こそ引き攣っていた伊月の表情も、新しいモノが出てくるたびに死んでいき、もはや感情の欠片もなくなっていた。
「……なんというか、勉強ができない理由の一端を見た気分だ」
「お恥ずかしい限りです……」
一つひとつ役に立たない、あるいは上手く使いこなせていないことを説明された夜明は、羞恥に震えて俯いていた。穴があったら入りたい。そんな気分であろうが、彼女が掘り当てたのは一つとして身にならない教材(怪)であり、今は山となって積み上がっている。
隠れる穴はなかった。
(純粋なんだなぁ)
(呆れ果てていらっしゃる)
伊月は彼女の素直さに好感を、夜明は彼の態度に落胆を覚えた。
とはいえ、あまりに騙され過ぎている夜明を、伊月は心配する。
「勉強を頑張りたいのはわかるけど、どうして普通の教材じゃなくて、こういう効果の有無がわからない物ばかり……?」
「そ、それは……」
夜明が口籠る。言い辛そうだ。
しまったと、質問した伊月は後悔する。踏み込み過ぎたと感じたのだ。
「言いたくないなら言わなくて大丈夫だよ?」
「あ、失礼致しました。お話させていただきます」
「そう?」
これがきっかけで嫌われてしまったら……と、伊月は不安を抱くが、そのようなことを夜明は考えていない。むしろ、その逆だ。
(私のことをこんなに親身になって考えてくださるなんて……やはり、夢咲さんはお優しいですね)
心配そうにする伊月を見て、より好意を募らせていた。
夜明は頬を朱色に染める。それは好意であり、自身の恥を告白する羞恥だ。
「その……私は、あまり頭が良くありません」
「そんなことは……」
「夢咲さんはお優しいですね」
儚げに微笑まれる。あまりに色気のある表情に、伊月は言葉を失い視線を外す。その横顔は赤く色付いていた。
(なんて表情をするんだ……くぅ、顔が熱い)
(困らせてしまいました……嫌われてはいないでしょうか)
相手の想いに気が付くことなく、話は続く。
「いくら勉強をしてもテストの点数は上がらず、身になっている気もしない。もっと違う勉強法を試さないといけないと思い、手を出したのが……」
「怪しげな教材やアプリだったと」
「……はい」
しゅんと夜明の頭が下がる。
「効果の実感できないものが大いのですが、良いことがあると意味があったと喜んでしまい、辞め時がわからず」
「占いにハマる人の心境を聞いているようだ」
「お守りは買っています!」
「あぁ……鞄のはそういう」
ちらりと伊月が視線を向けた先、スクールバッグには色彩に富んだお守りが目一杯付けられていた。
女の子がスマホにじゃらじゃら付けるストラップのようなものと伊月は認識していたが、もっと切なる願いのものであったようだ。
種類は数あれど、内容は『学業御守』や『合格祈願』といった学業に関する物ばかりだ。
「こういった無駄なことばかりしているせいで、身にならないのでしょうね」
「
自嘲するように笑う夜明はあまりにも痛々しい。伊月の心も、棘が刺さったかのように痛んだ。
(なんとかしてあげたい)
夜明のこうした行動は不安からくるものだ。
勉強しても結果がでない。成長している気がしない。
時間ばかりが浪費されてしまうのが恐ろしく、安心を求めて安易な教材に手を伸ばしてしまう。お守りはその最たる拠り所だ。
(もっとちゃんとした支えを彼女に)
一つの覚悟を決めて、伊月は夜明の手に触れる。
淡雪に触れるような、産毛を撫でる程度の接触。
驚いて顔を上げる夜明に向けて、伊月は微笑する。
「羨ましいな」
「羨ましい……ですか?」
「うん。いいなって、本気になれるものがあって」
その言葉は慰めではなく、伊月の本心からの言葉であった。
「私にもやりたいことはあるけど、そんなに一生懸命頑張っているわけじゃないから。きっと、どうしても叶えたい夢があるんだよね?」
「……はい」
こくりと弱々しく、けれどしっかりと夜明が頷く。
伊月の笑みが深くなる。
「誰になんと言われようとも、叶えたい夢があります」
「羨ましいな、ほんとに」
(眩しくて見れないぐらいだ)
だから、と。
夜明の手を、今度はぎゅっと力強く握る。
「水鏡さんの支えになりたいって……私は思うよ」
「――ッ!? 夢咲、さん……!」
夜明はカァーッと顔を紅潮させる。
ぎゅっと目を瞑って、俯く。とても顔は上げられなかった。けれど、答えなくてはと、夜明は彼の手を僅かに握り返す。
「宜しく、お願いします……」
「うん、よろしく」
もう一方の手を更に重ねて、伊月は嬉しそうに笑う。
ただ、その胸中は嵐の海のように荒れ狂っていた。
(ここ、これは……告白通り越してプロポーズになってない!? 大丈夫かな!? 好きなことバレてないよねッ!?)
(うぅっ……、ま、まともに夢咲さんのお顔が見れませんッ。とても真剣な顔をされて、こんな……格好良過ぎますよぉっ!)
この日を境に、夜明の怪しい教材狂いは鳴りを潜める。
が、
「夢咲さんご覧になってください。『成績向上守』という私にピッタリのお守りがありました!」
「神様ぁ……」
伊月は天を仰いだ。
変な教材に手を出さなくなったのはいいが、お守り買いに拍車が掛かってしまうとは。
(せめてこれ以上、おかしな方向にいかないようにお願いします)
雲一つない青空。答えは返ってこない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。