第29話 赤面の月下
走る。
また走る。
無限に続く用水路を辿り、水中にドッ君が溺れていないかを逐一確認する。
追手は撒いたようだが、僕が今どこを彷徨っているのかはさっぱりわからない。
なぜならここは森林に囲まれた場所だ。全方位を見回しても変わり映えしない木々で茂っている。見上げても枝や広葉樹の葉に遮られて月の光はほとんど届かない。足元は湿気で濡れていて、大股で走ると摩擦係数ゼロの転倒が待ち受けている。
それに加えて真っ暗な樹海を懐中電灯一本だけで探索するのはとても心細い。
もはや道という道は存在せず、水路が通っているだけに過ぎない。
唯一助かったことと言えば、自然の浄化作用によって用水路の濁りが取り除かれてクリアな水質になっていることだ。このまま口をつけても飲めそうだ。飲まないけど。
僕は走り続けた。
ここに居られるのはたくさんの人たちに助けられてきたからだ。
家族の存在に気付かせてくれた菜々野。
孤独にされる寂寥感を遠回しながらも教えてくれた張丘部長。
愚行に走る僕の考えを改めさせてくれた韮磨和先生。
死生観を改めさせてくれた颯汰。
諦めていた僕に希望と絶好の機会をくれた天宮。
そして最後に漢らしく、大人らしく背中を押してくれた大島さん。
みんながいなかったら一体どうなっていたのだろう。きっと多くの涙を流し、挫折と喪失感、一時の絶望に飲まれ、一人虚しく藻掻いていたのかもしれない。
いつだったか、人は孤独な生物だと考えたことがある。
生まれてすぐに自分の生みの親がいて、そのうち友人ができて、恋人ができたり、子どもができたり、孫ができたり、そして自分の知る人たちが次々にこの世を去っていく。トータルで考えれば結局独りになってしまうのだと思っていた。
それは違う。人は弱く、一人じゃ何もできないから孤独なんだ。
誰の助けも求めず、静かに『死』について考えだして何の意味も見出せずに右往左往する僕の孤独は人間が生み出した癌だ。
そして「これだから人間という存在は馬鹿らしい」と一蹴してしまい、死という終局点だけを視野に入れた結果、ぬいぐるみを欲するようになった。
僕は知らないうちに一人ではなくなっていた。
誰かに知られて仲良くなって、頼って頼られて、気づけば人は生きていればこんなにも幸せになれるんだって思えたんだ――――。
森を抜け、広大な湖が一面に広がる場所に出る。まるで巨人の踏みつけたかのように木々が湖を囲って生えている。
今まで遮られ続けて浴びることのなかった月光。そしてそれを反射する純粋な湖。懐中電灯がなくても全体が見回せる。
「ここは……?」
まるで神秘の場所だ。樹海の中に恍惚の境地が存在するとは全く知らなかった。
しばらく湖畔の礫道をザクザク歩いていると、なにやら水際に打ち上げられている物体が見える。あいにく今はコンタクトレンズを外してしまい、十メートル離れている物体の正体は肉眼で認識しずらい。
僕は重い脚を引きずりながら遠ざかる意識に耐え、どこか見覚えのある物体に近づいていく。
全体的に濃いクリーム色をして茶色がかった体毛。胴の長い体躯。鼻先には黒い球体が一点付いており、閉じられたように刺繍された目と微笑んでいる口元。そしてハムのように垂れ下がった耳が片方だけ残されている。
ゴールデンレトリバーを模したぬいぐるみの発見につい叫びたくなるが、
「くる……み…………」
バタッ――――
手の触れそうな至近距離で僕の意識は完全に落ち、倒れてしまった。
咄嗟に伸ばした右手は彼女に届いただろうか。
夢を見た。
これは僕が記憶の底にしまい続けた結果、ついには忘れてしまったものだ。
病室のベッド。隣で一人の少女が僕と同じ病衣を身に纏い、点滴に腕を繋いで横たわっている。
彼女とはついさっきまで口喧嘩していたのだ。結局解決することなくご機嫌斜めな瑞稀は長時間そっぽを向いている。首を寝違えないかと心配になってしまう。
恐る恐る声をかける。
「ねえ、さっきは僕が悪かったよ。そのぬいぐるみがでかくてキモチワルイなんて言っちゃって」
「……」
「だってなんでそんなバカみたいに大きいのさ。さすがに不釣り合いすぎブッ!!」
僕の言葉を遮るように瑞稀は顔面目掛けて枕を投げつけてくる。そんな力がありながらもこの子は病気に侵されているのだ。怒りのパワーってすごいんだなあ。
「しゅーくん。次言ったら
「ごめんなさい」
再び彼女はそっぽを向いて寝てしまう。しかし枕を武器に使ってしまったため頭が据わらない。むう、と拗ねてしまう。
そんな不遇、というか自業自得な瑞稀に枕を返してやる。
「はい。みずきって元気だけはいっちょ前だよね」
「元気じゃないよ。からげんきだもん」
「からげんき?」
「元気っぽく見せてるだけってこと。……もう長くはもたないんだよ」
しまった、と思う。僕たちは病に侵された者同士だ。お互いに体調をつつく話題は良くなかったことに今更気づいてしまう。
喧嘩中の雰囲気とはまた違った気まずさを感じ、目を伏せながら謝罪する。
「その、ごめん……」
きっと許してくれないだろう。しかしその予想は大きく外れてしまう。
「すごいでしょ? これがぬいぐるみの力なんだから!」
そっぽ寝ながらも自慢気に胸を反らしてみせる。まったく運動をしていない体は完全に言うことを聞かず、掛布団がもぞっと微小に動いただけだった。
「……。すごいでしょ!」
「う、うん。ある意味すごいよ」
「まあわかってるよ。いくらわたしがからげんきでも本当の身体は弱くなってることくらい」
「そっか」
今度こそ沈黙が下りる。話題が尽きるといつもこうだ。だいたい瑞稀の病弱さで会話が終わってしまう。今回もこれか。
すると瑞稀はベッドの中から一体のぬいぐるみを取り出した。胴の長い、それに似合わず手足が短い犬のぬいぐるみ。
瑞稀はそれを抱えてようやくこっちを見てくれる。
緑がかった瞳と視線が合う。小学生らしい幼い顔つきの少女は軽く微笑む。ぬいぐるみも同じように笑っている。
「この子がいるからわたしはがんばれるの。まだしゅーくんがいなくて一人の時はさびしい気持ちがなくなったんだ」
「さびしい?」
「……うん。パパはしんさつの時しか会ってくれないしママはもういないし。友だちだって学校に行ったことないから一人もいないの。だから、さびしいの」
さびしい。
少女が言うこの言葉の意味をよく知らなかった僕は寂しさというものが分からなかった。でも当時の瑞稀の話を聞いていると寂しいことが途轍もなく怖くなって、それで僕はある口約束をしたのだ。
「さびしいなんてどんなものかは知らないけど、みずきがさびしくならないように僕がずっとついていてあげるよ」
少女は鶉の目を輝かせた。幼稚な笑みだ。それがあまりにも眩しすぎて僕はつい視線を逸らした。
「ありがとう! しゅーくんの約束、わたし忘れないから! 守らなかったら指切ってね!」
「ハリセンボンは!?」
「針千本ね?」
お互いのベッドの間隔は手を伸ばしてもまったく届かないほど広く、指切りすらできない。腕に繋がれた謎のチューブのせいでベッドから下りられない。
ふぬぬと全力で手を伸ばす瑞稀。
なんて細い腕なんだと思ってしまう。一本一本の白い指が生えており、しかしそれは人工的に造形されたものではない。小刻みに震える華奢なそれを掴みたくても届かない。
結局僕はその約束を果たすことはできなかったわけだ。瑞稀が『死んだ』から。
それでも僕は誰かの手を取ろうと手を伸ばす。今度こそは届かせようと千切れそうなほど限界まで差し出す腕は誰に向けたものなのか。
瑞稀――――
腕を伸ばす。
今度こそは届かせる。
人は孤独な生き物だ。
もしも孤独で寂しくて泣いてしましそうな人には孤独な者として僕は手を伸ばす。多くの人との孤独を分かち合っていけたらきっと、一人じゃなくなる。
きっと、ぬいぐるみなんて必要なくなる。
もにゅ。
届いた! 僕の手に温かい人肌の感触が伝わる。
あれ、でもなんか異様に柔らかくないか?
僕は瞳を閉じていた。うっすらと目を開けて僕は夢から覚める。
月夜の灯る星空の下、仰向けで寝転がっていた。
そうだ。僕は湖畔を歩いていて、湖から陸に上がっていたドッ君に手を伸ばしてそれで――――
「お目覚めですか、ご主人様」
「――――!!」
聞きなじみのある透き通る声に完全に目が覚める。
よく見ると僕が掴んでいたのは誰かの手ではなく、来未のむき出しの豊満な二つの丘の一つだった。あれ、てかこの体勢って……
「膝枕です。漫画で見たことがあって、これならご主人様の『愛』を受け取りながらボクもご主人様を愛せるので憧れていたのです」
「来未……」
翠眼の瞳、セミロングの茶髪を下げた少女は、全裸の状態で僕の頭を膝の上に乗せているのだ。アウトじゃね?
透き通るように美しい腿の温もりが気持ちよくて、ついコタツにいるかのような気分になる。
しかしいつまでもこんなことをしてはいられないので僕は来未の膝から起き上がり、向き合うようにして礫の上に座る。
「来未。生きてたんだな」
「……はい、なんとか。階段から落ちた後、泥に流されながらドッ君に戻りました」
「体、大丈夫か? というか左耳は?」
「ない、ですね。木の枝に引っかかったまま洪水に体を流されてしまったため、破けてしまいました。少し音は聞き取りずらいですけど大丈夫です……」
見ると来未の左耳はもともと存在しなかったかのように平らになっている。傷跡もないので、体が耳を除した形で修復したのだろう。
ポケットから一枚のぬいぐるみの生地を取り出す。ドッ君の片耳。用水路に取り残されていたものだ。
しかし現在、片耳を失った状態で来未に戻ったのであれば僕が伸ばした腕はドッ君に届いたということになる。そして『愛』が供給されたのだろう。
来未との邂逅につい無意識に涙を流してしまいそうになるが咄嗟に堪える。
「よかった。もしかしたら死んだんじゃないかって思ったぞ」
「そうですね。ご主人様が来なかったらこのまま死んでいたと思います」
「……なあ、それってまるでお前が死にたかったような言い方に聞こえるんだが。気のせいか?」
「……」
押し黙ってしまう。僕の質問が核心を突いていたからか。はたまた別の理由でもあるのか。
僕にはそれを聞く権利がある。
「ボクは、逃げてたんです。人というものから」
「逃げるだけなら颯汰のとこ行く必要ないだろ」
「違います。逃げるというのは僕の知るこの人間の世界そのものからです」
それはつまり自殺願望なのか。
「ボクは人間になりたいと長い間切望していました。そしてその夢は貴方様のおかげで成就しました。来未という新しい名前を授かり、人として生きることができました。しかし忘れてはいませんか? ボクのもう一つの願望を」
「もう一つ?」
「貴方を愛したかった。たったそれだけです。今まで愛された分、それ以上の愛を返してあげたかった。……でも現実はどうですか。ボクは未だに貴方を愛しきれてない。この身体も貴方の『愛』がないとすぐにぬいぐるみに戻ってしまう。この問題を知った時、今まで通りであれば『愛』が尽きることなんてありえないと高をくくってました」
来未は気づいていたのだ。僕が望んでいるのは来未からの愛ではなくドッ君へ与える愛なのだと。
僕からの愛は人間の身体を維持するための機械的なものにすぎないと。
「人間になってこの結果だというのならボクはドッ君のままでもよかった。でも! 貴方の愛はまたボクを人にする。愛されること自体嬉しいです。でもボクが望んでいることじゃない!!」
「……」
「この煮え切らなさを解消したかった。――――だからボクは貴方から離れたかった」
「そうだったのか」
すべてを聞いた。来未の消えたいという自殺願望はどこから湧いたものなのか。
でも僕がしてあげられることは何一つない。機械的であろうと、望まれるのであれば今の僕は来未を受け入れられる。しかしそれでは来未の願望は叶わないことになる。
「僕はぬいぐるみ好きの変態なんだ。人よりもぬいぐるみに重きをおいてしまうどうしようもない人間なんだ。僕の中での存在価値は偏ってしまうのは必然と言いえて当然かな」
「……だから人間のボクに冷たくなってしまうのも致し方がないと」
「それが僕の言い分だ。来未はそれを聞いてどうする?」
彼女の拳が固く握られる。僕と肩を並べて湖を眺める表情はやはり寂しそうだった。
「であればボクがこの世界に生きている理由などありません。ボクが愛する人はボクを愛してくれない」
「でもそれは気持ちの問題だ。愛する以前に僕は君を大切に思ってるし、来未が死ぬ必要はないんだ! 生きていれば人は幸せになれるんだ! 孤独だって僕が払ってあげられる」
「嘘つき……」
「え?」
「ボクが初めて人間になった日、貴方は言いました。『人はそう幸せになれる生き物じゃない』と。随分と食い違った発言をしていますが?」
肩がついピクリと反応する。図星を突かれた。
「ボクの知る貴方は発言には責任を持つ人間です。いきなりの掌返しにもほどがあります」
「まあ、いろいろあってさ。考え直したんだ。人ってなんで生きてるんだろうって。傷つけば痛いし、死ぬことだって容易い。『死』という無惨な結末があると知りながら意気揚々と生きてるんだろう」
「ボクも、人間になって疑問に思いました。貴方がそのように言っていた真意が今ならわかります」
随分と前の発言まで覚えているものだ。しかし来未の言う僕の真意とやらはとっくに捨ててしまっている。
そして来未を納得させられる武器だけがある。
「――――人は孤独な生き物だ。そんな興ざめることを何度も考えていたよ。『死』を恐れるうえで二番目にくるもの。『愛の楽園』にいるぬいぐるみたちが抱えているであろう感情。今の僕もいつか一人になるんじゃないかって思って実は怖がってた。でも周りを見てごらんよ。気づけば僕には多くの人と繋がっていた」
「何を藪から棒に」
「ぬいぐるみはさ、一時の人の寂しさを紛らわせるための心の支えだと思うんだ。先天的に人が孤独だと言うなら、後天的に幸せになれるまで一緒に過ごすべきだ」
ぬいぐるみは話さない。言葉を用いず、表情も決められたもの以外ない。
僕はぬいぐるみの気持ちを考えることもせず、一方的に通じ合えないただのモノと割り切っていた。テレパシー部にでも入ってみたいとも考えただけ。
でも今はドッ君の気持ちを来未という少女が代弁してくれている。ならば僕は、それに応えなければいけない。
「――――だから今までありがとう、ドッ君。僕はもう君なしでも生きていけるよ」
僕はもう独りじゃない。たったそれだけのことに気が付くのにどれだけ遠回りしてきたことか。
来未に言わなければならないこと。それこそがドッ君への別れであった。
そして手向けとして感謝をしなければ、今度こそ来未の生きる意味がなくなってしまう。
彼女はこれからは
唇を濡らすことなく言葉を紡ぐ。来未の手の上に僕の手を重ねる。
「来未、お前はもうぬいぐるみなんかじゃない。生きて考えて苦しんで藻掻いて、多くの障害にぶつかって挫けるだろう。そんな過酷な世界に足を踏み入れたんだ。もう一度聞かせてほしい。――――犬飼来未はどうしたい?」
少女は頑なに首を横に振る。唾を飛ばしながら抗弁する。
「そんなの……そんなの決まってます! こんな世界にはいたくない! 貴方がボクを見てくれないのであれば……」
「だったら僕が死なせない」
「言っている意味が分かりません。ボクにはもう興味はないと言ったはずですよね?」
「犬飼来未とドッ君は同一人物じゃないだろ! いい加減自覚持て! お前はもう
「……っ!」
結局はこの回答に至る。建前なんかじゃない。嘘偽りのない事実。
それでもまだ来未は疑う。瞳を覗き込むように問う。
「本当ですか? ボクが貴方の家族になっても。ボクが理想の家族を望んでいても、それを叶えてくれますか?」
「理想の家族?」
「以前、ナノちゃんと約束したんです。途切れることのない不朽の愛で結ばれていて、毎日心が和んでしまう、そんな家族になろうと……」
今わかった。どうして菜々野が来未のために激情してたか。
「貴方は何時いかなる時でもボクを愛してくれますか? もう嘘なんて吐かないと約束してくれますか?」
「……ああ、約束するよ」
「破ったら指切ってもらいますからね?」
「針千本だろ!? てかどちらにしろ鬼畜だな!」
「あ、そういえば文化祭の花火。当日はボクと一緒に見ましょうね? あとは……そう! 家族同士ならイヤだと思うことははっきり言う!」
「にしても多いな。破ったら指切らないといけないんでしょ? 痛い痛い」
来未は笑う。屈託のない眩しいまでの笑顔。綺麗な笑い声が閑散とした夜の風景にさす月光のように光をもたらす。
僕と来未はお互いの小指を絡ませ、小さな約束を契る。二度はないと思われていた約束はようやく結ばれることとなった。
「でもその前に一つ、僕に言うことがあるんじゃないのか?」
「その……ごめんな――――」
「違う。そこは『ただいま』、だろうが」
「……!! はいっ。ただいま、です!」
やっぱりこの笑顔だけは死なせたくない。微笑みながらそう思った。
とりあえず僕たちはお互いぼろぼろの状態で助けが来るのを待つしかない。
用水路を辿れば問題なく戻れるだろうが、ここと違って月光が届かない。天宮たちも撤収せざるを得なかったかもしれない。
よって仕方なく僕らは、湖を眺めながら肩を寄せ合っていた。
「……あのさ。もしかして――――」
「へっくしゅ!!」
「そういえばお前真っ裸だったな。とりあえず合羽だけ持ってきたから羽織ってよ」
ずっとジャンパーのポケットに入れてあった全身真っ赤な雨合羽を手渡す。
来未はそれを受け取りながらも少し身を縮ませる。まるで体の局所を隠すように。
「あの……裸というのはこの場において相応しいものですか?」
「相応しい? まさか~。裸は人類の原初にして頂点。その史実を否定する気は微塵もないけどさすがに人前だと恥ずかしいぞ」
「~~~~~~っ!!」
「どうした? 顔赤いけど」
「だだだ、だったら早く言ってくださいよ!! ご主人様のイジワル!!」
「ハハハ。僕たちは家族なんだぞ? 裸がなんだ。もう二回も三回もガン見したんだから変わらないだろ!」
「そんなことを言っているのではありません!! もうっ!」
裸に気付いて身を隠そうとする来未の様子は、まさにアダムとイブそのもののように思えた。
しばらくの沈黙が下りる。ようやく通じ合えた家族としてなにか話題になりそうなものを模索するがヒットしない。だって来未が知ってることと言えば漫画くらいじゃないかな。
そんな固い静寂を来未の質問が切り裂く。
「どうしてこうなったんでしょうかね? ボクが人間になったのは」
「え、ああ。そうだな…………」
ふと、頭に降りたピッタリのフレーズを微笑みながら
「どうやら僕がぬいぐるみに愛を注ぎすぎたようだ、としか言えないかな」
二人きりの空間。
静かな夜。
真っ暗な無限の空には満天の星と、
「ご主人様、月とは赤みがかって光るものでしたっけ?」
「いいや。これは『ストロベリームーン』だよ。六月に見られる変わった満月なんだけど、ここまではっきり赤っぽいのは珍しいかな……」
恥じらうように裸を晒して浮かぶ月だった。
第二部『失楽園』【了】
どうやらついに羞恥心を手に入れたようだね。
今のところは順調だよ。
さあ、そろそろかな…………。
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