第27話 失楽園②

 激しく降る雨。吹き付ける荒々しい風。

 アスファルトを穿つ無数の連打音に耳が詰まる感覚。焦燥が頻りに止まない。

 歩道側に沿って続く用水路も溢れそうな水位で濁流が走っている。


「一体どこに行ったんだっ……」


 僕と菜々野は休み明けの学校を休み、血眼で失踪者の行方を探る。


「お兄! 警察の人たちも捜索に出るって! どうする?」

「もちろん僕も探すに決まってるだろ! 家に籠ってられるか!」


 右手には開いた傘、左手には雨合羽を抱えて走ること一時間。足元で水しぶきが飛び散るため、住宅街を徘徊している間に靴の中まで水が侵食している。


 こんな荒れた天気のなか家出なんてタイミングが悪いにもほどがある。

 思い当たる行先も浮かばず、鳩羽家周辺を徹底的に捜索しているが今のところは手がかりもない。

 そもそもどんな服装で出ていったのかすら把握できていない。靴なんかが道端に落ちていれば申し分ない手がかりとなるのだが、玄関の靴は一足もなくなっていなかった。

 おそらく裸足なのだ。


「お母さんの車で探しに行くけどお兄は?」

「……いい。自分の足で探す」

「わかった! ナノの自転車使っていいから!」


 そう言って僕の後ろで待機していた母の車に戻る。ライトを点け、僕を追い越すように発進してしまった。

 

 さて、一人になった状態でどうするか。

 もちろん菜々野の自転車は借りるとしてもこの町全体を回ることはできない。

 再度家に撤退し、準備を整えようと踵を返したが、ちょうど向かい風が強くなる。


「畜生! 視界も悪いし走りにくいしっ。令和なんだからGPSくらいつけとけばよかった!」

 

 もちろん冗談である。

 しかしこんな予期せぬ事態で軽口でも叩かなければこれが現実だと受け止められないのだ。


 朝一番に菜々野が目覚めた時、家から来未が消失していることに気が付き、リビングに置かれてあった短い書留で事態が深刻であることが判明した。




『僕はもう来未でいたくありません。探さないでください。それでは』




「……なんだってんだ。事情も一切聞かされてないのに探さない家族がどこにいるって言うんだよ」


 吐き捨てるように愚痴をこぼす。しかし雨音で消沈してしまう。


 わからない。

 来未が何を思って家を飛び出したのか。何が嫌いで何を恐れているのか。



 家族なのにどうして理由一つ分からないのかさえ――――



 思考を巡らし、体ではなく頭を動かして動機を探ろうとする。


 すると車道に一台の黒い外車が僕の横を通り過ぎる。水たまりをタイヤで巻き上げ、僕の全身に泥が被る。

 滴る濁水を気にも留めず、僕は思考し続けた。口元に手を当て、雨音を完全に意識から除外する。


「おーい! 鳩羽くーん!」


 ふと僕を呼ぶ声がした。その声の主は傘をさして手を振りながら僕のところへ駆け寄ってくる。韮磨和先生だ。


「先生!? どうしてここに!」

「はあ、はあ……。さっきタイヤでおもいっきり水しぶき上げっちゃって、よく見たら鳩羽君だったからね。濡れただろ? とりあえず私の車に乗りなさい」

 

 促されるままに僕は道中に停めてある外車の後部座席に乗車する。


「すまないね。粗い運転をしてしまったばかりに」

「いえ、大丈夫です」

「にしてもどうしてこんな天気の中、傘一本で出歩いているんだい?」


 どうやら僕の奇行に疑問に思ったのか、神妙な顔つきでバックミラー越しに僕を見る。

 

 大人に頼らざるを得ないと腹をくくり、僕は来未の失踪事情を一通り話した。


「……なるほど。それで暴風警報が出ているにも関わらず君はこの町を散策していたのか」

「はい。ですがなんで来未が家出をしたのか……見当もつきません」


 先生は腕を組み、いつもの落ち着いた声調で語りかける。


「その理由を知って何になるんだい?」

「え?」


 唐突に問われた質問に硬直を強いられる。

 そんな質問に答えている暇などない、とすぐさま言い返そうとしたが、先生の目は声に似合わず鋭利なものだった。


「人の真意はわからないものだよ。私たち医者でも患者の思考を読むことなんて不可能なんだから。私たちはただ、インフォームドコンセントを順守しているだけの人間に過ぎない。相手がどんなことを思って何を感じているかなんて私は思慮しない」

「そうは言っても、家出の動機くらい知らないとどこへ赴くかなんて……」

「――――人の心を勘ぐるほど無粋な行為はない」


 その言葉はどこか急所を鋭く突いてきた。抉ることもなく、静かに僕を諫めるかのように。

 先生は言葉を紡ぐ。


「私たちは人間だ。それ以上でも、それ以下でもない。人はどうしても自分にできないことを為そうとするが、全くの間違いだ。私たちは人間という限られた範疇から逸脱できないんだよ。だったら君がすべきことは自ずと解るのではないかな?」

「……結局は探せってことですね」

「ハハハ! そういうことだよ! でも、相手の行動を読んでの捜索はキリがないのは重々理解したはずだ」


 ガクリと肩を落としてみせる。


 実際、もう体力的にガタが来ている。先生に日頃の睡眠不足を悟られただろう。だから言葉巧みに自分ができもしない手段を選択することを諦めさせた。


「自己管理のできない医者は志があっても自覚がない。君にはそれも言いたかったんだ」

「すみません」


 先生は相変わらず屈託のない笑みを浮かべては仕切りなおすように咳払いする。

 

「さて、説教はこのくらいにしといて~。捜索隊は出たのかい?」

「はい。迅速に出動してくれました。これで見つかれば問題ないんですけど……」

「そうだね。しばらく待ちなよ。君が動くべきなのは今じゃない。会ってからでも彼女の真意は確かめられる。そこでようやく、君の出番だ」



 

 その後、僕は先生に家まで送ってもらい、一向に止まない雨足を窓から眺めていた。


 連絡があった。捜索隊からだ。一足先に戻っていた母と菜々野に混ざって固定電話を囲み、流れてくる電子音に耳を傾ける。

 どうやら彼らは防犯カメラの記録をたどって来未の行先を突き止めるようだ。


 僕みたいに何の当てもなしに捜索隊を動員するわけではないようで安心した。何時にどこのカメラに映ったのかさえ分かれば、たとえピンポイントで居場所が特定できなくとも捜索範囲が絞れる。


『犬養来未さんの姿が午前二時に天元橋てんげんばしにて確認されました。その後午前三時、荘兼寺の山門入り口から山の階段を上っていくのが確認できたのですが、それ以降は足取りを眩ませたままです』

「荘兼寺だって!?」


 リビングで捜索の知らせを家族三人で聞いていた中、驚きを隠せずに思わず叫んでしまう。

 すぐさま続く音声に耳を澄ませる。


『しかし荘兼寺へ我々も捜索のために向かいましたが、階段そのものが土砂崩れの関係で半ば途切れていたため、捜査が難航している状態です。これから上空をヘリで探索する予定です』

「「「……」」」


 つまり来未は荘兼寺に行ったっきり階段を下りておらず、寺院にいる可能性が高いということだ。

 反射的に颯汰に連絡を取ろうとするが、荘兼寺まで電波が届いておらず、常に圏外なのを思い出す。


「もしかして……」


 そして脳裏をよぎる、考えたくもない一つの可能性。


 いわゆる、感じがした。


――――僕はもう来未でいたくありません。探さないでください。それでは。


 来未が来未にんげんでいたくない、ということは自身の存在を颯汰によって成仏してもらうという心理に行き着く。

 実際、山門で本人の姿が確認されたのであれば少なくとも荘兼寺に用があったのは間違いない。

 

 つい拳を固めて祈ってしまう。

 ここにいる誰もが来未の帰還を望んでいる。颯汰も、僕の意見を聞いたうえで来未にとどめを刺さなかった。やろうと思えば僕ごと息の根を止められたはずだ。

 一切容赦のないアイツにも寛容な隙が存在するのだ。


 しかし一方で最悪を想像してしまう。


 来未が頭を下げて成仏を希う。

 颯汰はその願いを聞き届ける形で消滅を望む霊に札を貼り、そして――――


「……お兄、さっきから顔色悪いよ?」

「ん? ああ。そう、かな」

「昨日もまともに寝てないんでしょ? 雨だってさんざん浴びたんだからお風呂入って、次の連絡がくるまで部屋で休んでなさい」


 母も菜々野も揃って僕の様態を案じてくれる。たしかに捜索チームに任せておけば僕なんかが出る必要などない。学校もこの暴風雨のなか、休校ということにもなった。


「へっくっしょんべい!」


 盛大なくしゃみを放ち、二人からの視線がより一層冷たくなる。


「……わかったよ。シャワー浴びたらちょっとだけ寝るよ」


 渋々二人の意見に従い、重い体を風呂場まで直行させる。


 すると突然、家の固定電話が鳴る。発信元が誰かはすぐにわかった。

 スピーカーにして再び三人で電話を取り囲む。


『こちら捜索隊。今荘兼寺上空をヘリで捜索したところ、一人を救出しました』

「「「はい?」」」

『どうやら山から下りられなくなっていたらしく、荘兼寺本殿で身を籠らせて……』

「いや、そうじゃなくて! 来未は!? そいつと同い年くらいの女の子はいなかったんですか!?」


 もちろん来未は青年などではない。本殿にいたのであれば救出されたのは間違いなく荘兼寺颯汰だ。その場で一緒に発見されたことを願うばかりだが、


『いえ、その場には他に誰も居ませんでした』

「そ、そんな……まさか……」

『ただ青年の話によると、たしかに一人の女子が未明に荘兼寺を訪れたようです。しかし帰りの道中、どうやら土砂崩れに巻き込まれたらしく――――』


 その後の言葉は聞きたくもなかった。崩れ落ちる土砂に埋もれてしまう姿が容易にも想像できてしまう。

 菜々野は泣き叫び、母はそれをあやし――――


 僕ですら目から涙が止めどなく流れ落ちた。

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