第30話 弱点(エピローグ)
来未の失踪から約二十二時間後。
僕はドッ君と化していた来未を見つけ出したものの、彼女には自殺願望があった。
人間の存在に失望する彼女といくつもの約束をすることで、僕らはまた家族として生きることになったのだ。
来未が自分自身がぬいぐるみであることを忘れさせるように。
赤面の月下のもと、救助を待つこと三十分。
西の空から天宮がヘリでお迎えに来てくれた。相変わらずの行動力と底知れぬ財力だ。
どうやら土砂崩れが起きた現場は今だ警察に占領されているらしく、失踪者の救助を行っていると言っても聞く耳を持たないのだと。そして理由もなしに業者の持ち物や搔き集めた土砂まで綿密に調べ始め、特に言うこともなく帰らせたという。
「陸がダメなら空から助けに行けばいいじゃない、って思ってね? 警察のたまり場とは逆の方角から飛んできたの!」
バタバタと鳴り響く翼の騒音を背景に、僕ら三人は飛行機体の中で向き合いながら談笑していた。
天宮の支給する毛布をありがたく頂戴し、身に包む。おかげで僕と来未は蚕の状態だ。
「でもほんっとに安心したよ。……おかえり。来未ちゃん」
「はい。ご心配おかけしました。ただいまです。麻理さん」
「もうっ! 水臭いなあ! ウチら友だちだよ? 恋敵以前にさ。もっとフレンドリーに抱き着いて泣き喚いてウチの服鼻水まみれのグシャグシャにしていいんだよ?」
「お前は本当にブレないな」
そういって天宮は来未の身体に覆いかぶさるように抱擁する。照明もない暗い機体の中だが、彼女の背中が小刻みに震えているのがわかる。揺らされているのではない。泣いているのだ。
「ずっと心配したんだから……やめてよね……」
「――っ! はい。ボクはもう逃げたりしません。絶対に」
来未も天宮の背中に腕を回し、涙を受け止める。体を包んでいた毛布は自然と床に落ちていき、白い肌がはだけてしまう。
そんなことも気にせずに一貫して抱き合うことを止めない。
つい涙腺が潤ってしまった。感動の再会を象徴する構図といっても差し支えないだろう。
「フ、フ、フ……。引っかかったな?」
「?」
「隙ありコチョコチョ!!」
抱き合った状態から突如、天宮の腕が来未の脇腹や脇に移動し、指先が器用に独立して蠢く。
ノーガードの来未は対抗する術もなく曝け出した柔肌を蹂躙される。さっきまでの雰囲気どこ行ったんだろ。涙返せこの野郎。
「アハハハハ!! ちょっ! 麻理さアハハハハハ!!」
「ほれほれ~。笑い死にしちゃうぞ~?」
「いやハハハ! もう勘弁~! っ――――!!?」
笑い悶える来未の様子が一変。胸に手を当て歯を食いしばり、天宮にもたれ掛かるように倒れ、苦しみだす。
「え、ちょっと来未ちゃん!? もしかしてまた――」
「どうした来未! あっつ!? すごい高熱だ。……もしかして」
間違いない。この謎の症状はぬいぐるみに戻る兆候だ。
全身が茹で上がるように高熱を発し、次第に心臓までもが止まってしまう過剰な演出。ぬいぐるみになるまでの辛抱とはいえ、僕たち人間が何も手出しできないのはなんとも皮肉だ。
しかしなんでこんな感動的タイミングで……
「ごしゅじ、ん……ま……」
来未の必死な視線とぶつかる。濡れた瞳は弱弱しく、今にも
(まさか、愛を注げばいいのか?)
来未でいるための必需要素――――愛。
『限界点』を下回ることで人間の体を維持できない体質ゆえに僕との頻繁な接触が欠かせない。実際、僕の多忙で愛が尽き、目を離した隙に戻った一例があるのだから。
僕はすぐさま来未の手を取る。
接触していれば愛は供給される。この状態を続けていれば症状が治まってくれると信じる。
固く瞼を閉じる来未。顔は火照り、体から蒸気が出ているのかと思うほどの熱を感じる。掴んだ手は焼けてしまいそうだが決して放さない。
「はあ……はあ、っく……」
「畜生、変わらないじゃないか! どうして!」
症状は一向に止まない。それどころか悪化しているようにも思える。
顔つきが険しくなる。
(このまま苦しむ姿をただ指を咥えて見てろってことかよ……!)
しかしふと、とある疑問が脳裏によぎる。
「天宮。お前たちが初めてこの状況になった時、来未に何かしたのか?」
「え、ウチらが何かしたわけじゃ…………あれ? そういえばウチが試着室で来未ちゃんにコチョコチョしてたら急に倒れた、かも」
「じゃあ試しにやってみてくれ」
「え!? わ、わかった!」
天宮は一言詫びるともに、もたれ掛かる来未の懐に手を潜らせる。そして指先を優しく立てると昆虫の足の如く這いずりまわせる。やれって言ったけど容赦ねえな。
「ま、まりさ……ッぷ」
「え、もしかして効いたのか?」
聞き間違いでなければ先程の来未の声は吹き出しである。息を切らしながらもその感覚があるとすればもしかしたら……
天宮に目配せし、もっと続けるように促す。
「おりゃあああ! 『病人にやっていいのかわからないけどとりあえずしゅーじんの指示ってことで許してよコチョコチョ』!!」
「アハハッハハハハハッハ!!」
苦悶していた声はまるで嘘だったかのように黄色くなり、機体の騒音を掻き消すほどに大笑いする。
操縦席のグラサンのおじさんもびっくりしてしまうが天宮は
僕も加勢して暴れる来未の腕を拘束する。なんか訴えられそうだが文句は後でいくらでも受け付ける。
天宮の擽りは最高潮に達し、指の動く速さをヒートアップさせる。
「ヒヒハッハハはッはは! はh――――」
笑い声は次第にフェードアウトし、ついには消失する。暴れていた四肢も静止し、脈も止まっている。息もしていない。
「来未……」
「え、大丈夫なの!? 死んじゃってない!?」
刹那、来未の胸元に真っ赤な光が灯る。徐々に全身に纏っていき、余剰した光の粒子は天に昇華。そして優しく温かい熱を放つ。閉ざされた瞼も顔の輪郭も光に包まれてしまい、輪郭を子細に把握できない。
さらに驚くべきことに、来未の身体が変形していく。
足、腕だった部分が短くなり、鼻がバナナのように突き出す。先には球体が形成され、耳はハムのように垂れ下がる。
そしてその全体像は一体のぬいぐるみへと化す。
トランスフォームを終えたのか、真っ赤な光の粒子は一気に弾き放たれ、本体だけが取り残される。
そこには片耳の欠けた犬のぬいぐるみ。
「…………ホントにドッ君だったんだね。来未ちゃん」
「あ、ああ。一応言っとくけど手品なんかじゃないぞ。これで完全に信じてくれただろうけど」
「うん。信じられないけど実物を見たからには首肯せざるを得ないよ」
とはいっても来未がぬいぐるみに変化しているのを直で見るのは僕も初めてだ。今まで目を離した隙に変化していたため、こんな演出があったことに唖然としてしまう。
天宮はそっと胸を撫でろすとドッ君を抱えて座り、僕に問う。
「でも今回は来未ちゃん苦しくなさそうだったね。もしかしてコチョコチョ?」
「たぶんな。僕の推測だと来未の弱点は脇腹なんだろうな。天宮が試着室で擽ったら実際にぬいぐるみになり始めたって言っただろ? だとしたらぬいぐるみに戻るトリガーはその弱点にあるんじゃないかって思って」
「でもなんでその弱点を攻撃しようとしたの?」
「そもそも来未が変化時に痛みを感じることには理由があるんだ。高熱を発して全身の細胞を殺す。加熱処理みたいにな。そのあとで呼吸と心臓が止まる。人化する際はどうか知らないけど、来未からドッ君への変化は死ぬほど痛いらしい」
咄嗟に天宮は口と耳を塞いでしまう。大きく見開かれた瞳は虚像を目にしたように訝しむ。
まあ正しい反応だ。人の痛覚を生々しく伝えられるほど嫌なものはないだろう。箪笥の角にマッハで小指ぶつけたー笑、って聞いたら痛いだろ。そうでもないか。
「でも来未が言ってたことを思い出したんだ。話しによるとぬいぐるみの間でも痛覚が存在するらしい。てことは神経そのものが通っているって考えられる。だから痛みより強い刺激を与えれば感覚を和らげられるかって考えた」
「へえ~。たしかに来未ちゃん、最後まで笑ってたね。……じゃあドッ君の時にコチョコチョしたらどうなんだろ?」
「や、やめたげれ。メッチャ可哀想」
たぶん動けない四肢を持て余しながら笑い悶える地獄を味わうんだろうな。
でもなんだろ。
脇腹を擽るとぬいぐるみに戻る、か――――。
「…………」
「どうしたの? 何か気になることでもある?」
「い、いや。なんでもないよ。そ、それよりもさ。どうして警察が来たんだろうなーって思ってさ」
「そう! それ!」
僕の鼻先にぶつかる勢いで身を乗り出す天宮。
さすがに近すぎたと自覚したのか、瞬時に定位置に戻り、コホンと咳払い。
「国の所有地だー、って言う一点張りでさ。こっちは救命してるんだから邪魔しないでよって言いたかったんだけどね。本当に警察が介入した訳を知らされてないんだよねー」
「謎だな。でも来未の捜索を打ち切ってまで国の所有地を守ろうとする魂胆は否めない」
それが彼らの使命だというのであればこちらが口出しすることなど出来はしない。ましてや市民の命と平和の維持に努めているのだ。僕たちの知らないやり方があるのだろう。
「あ、そうだ。当事者に聞きゃいいじゃんか」
「……ま、まさかしゅーじんのお義父さんに聞くの?」
「フフフ。鳩羽警視に答えられぬ疑問はないと見た! 天宮のモバイルバッテリーのおかげで二十パー貯まったから通話くらい造作もない。さってと、090の……」
着信を鳴らす。いつも多忙な父さんは実の息子の電話に出てくれるだろうか。
「……あのクソったれ親父。普段は全然帰ってこないくせにこういう時も役にたちゃしない」
結局父は電話に出てくれなかった。
愚痴を散々吐き散らし、拭えない不快感を持て余す。
「しゅーじん。あまり親のことを悪く言うのも考え物だよ?」
天宮は僕の身勝手さを諫める。
なんといっても警視は署長クラスの階級なのだ。汗水垂らして時には血を流してまで鳩羽家の家計を支えているのだから陰口を叩くのもよくはないだろう。
「まあいいや。なんといっても来未はここにいるわけだし。全て丸く収まったからね」
「うんうん!」
「でもひとつだけいい?」
「?」
「ドッ君をよこせやああああらああああああ!!!!!」
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