第28話 失楽園③
「……すまない。俺のせいだ」
すっかり項垂れてしまった颯汰にかける言葉が見つからなかった。
救出された颯汰はそのまま病院に搬送された。長時間雨に打たれていたため、危うく低体温症を引き起こすところだったらしい。
それを聞かされて、すぐさま僕は母の車で颯汰のもとへ駆けつけた。
幸いにも颯汰自身が霊能を効率よく使って体温を上昇させていたため、体力を消費しつつも寒さを耐えられたようだ。
しかしそれでも顔色は病人とほぼ変わらないほど青ざめていた。病床で上半身だけ起き上がらせてぽつぽつと言葉を口にする。
「夜中に家に用があるって言うやつが来てさ、出てみたら来未ちゃんだったんだ。そんで一人で来た理由を聞いたら、いきなり俺に成仏を要求してきてよ。びっくりしたぞ……」
「やっぱり……」
「修司を連れてこなかったんなら秘密裡に家を抜け出して来たんだなって思った。けど俺には霊を祓う気概はあっても、来未ちゃんだけはムリだったんだ! 祓う気にもなれねえよ……。俺ってば、霊能力者失格かもな…………」
いつも自信家で勝気な颯汰がここまで卑下する理由は二つ。
己の責務に従順でいられなかったこと。そして、
「崩れる石段と一緒に落ちてく来未ちゃんの手を掴めなかった……。あと、あとほんのちょっとだったのに!」
目の前の少女を救えなかったことに対する自責の念。
声をからして叫んでは何度も自分の足に拳をぶつける。
僕には今の颯汰になんて言ってやればいいのかわからない。颯汰が無事なのは喜ばしいことだ。来未にも一切手を出さずに帰らせてくれた心遣いにも感謝している。
でも僕の中には来未の喪失感が圧倒してしまい、それ以外のことを考えられなかった。
「――――修司、俺を殴れ」
颯汰は真っ直ぐ僕の瞳に語り掛け、拳を強く握りしめながらノーガードに徹する。
「なんの真似さ」
「お前さんの家族を、死なせちまった。だから…………だからって、気晴らしにもならねえか」
「僕はその『死ぬ』って表現、好きじゃないって言ったよな? わざわざ使ったんなら考えてやるよ」
僕の中で怒りの炎が芽吹き始めた。病人だろうと、これだけは容赦したくなかった。「死ぬ」は僕の中でダントツ一位で嫌いな言葉だ。いくらなんでも尊厳もクソもないじゃないかって思うんだ。
来未は死んだんじゃない。亡くなったんだ。傍若無人の自然の猛威に飲まれてしまった。颯汰がその場にいただけで来未が土砂に巻き込まれたことに責任なんて発生しないし、そんなものを要求しても最早栓のないことだ。
「お前はまだ『死ぬ』ってことの意味を理解できてねえようだな」
「は?」
静かに切り出した発言は僕を怒らせた本人とは思えないほど訳の解らないものだった。
「修司にとって『死』ってなんだ」
「このうえなく理不尽で不可解な概念存在そのものが間違い神様が余分に付与したくそくらえな運命、だな」
「息継ぎしたか今?」
「する必要なんてないね」
呆れたように肩を竦める颯汰。僕の癖を指摘するのはいいが、やはりまだ立ち直り切れていない。別に励ましたりふざけて言ったわけではないが。
しかし颯汰も負けることなく抗議する。
「修司の言う『死』っつうのは俺に言わせりゃただの一過程にすぎねえ。定められた運命だかなんだか知らねえが、神羅万象、生物は生を受けて育っておいて死んでいくまでが人生なんだわ」
「そんなの分かりきってるって。それがクソくらえなんだよ」
「でもお前さんは『死』という一つの出来事として見てるが、そんなもん大袈裟に言うこたあねえのに」
刹那、僕の中で何かがっ吹っ切れた。
体中のアドレナリンが高鳴り、気づいたら僕の両腕は颯汰の首元へ向かい、襟を千切るほど強く掴み、寄せる。ベッドから引き摺り下ろすには至らなかったが上半身は背もたれから離れている。
歯軋りがやまない。目元の筋肉が萎縮し、眉が吊り上がっているのが鏡を見なくともわかる。
「大袈裟じゃないって? 何がだよ!! そんなこと言ったらたった十年で息を引き取った幼い少女は何の意味もなく、ただ死んだって言うのかよ!」
「……」
「もう一遍言ってみろよ! お前が『死』をそういうふうに切り捨てるなら短命だった人たちは可哀想だったのか!? 尊厳も、価値も、ここで生きた意味も……残せなかった哀れな人間だって言いたいのか!?」
慣れない怒りの爆発で勢い任せに本音をぶつける。息が途切れ途切れになり、しかし襟をつかむ握力は力んでいく。
対して颯汰はいかんせん力に抗うことなく表情を殺している。脱力しているようにも見えるが、唯一眼光は死んでいなかった。
「短命? じゃあそれがそいつの一生だったんだな。でもそれだけだ。それ以外に言うこたあねえ。長命でも短命でも生きた一瞬があるなら人としての価値を十分見いだせる。たとえ赤子がお腹から出された直後に死んだとしてもな。始まりがあれば終わりがある、そしてそれは巡り巡ってまた始まりへと向かう。輪廻転生が存在するか俺には分らねえが、少なくとも命ある限り始まりがあり、始まりがあれば終わりがあり、てな」
「意味が分からない。馬鹿にしてんのか? 簡潔に言え」
気づけば颯汰の瞳は濡れていた。掠れた声を頻りに引きずり出す。
「――――っ、来未ちゃんの存在は俺に新しい死生観を与えてくれた! 触れ合った人たちに多くの笑顔と価値観や世界を見出してくれた! あの子が人間になって何日経った? 月も年もない、年端もいかない少女が、本当にただ死んだだけと言うならそれはお前の勘違いだ!」
突然繰り出される覇気に気圧され、襟を離してしまう。尚も颯汰は唇を濡らして饒舌を保つ。
「いいか。人に『死』がなけりゃそれこそ可哀想な存在だ。人の『死』にこそ意味がある。俺らはどうしようもなく無駄な一生で死ぬかもしれねえ。でも、誰かに俺らの生き様を与えることができる。トラウマになるかもな。でもそれこそ、この世界で生きた証にはなる。俺が死んでも誰かが覚えていてくれる。そしてその誰かも、他の誰かに受け継いで。その連鎖を繋いでいるのが『死』だろうが!」
「……っ」
息が詰まる。呼吸すら忘れていた。ここまで突き動かされたのは初めてかもしれない。
『死』は終焉そのものだと、生まれてこの方考えてきた。
いや、正確には
ここ数年間、人の存在を好きになれないでいたことを改めるつもりはない。
でも少なくとも、来未や瑞稀、そして今までこの地球で生きてきた人たちとの繋がりは消えたりしない。僕が憶えてさえいれば、彼らの『死』には無価値なんてレッテルは貼られなくて済む。
目頭に熱く溜まるものを感じる。流れ落ちるのを必死にこらえ、つい力ませようと唇を噛んでしまう。溢れんばかりの洪水は重力に従って僕の頬を伝って滴り落ちる。
「おい、ひでえ表情だぞ。泣くなら堪えんなよ」
高校生とは思えないほど僕は泣いた。嗚咽を漏らし、病室に泣き崩れる。決壊したダムは収まることなく崩落を続ける。泣いたのはいつぶりだろうか、とふと思ってしまう。
涙腺が止んだのは、来未の捜索を打ち切るという警察からの連絡の直後だった。
「警察曰く、事件性の薄い失踪は敬遠しやすい、らしいんだ」
「そんな……だって来未ちゃんは事故で巻き込まれてんじゃねのかよ!!」
「あくまで警察の捜査だよ。この後は自衛隊やボランティアの人たちが他に土砂に巻き込まれた人がいないか探すらしいんだって。準備が整い次第、だけど……」
「でもあれからどんくらい経った? もうおやつの時間じゃねえか。ここから自衛隊基地なんて近くねえだろ。いつまでも待ってられねえぞ」
病室の窓を眺める。あれから雨足は嘘のように弱まってしまい、捜索が難航することはない。しかし土砂の下敷きになった一人の少女を救うためには数百人、何千もの人手が必要なのだ。しかも山が崩れたとなると掘り返すのには重機械が数台がかりで挑まなければならない。公的機関が迅速に動けないとなると中小企業などの助力を集められればいいのだが。
「……せめて、埋葬だけでもしてあげたいな」
「そうだな。せっかく人としてこの世に降りてきたんだ。来未ちゃんがあっちで号泣するくれえの葬儀をな」
涙は枯れた。泣いても得られることはない。来未も戻ってこない。
それでもどこかやるせない虚ろな気持ちを余らせて颯汰と二人で病室で拙い会話をぽつぽつと続ける。
そんな時、僕のスマホに着信が入る。
もしかして自衛隊が来たとかその手の連絡かと思い、咄嗟に出る。
「はいもしもし鳩羽です」
「もしもし。こんにちは、しゅーじん」
「あ、天宮……」
電話の主はひっそりとした声音の天宮であった。溌剌な元気は抜けた炭酸のように空しいものに感じた。天宮にも悲しくなることはあるんだ、と当たり前なことを考えてしまう。
「菜々野ちゃんから聞いたよ。来未ちゃんのこと。…………ウチ、今でも信じられないよ」
「うん。僕も突然のことで受け入れられないでいる」
「お悔み申し上げます、っていうのは来未ちゃんを見つけてから言うね」
「ああ、そうしてくれ」
「だからしゅーじん。今から荘兼寺の前まで来てくれない?」
「いいよ。ちょっとかかる…………え、荘兼寺に?」
思いがけず剽軽な声を上げてしまう。
「車でそっちまで迎えに行くね。そーじんも体調良くなったら来て。じゃあ」
「え、っちょ、すぐ!?」
「そうだよ! ウチらで探すしかないよ!」
どうやら天宮の権力と財力、あらゆる伝手を動員するようだ。他に頼っていては日が暮れてしまう。それに、
「万が一、ううん。来未ちゃんなら絶対に生きてる! ウチはそう信じてるから」
「天宮……」
そうだ。土砂の崩壊に巻き込まれただけで生死は決まっていない。僕たちはショックのあまりに来未が既に他界してしまったとばかり考えていた。
もしかしたら埋もれた泥の中から元気に飛び出してくることだってあり得なくない。瀕死であっても命が繋げられればいい。
ようやく日が出てきた。
諦めるにはまだ早すぎると言うかのように。
「皆さん、この度は私の有志に賛同してくださり、心から厚く御礼申し上げます」
右手にメガフォン。多くの作業服に身に纏った総勢三百の人員に囲まれながら、淑徳な礼節さを装った天宮麻理は年齢という壁に怯むことなく荘重に声を発する。
夕焼けに染まる時間に土砂の積もったこの場所でショベルカーやダンプ、また土砂を掘り起こす道具が数十、数百と並べられている。
「今日未明、荘兼山がご覧のように土砂崩れが起きてしまいました。それにより、ここにいる鳩羽修司さんのご家族が巻き込まれ、今もなお生き埋めになっている可能性が高いです。救助が来るのを待っていては助かる命も尽きてしまいます。一刻を争う緊急事態です。総力を挙げて救命にあたります。どうかご協力のほど、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。そして視線は隣の僕に集まる。
「えっと、自分は鳩羽修司と言います。家族の来未が不運にもこのような自然災害に無残にも足をすくわれてしまいました。皆さんのご協力が必要です。お願いします」
「ではその来未さんの外見や服装などの特徴を教えてください」
後ろで待機していた颯汰が業者の質問に答える。
「服装は白いティーシャツ、学校指定のハーフパンツ。外国育ちの顔立ちで茶髪のセミロングです。靴は履いてなくて裸足。背丈はコイツ、天宮麻理と同等です」
颯汰を一瞥する。
目が合い、頷き合う。口述の来未の恰好は先日荘兼寺に足を運んだ時と同じ服装だからだ。
しかし天宮が僕でも知らない予想外の情報を補足する。
「さらに彼女は、両腕で抱えられる程の大きさのぬいぐるみを所持していたようです」
「――――!?」
僕を横目で見やり、表情を綻ばせてみせる。
いつから信じてたんだよまったく、と心の中で呟きながら思う。これだから天宮麻理という人間は誰からも信用されるのだと。
「わかりました。ではこれから不束ながら協力させていただきます。我々は全勢力を以て来未さんの救助に取り掛かります。全員持ち場に着け!!」
「「「おーーーー!!!」」」
一致団結の雄たけびを浴び、閑散とした雰囲気に活気が溢れる。
シャベルを持っては掘り起こし、ショベルカーで一掃する。倒壊を警戒しながら慎重にかつ迅速に救助は行われた。僕も非力ながら土砂を運んでは人工物が掘り出される度に来未の所持品かを確認する。
その調子で約二時間が経過しようとしていた。
今のところ収穫はない。
夕日が沈んでいき、このまま夜まで活動しては危険性が増すとのことで残された時間は一時間と言ったところだ。
車のライトを頼りに、誰もが音を上げることなく来未の名前を呼びかけ、汗を滴らせ頬に泥をつけて死力を尽くしている。それが逆に嫌な焦燥感を生み出す。
「そこ緩いぞ!! 足場に注意しろー!」
積もった土砂がさらに崩れ、危うく作業員が怪我をしかねる場面もあった。ゴールの見えない作業を続けるうちに僕の意識も遠ざかりつつあった。
取り除いた土砂が入って異様に膨らんだ麻袋を運んでいる最中、低い足場にすら
膝を立てて体勢を整えるがうまく力が入らない。体中の筋肉、関節が既に悲鳴を上げている。
「はあ……はあ……くっ」
「しゅーじん、無理しないで? 目の下クマできてるよ」
「なんのこれしき……! なんだったら全部の土砂を徹夜で僕一人でも掘り返してやるよ!」
男らしく虚勢を吐くが、作業リーダーの大島さんが僕の肩に手を置いては労いと悔やみの混ざった声をかけてくれる。
「鳩羽君。君の意思の強さには感動した。それだけじゃない。ここにいる作業員全員に気力を与えてくれた。だから、あとは俺たちに任せなさい!」
僕の腕を引っ張っては肩を貸してくれる。すみません、と一言礼を言うが、同時に非力さに苛まれる。
また涙腺が震え出した。もう何度目だろうか。枯れに枯れただろうと思っていたのに際限なく溢れてくる。
大島さんは肩を強く叩いて励ましてくれる。僕の耳障りな嗚咽と嚥下もすべて受け止めてくれた。
「修司!! おーい修司!!」
掠れ切ったしゃがれた声に呼びかけられ、涙の溢れる目をゆっくり開いていく。
すると泥だらけの颯汰が手に持っていたのは――――
「これ、もしかしてぬいぐるみの切れ端じゃねえのか?」
「え、これって……」
両面に毛が再現された一枚の生地。泥にまみれて触感だけではわからない。しかしこの形は何度も見たことがある。ハムのようなそれは間違えようもない。
大島さんから離れ、切れ端を受け取る。
「ドッ君の耳だ!!」
目を見開いて隅々まで確認する。鼻を近づけて匂いを嗅ごうとするがほとんど悪臭しかしなかった。なんか大島さんが一歩引いた感じがしたが無視。
「やっぱり! ほんのかすかだが来未ちゃんの霊感が残ってたからもしかしたらって思ったんだ!」
颯汰の霊能も夜になったことで正確に機能するようになったのだろう。麻薬探知犬のような鋭さだ。
しかしドッ君の身体の一部が発見されたということは来未は今、ぬいぐるみに戻っていることになる。であれば本体さえ見つけられればいい。
「鳩羽君、それが来未さんの持っていたっていう……」
「そうです! この近くにきっとドッく、来未が! これはどこにあったんだ?」
「この先の用水路だ! 一直線に続いてるだろ?」
暗闇に陰る田んぼ道に沿って走る用水路。今朝は洪水が起きそうなほどの水位と勢いだったため、ぬいぐるみが流されていってもおかしくない。
気づいたら僕は用水路沿いに走り始めていた。一気に見えた希望に心が躍り、意識が回復する。
僕は大島さんの照らしてくれる懐中電灯の明かりを頼りに濁った水の中を探り始める。
「どうだ鳩羽君!? 見えるか?」
「はい! でも今のところは見つかりません! もう少し先に行ってみます!!」
「待った!! なにかがこっちに来るぞ!」
大島さんに腕を引っ張られ、道端に寄せられる。
次の瞬間、僕の目の前をライトを点けた車が何台も通り過ぎていく。それぞれの車体の上には赤いサイレンのようなものが付いている。――――警察だ。
『全員今すぐ作業を止めなさい! ここは国の所有地だ! もう一度言う。作業を止めなさい!』
警察車両から次々と警官が飛び出しては作業している人たちを包囲し始める。逮捕こそされないものの、いつまでも撤収しないと嫌なことになりそうだ。
「おい! そこの二人! こっちに来なさい!」
「げっ!! 気づかれたか! 鳩羽君、君は先に行きなさい!!」
手元に懐中電灯を押し付けてはこちらに走ってくる警官二人を体を張って食い止める。
「何をする! 邪魔をするな!」
「悪いが、ここは邪魔させてやる!! へへっ。大人に立ち向かえるのも歯向かえるのも大人だけなんだよ! 子どもは子どもらしく背伸びせずに己ができることを成し遂げたまえ!」
大島さんは一瞬だけ振り向いて僕に「行け」と促す。
わかりました。
そう言う代わりに僕は大島さんに背を向けて走り出した。
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