第25話 愛の欠乏
――4日目――
~手芸部~
「じゃあまずは麻理ちゃんから。文化祭で何やりたい?」
「はーい。ウチ、ぬいぐるみを作って販売してみたいです」
「そ、そっかあ。じゃあ今度は鳩羽君」
「まあぬいぐるみで手芸部の名を売るってのもいい宣伝になりますね。天宮の意見に賛成ということで」
「あんたたち本当にぬいぐるみ好きよね~」
というわけで今年の手芸部の出し物はぬいぐるみの数量限定販売となったのだ。
「多数決なんてずるいよぉ……」
「仕方ないじゃないですか。この部活、部員三人だけなんですし」
古びた部室には僕と天宮、そして項垂れる張丘部長しかいない。
幽霊部員がいるのであれば是非とも参加してほしいものだ。しかし残念ながら現状のメンバーで手芸部は回っている。
人手が足りないというのは部長がいつも口にしている決まり文句みたいなものだ。
「じゃあ今回の経費は三万円。それ以外に使わないようにしてください、ね? じゃないとどこかの誰かさんみたいに実行委員に駆り出されちゃうからね~」
「アハハハハハ! そういえば聞いたよしゅーじん。自費使っちゃったのバレたんでしょ? まったくー。そんなんじゃ天宮を統するリーダーになれるのかな~?」
「ぐぬぬぬぬ……」
チクチクと僕の脇腹を突いてくる。
畜生、今に見ていろよ。二年後に盛大に振ってやる、と心に誓った。
「……まあしっかり働いてきなさい。しかし鳩羽君と麻理ちゃんが戦略結婚だなんて。令和の時代も侮れないわね」
「たしかにそれは思いましたね。正確には僕は巻き込まれた感じなんですけどね」
「でもしゅーじんはウチを放っておけなくて参戦してくれたんだよね? ホント、ありがとうね!」
「お、おうとも」
「というわけではいっ! 今度はこれ全部、覚えてきて」
どこともしれない空間から取り出したA4の紙の束を机に叩きつける。え、厚くない?
「というのは冗談でー」
「で、ですよねー」
「機密情報だからしゅーじんのPCに送っとくね?」
「結局はそうなるのか……」
厚みはなくなったが容量で見ればおそらく600KBだろう。僕の脳みその容量はGBもないんだぞ! と言いたくなった。
軽く絶望した僕と愉快な天宮のやり取りを微笑ましく見守る部長。
まあいつもの構図だ。忙しくもあり楽しくもある。少ない人口密度でこんなにも和やかな部活はここ以外にないと自慢できるかもしれない。
~生徒会室~
「これが手芸部の企画書です。お納めください」
「ふむ。模擬店をするのか。予算も……大丈夫そうだな」
「よ、よかったー、です。では続いて異装届です」
「手芸部が異装? 着ぐるみでも着るのか?」
生徒会長は企画書の概要の下に記された備考に目をつける。
同時になんともなかった様子が急に曇り始める。
「……これは、少し検討すべき恰好だな。等身に対して頭部が大きすぎる。売り子看板にするには邪魔になるだろ。知っていると思うが異装できるのは校内だけ。廊下は必ず混雑するため通行の妨げとなる規格は却下する可能性が高い。それにこんなもの、模擬店の物販と合わせると予算は足りるのか?」
「ええっと……僕らが買うのはあくまで着る部分で、被り物は部室にあるのでもう少し小さくなるように改造します。勿論、部費で購入した道具で、です。そうすれば予算はなんとでもなります」
ここぞとばかりに事前に用意してきた印刷物を提示する。
一枚の紙にはオンラインショッピングのWebサイトが写されており、商品の写真と値段が載っている。例の着ぐるみが7000円で売られているのが一目でわかるはず。まあ着ぐるみといっても来未が着ていたパジャマのように薄いものだ。
全体的に濃い茶色で天宮はクマの着ぐるみにすると言っていた。全身黄色にすると蜂蜜食ってる姿しか思い出せないからな。
「なるほど。一昨日とは一変した態度。綿密に練られた企画。……面白い。手芸部の企画を生徒会長の名の元に認可する」
「あ、ありがとうございます!!」
張りつめていた空気は換気されたように緩和されていき、心拍数も正常に戻る。あれほど緊張するなんていつぶりだろうか。
ただでさえ注意勧告された直後だというのに部長は僕にリベンジしてこいと背中を押したのだ。こういう時こそ先輩の威厳を見せてほしいものだ。
でも二人は僕が失敗しないように二重三重にわたる完璧な企画を作ってくれたのだ。ほんの一時間でよくここまで仕上げてくれたと思う。天宮もああ見えてやるときは本気だからな。日頃のちょっかいなどの行いは見直すべきかもしれない。
「して、君は今日委員会で作業できそうか?」
「大丈夫です。可能な限り努めます」
会長は僕の前で初めて薄く笑う。
すると、机の上にまたしても抱えきれないほどの資料を積み上げる。
つい僕も笑ってしまう。
「えーと(笑)、これってもしかして団体名簿ですか(笑)?」
「そうだぞ。さあ、ここにあるPCならいくらでも使っていい。なんだったら冷蔵庫のエナジードリンクも好きに飲んでいい。さあ、仕事だ!!」
この後萎むほどの精力を消費し、頭の処理がほぼ表計算になったのは想像に難くないだろう。
家に帰宅。今回は夕日の尾が見える夜八時と言ったところだ。
上手くいったプレゼンを母に自慢し、菜々野には勉強を教えてやり、そして――
「おかえりなさいませご主人様! 今日は後ろから抱き着いてほしいのですが!」
またしても留守番だった来未は菜々野から借りた漫画に読み耽っていたようだ。
「まあそれくらいなら」
「ですが一つお聞きしたいことがありまして……」
「もしかして勉強してたのか?」
「はい。人の恋愛について勉強していました」
「え? 恋愛?」
聞き間違いではないかと疑ったが、来未は持っていた漫画をパラパラめくり、あるページを指す。
「この主人公さんが女の子に後ろから抱き着くシーン、ボクたちみたいですね、ではなくて……。なぜ二人の顔が赤くなっているのでしょう?」
見ると確かに男も女も頬が紅潮しているようだ。加えて背景には鼓動が文字化されて描写されている。
「まあ、緊張してるんじゃないか?」
「ではなぜ緊張するのでしょうか? 怖くて鼓動が速くなるのは分かりますが、この場合は相思相愛の二人が一緒に居られて嬉しい、というのが正しいのではないのでしょうか?」
やたら細かい質問だな。
そんなの簡単だ、と彼女持ち歴実質ゼロの僕が前置きする。そして、
「恥ずかしいからだろ」
こんな僕でもわかる明快な答えを出したつもりなのだが、来未は未だに首を傾げる。
「…………恥ずかしい?」
「羞恥心ってやつだな」
「……分かりかねます。具体的にはどういった心境なのでしょうか?」
「え、そこまで詳しく!? い、いや。僕は今からやることあるからまた今度にしてくれ」
「え、ご主人様!? せめて『愛』だけでも……」
「来未ちゃーん。そろそろ寝ないと。ほら、ナノとお布団入ろ?」
「え、ええ。ではそうします……。ご主人様、おやすみなさい……」
「ああ。おやすみ」
――5日目――
~手芸部~
「売り物にするんだったらかなり頑丈に作らないと。あと、こんな小さいと値打ちに見合った品物にならないよ」
僕の作った渾身の試作が選好と効用の二方面からダメだしされる。
がっくり項垂れながら作業場に戻る。
「は、はい。作り直します」
「ぶちょー。こんなくらいでどうでしょうか? ぬいぐるみと言ってもストラップ型にしてもありかと思って。ベアちゃんストラップです!」
「「却下」」
僕と部長の声がハーモナイズ。自信家な一面がある天宮もこれには肩を落とす。
「なんでぇ~?」
「だってストラップはズルいだろ! ぬいぐるみだったらぬいぐるみらしく作れよ」
「いや、企画書になんて書いたか覚えてる? しかも予算だって金具とかに充てると足りないよ?」
「うう……。わかりましたー」
という感じで手芸部は自主参加の日にも関わらず全員作業に没頭している。
昨日の企画は自作のぬいぐるみを売る、と書いただけで細かいデザインや必要な材料までは大きく見積もって詳細は決まっていないのだ。ことを急ぎすぎた結果だ。
とりあえず手当たり次第にデザインを描いているのだが、なかなかニーズに合致させることが難しい。部長もデザインの監督していると同時に創作案を捻りだしている。
この難航状態は来週には脱したいと切に願う。
伸びをすると同時にあたりを見回すのだが、ふと目に入った時刻に驚愕する。
「げっ!! もう五時半ですか!?」
「え、もうそんなに経った!?」
「しゅーじん、金曜ってたしか塾だったんじゃ……」
「すみません部長! お先失礼します! 天宮も!」
~塾~
「――――であるからして…………鳩羽、なにお前寝とるだ?」
「はう! す、すみません!」
「お前最近質問多いじゃねえか。別にわからんところがあってもこちらとしちゃ一向に構わんが、そういう怠けた態度で授業受けとるから理解できんとちゃうか?」
「は、はい。仕切り直します。すみませんでした」
後ろの席からクスクスと笑うような声が聞こえるがご高齢の先生の耳には届かないのだろう。
僕だけに視線は集中し、身を小さくしなければ居づらい雰囲気だった。
でもなんか人の視線に慣れてきた感じがするな。これはこれでプラスとしておこう。
家に帰る。今回は説教も入ったので夜の十時半だ。
これには母も心配し始める。大丈夫、明日は休日だしゆっくり休むよ、と一言。
菜々野はいつも以上に案じてくれる。
そして来未は――
「ご、ご主人様……? 体調、悪くないですか?」
「ああ。問題ないよ」
「そ、そうですか。よかったです」
「じゃあ、これからやることあるから」
「あの! こんな時に言うのも憚られますけど、頭だけでも撫でてください」
「まあそれくらいならいいよ。ほれ」
「ん、くうん……」
「じゃあおやすみな」
「え、あ、はい。おやすみ、なさい……」
――6日目――
~韮磨和内科~
「では今日は『死の三兆候』について紐解いていこうと思う。けどその前に、前回はウイルスが生物ではないと教えたね。なにか思ったことはないかい?」
「そうですね……。先生のおっしゃっていた『死の定義』が曖昧だということに少し疑問を持ちました」
「おー! やはり気になるかい? 実は前回の授業は今回の授業の伏線なんだよねえ~。気づいてくれて嬉しいよ、ハハハ」
腕を組んで鼻を高くしているのは僕の救世主にして恩師、
毎週土曜休診の午後にこの病院で先生直伝の医療講座を開いてくれる。
希望者全員ではなく、医者を本気で志す僕だけにこの特別講義を設けてくださるのだ。だから昨日のように寝る愚行だけは避けたい。もとい寝るような要素など一切ないのだから僕のぬいぐるみ以外の数少ない楽しみとも言える。
「――――とまあ人の死が定義されるのであればこの三項目全てが該当した時だね」
「わかりました。ですが先生、結局のところ前回の講義との結びつきが分かりませんでした」
「ああ、そうだね。その『死の三兆候』というのは現代医療の話なんだ」
「と言うと?」
「医療の技術が今よりもっと進めばたとえ、三兆候を満たしてしまったとしても死とは判断されず、治療の余地があるかもしれない」
「本当ですか……!!?」
思わず立ち上がってしまう。ガタッと椅子が激しく倒れてしまい、落ち着きを取り戻す。
先生は平静としながらも口元の笑みを残している。僕の反応を予想でもしていたのだろうか。だとしたらたちが悪いですよ。
「だからある一つの……何と言うんだろうね。遅延療法があるんだけど鳩羽君も知ってるんじゃないか?」
遅延、という言葉でピンときた。かつてあの子が亡くなった時に知った現代医療の終局地の存在を。
「人体冷凍保存、『クライオニクス』ですね。テレビでやってました」
「そう。我々人類には手の施しようのない病気でも、未来の私たちはきっと死の谷から救い出してくれるだろう! てね?」
「そ、そうですね」
つい歯切れの悪い返事をしてしまった。僕は必死に表情を殺して先生に悟られぬように沈黙を貫く。
しかし韮磨和先生にはそんなものは通用しない。
表情筋の隅々までをスキャンされ、隠しているつもりのものをいとも簡単に見抜いてしまうのだ。嘘なんてものも生徒会長と同じく瞳孔を確認しているため一瞬でバレてしまう。
尚も笑みを消すことなく先生は続ける。
「まあ君の言いたいことももっともな話だ。
「すみません」
「ハハハ。まったくだよ」
これは過去一気まずい空気だ。先生が生命について話す度に僕は隣で息を引き取った少女、瑞稀を思い出さずにはいられない。
もう何年と教わっているが何故か先生はその話題に触れても口元の笑みを消すことがない。その真意は僕にはわからない。
「時に鳩羽君。彼女、来未君は元気にしているかい?」
「え、来未ですか? そうですね。先生とお会いした翌朝にはまた人間に戻っていて今でもピンピンしてます」
「そうか。そうかい……」
突然、先生の笑みが消えた。
どこか遠くを見るような視線は窓の外に向けられている。
「ぬいぐるみが、人間の姿を手に入れたらそれは人間と呼べるだろうか?」
不意に投げかけられた問いに答えようと必死に頭を回転させるが先生が自答する。
「否。それではただの受肉にすぎない。人という存在になるには生命であり、臓器があり、感情があり、…………その中でも人であることを象徴する感情はなんだと思う? 鳩羽君」
「羞恥心ですか」
「そうだとも。羞恥心。アダムとイブが『善悪の知識の樹』に手を伸ばした結果手に入れたもの。今の彼女にそれはあるだろうか? もしも無いのに自分が人だと言っているのだあれば……そうだね」
僕を見てうっすら笑う。
「脇腹でもくすぐってやりたまえ!」
「どうして脇腹なんですか?」
「まあ笑い疲れてまたぬいぐるみに戻ってしまうのでないかな? もちろん冗談だけど。ハハハハハ」
――9日目――
月曜日は学校。後放課後は実行委員の仕事。
火曜日も学校。後放課後は部活。
水曜日学校。後放課後は塾。
木曜日学校。放課後は部活。
金曜日学校。後放課後は塾。
土曜日韮磨和先生の講義、後午後は天宮の家に泊りがけで作戦会議。
日曜日も天宮邸で戦略を練り必要な情報を頭に叩き込み、後に塾。
もちろん家に帰るのはいつも夜八時は過ぎている。塾のある日なんかは十時を余裕で越す。
課題と仕事に追われるのはこの一時だと思って僕は死に物狂いでスケジュールをこなす。
母や妹に心配されようが僕は大丈夫と口にして勉強机に向かい合う。
失うものは何一つないのだから。
家に帰る。
ここ最近眠気が取れない。
生徒会長に気に入られたのか、部室にまで現れては差し入れとしてエナドリを置いていく。飲みすぎは不調を招くと聞くが今の僕には必要不可欠な覚醒剤。これさえあれば塾で寝落ちすることもない。
失うものは何一つない。
そう思い込んできた。だから気づかなかった。
「ドッ君……」
来未はぬいぐるみに戻っていた。
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