第3話

「しっかし、可愛いでしたね先生」

 京極は自分の席に座って、デスクに向かう。彼のデスクは普段、整理整頓がされている。ファイルには必要な資料があり、分類もされているし、デスクの上に藍沢のような空の缶コーヒーが置かれているわけでもない。

 しかしそんな彼にも、デスク上を資料で散乱させているときもあるらしい。

「たしかその八神達也の八神というのは宝竜会の八神組のことか」

 藍沢雅臣は缶コーヒーを口にしたあとでそう了に問いかけた。

「ええ、そうらしいですね。でも二年半前、事故で八神一家は壊滅……のはずが一人だけが生き残った。その彼が八神達也」

 それで父である八神辰馬やがみたつまは宝竜会四代目会長だった。その次の五代目になるはずだったが、生き残った彼は自ら拒否。組すらも捨てた。

「それと彼女……興味深いこと言ってましたね」

「──病気のことか」

「事故の後遺症らしいですけど、その症状自体、彼女には知らされてないみたいですね。でも視覚障害とかなんだとかは言ってましたね」

 視覚障害。文字通り視覚になんらかの異常が生じるものだ。種類でいえば大きく二つに分かれる。『盲』と『弱視』だ。つまりは視力そのものを失ったのか、視力がいちじるしく低下したかのどちらである。

「視野障害、とかですかね」

「いや、おそらくはもっと違うものだろう。それよりはまだ重い症状なのだと思う。──たとえばそうだね。本来、人間には見えないものが見えてしまう。いわば一つの呪いのような」

「珍しいですね。先生がそんな抽象的なことを言うなんて」

 京極了は皮肉でも言うように藍沢を見て笑った。それに気でも触れたのか、藍沢は眉を少しはねさせて了をにらんだ。

「何もかもが科学的な論理で語れるものじゃない。そもそも、そういったものはこういう馬鹿馬鹿しい──まさに君の言う抽象的な語りから始まるものだろう」

「ははは、冗談ですって。そんな怒ることないでしょうが」了は派手に笑ってみせて言った。「──それにしても、ほんと珍しいもんでさァ。いつもどこか機械的で冷酷で卑屈な先生が、こんなにも感情をあらわにするなんて」

 藍沢は──そうだろうか──とそれこそ馬鹿正直に考えこんでしまった。それが逆に藍沢に受けたのか、彼はまた同じように高笑いを部屋に響かせていった。

「む、何がおかしいのだい、京極」

「いえいえ、おかしかないですよ。まあ完全無欠よりはまだそのほうが付き合いやすくて良い」

 そしてまた藍沢は深く考えこんだ。右手の人差し指と親指であごをはさんで。それは藍沢がいつも考える際のくせである。

「じゃ僕、そろそろ失礼しますね」

「ああ」

 事務所の玄関が少しきしむような音を立てながら開かれ、京極は去った。

 京極了には家がある。藍沢探偵事務所の安月給でもそれなりには暮らしていけるほどのアパート。藍沢もたずねたことはあるが、想像していたボロアパートとは違い、清潔で、狭い空間が一人暮らしにはちょうどいい。そんなものだった。


────対して藍沢は。


 藍沢雅臣にも家は〝あった〟のだ。そう、あくまで過去の話。家の定義が、個人のプライベート空間と複数人が共有できる空間が存在し、睡眠場所も確保されている建築物──であれば、藍沢が立てたこの事務所も、自宅と言ってもいいだろう。


 そろそろ寝ようか、と藍沢がデスクから離れようとしたとき、突然、開かれるはずのない扉が開かれた。だが──きしんだ音を立てて──ではなく、足で乱暴に扉は開かれた。


「失礼するでー」


 集団。なかなかに奇抜きばつな柄物のシャツと、黒のスーツジャケットとズボンを着た集団だった。

 男、男、男。強面こわもての、いかにも屈強な男たちが事務所のなかに身勝手に立ち入り、ぞろぞろと集団は横に広がる。

 先頭に立っている──リーダーらしき髭面ひげづらで猿顔の男性が、雅臣をじろりと強くにらんだ。

「おまんが探偵っちゅうやつかい」

「ああ。間違いないぜ。だがしかし気に入らん」

「あ?」

 猿顔の男性は殺意をこめて、さらに強くにらむ。

「人にものをたずねるときは、まず自己紹介だろう。そのぐらいの礼儀もわきまえていないのか、最近のやつらは」

「あぁ!? おいこらクソじじい。てめえの立場わかっとんのか? あ?」

「もちろん心得ているとも。私は探偵。で、おそらくあなたたちは依頼人。──だがね、私は扉を乱暴に蹴って、立ち入り、あげくには自己紹介もしない礼儀知らずな若造ガキどもには、即刻帰ってもらいたい──と思っているんだ。わかるだろう、君らにも」

「上から偉そうに語んなボケ! おまんなんぞうちのたちば──」


 猿はいつの間にか倒れていた。正しくは吹っ飛ばされた。背後にやってきた、身長はおそらく百九十は超えている大男に肩をつかまれた。そしてそのまま強制的に振りむかされ、その大男の拳が猿の頬にめりこんで、次の瞬間にはデスクを通りこして、ソファまで飛んでいった。


「崎口。おまえ、自分の──自分らの立場わかっとんのか。わしらは依頼人としてここにきとるんやぞ。それが入って早々、こないなアホさらしよって。ボケはお前じゃ」

 崎口は目を覚まさない。唇から血を流してすっかり意識を失っている。

「すまんの、探偵さん。うちの若いもんはこないなふうにだらしないやつばっかじゃけ」

 人当たりのよさそうな顔であった。とはいえ顔には切られたような傷が頬にあり、物騒な印象を受けるが、こんな優しい笑顔を見せられたら、誰だって等しく優しく見えてしまうものだろう。

 しかしさきほどの怪力と、この威厳を見るかぎり──この男が集団のリーダーで間違いはなかった。

「いや、別に構わない。それより、依頼なら席にかけてくれ。とりあえずは落ち着いて話そう」

 すまんのう、とまた謝って、大男は客人用のソファに座った。それで対面するようにして、大男からして向こうがわの席に藍沢は座った。

「それでまず、お名前から聞きましょう」

 藍沢は探偵として、口調を変えて話した。

「わしは天王寺勝てんのうじまさる言うもんや」

「それでは天王寺勝さま。今回はどのようなご依頼を?」

「ああ。単刀直入に言うがの。最近、この街で起きとる殺人事件、知っとるやろ。ほら、顔無し死体や。あれを、調査してもらいたいんや」

「なるほど。しかしなぜ?」

「理由は二つある。一つ目は、その事件に遭ったやつらがの、わしらの組に属していたやつじゃ。それで二つ目は、その犯人とは縁があるかもと思うてな。それで探ってほしいんや」

 藍沢はメモ帳にボールペンで書きながら、質問した。

「ほう。なぜ犯人とは縁がある、と思ったんですか?」

「ああ……うちの組はな、昔、八神組っちゅうやつやった。今はわしが組をたてとるんやがな。それでな、八神組を束ねとった八神一家が事故に遭ってしもうたんや。そんで生き残ったのは長男だった、八神達也お坊ちゃんだけ。ほかはもう死んどるちゅう話やった」

 藍沢はうなずきながら、少し興味深そうにして、動かしていた指を止め、天王寺をじっと見ていた。

「だがのう。うちの組員をやったやつは全員、八神家の分家筋なんや」

 つまりは八神の当主であった者の弟や妹の子孫のことである。

「なるほど……それで?」

「つまりはな──これはあくまでわし個人の推測なんやが──事故に遭った八神家の誰かが生きとって、達也お坊ちゃんを殺す気なんや、というものじゃ」

「なるほど。了解いたいました。こちらで調べておきます。失礼ですが連絡先を教えてもらってもよろしいですか?」

「おう」

「ありがとうございました。また後日、連絡いたします」

「頼んだで、探偵の兄ちゃん」


──それほど歳は若くはないのだが。

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