第8話

 俺は、有紗と同じように朝子と飲みに行くという話だった。しかし、俺も見事に騙されて有紗と会ってしまった。

「……髪、切ったね」

 出かける前、まずは髪を切れと朝子に強制されたからだ。

 女々しいショートカットはさらに短くなって、耳ははっきりと見えるようになったと朝子は言っていた。しかし女性的な印象をなくすことは成功したが、それでも中性的な印象にとどまったまでのこと。だとしても、少しは男性らしくなったとも朝子は言っていた。


 髪を切ってからそのあとの感想などを白状すると、無でしかない。髪を切られる感覚はあったにせよ、自分がどんな姿になったか、なんてのはわからない。


 スタッフに「どうですか?」と訊かれても、自分の姿などわからない。そもそも、髪を切られることが嫌だったのだ。あのような、化け物じみているくせにヒト型であり続ける影に、髪を触られるなんて気味が悪いとしか言えない。


 ──今だって、そうだ。


 俺から見る彼女は、とても魅力的には見えない。噂に聞けば水川有紗という女性はかなりの美人らしいが、俺の瞳でそれを確認することはできない。

 その顔の輪郭を瞳でなぞることは、不可能だ。

 話して、支えられて、泣いて、そんなふうに彼女とは少しの間、助けられてきた。

 だが──決して、好きになることはなかった。その影を、一人の大切な女性として愛することは──すでに不可能だと知っている。

 好きだ、と俺は言った。でもそれはあくまで自分に言い聞かせるだけの言葉だった。その言葉を虚構きょこうだとは思わず、一つの真実なのだと信じたかったから。

 人は極限状態に至ると、なにかにすがるという。俺の状態はそれと等しいものだ。

 つまり俺は、常に極限状態であるということ。

 しょせんは死にぞこない。こんなことになるならば、早くに死んでしまいたい。

 でも、今は──


「ごめん。俺が悪かった」


 少しでも、好きになりたい。その一心だ。だから少しでも好きなんだと理解できなかったとき、そう実感したときには、死にぞこないらしくしっかり自分の命を自分の手で絶つことを決めている。その決意は、緩むことはないだろう。

「あ、いや、いいよ。あたしこそ、全然話聞かなかったわけだし」

 必死に両手を振っている。たったそんな仕草でしか、彼女を彼女と認識することができない。

「……そっか」

 俺はそうつぶやいた。



 八神達也は、病気を持っている。

 俺にとっては少しずつ日常に浸透してきたものだが、油断すれば、吐き気や嘔吐をすることだってある。


 ──影。


 あの事故以来、人の姿が影にしか見えなくなった。

 ヒト型ではある。だが、それはあくまでヒトとしての形をとどめているまでだ。実際は棒人間のような形で、腕と足、胴体などは頭とバランスが合うよう膨張ぼうちょうしている。

 それを俺は影、と呼んでいる。

 だからこそ、大切な人などの姿を追うことも、確実のその人だと特定することさえも不可能なのだ。


 俺は二年半、このような新人類と向き合ってきた。いや、実のところ、あまり向き合えていない。


 結局俺は彼らを嫌うことにした。彼らは存在しないものと認識した。



 突然、頭のなかを一つの疑問がよぎった。

 自分は事故のあと、少しでも笑ったことがあっただろうか。


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