第22話 笑顔

「はあ。ようやく終わったな」


 人目をはばからず、午後の斜陽に満ちた二人きりの廊下で伸びをする。

 突き刺さる無数の視線から解放され、今は放課後。6限まである月曜日ではなかったのがせめてもの救いだった。


 授業が終わっても来未は校内に残り、僕と一緒に手芸部部室まで足を運ぶ。

 天宮は日直だったこともあり、一人教室で死に物狂いに日誌を書き込んでいる。あまり僕と来未を二人きりにしたくないようだ。


 誰もいない部室に入り、またしても表面の革が破けたパイプ椅子に腰を下ろす。食べ逃した昼食のパンを齧って疲労しきった頭に栄養を送る。


「いつも皆さんはここでどのような活動をするのですか?」

「まあそうだな。手芸部っぽく裁縫で小物を作ったり、生徒の所持品をできる限り修復をしてるくらいかな。火、木の週2の活動。自主的に活動したければその日限りじゃないけど」

「そうなんですか。ボクはご主人様が裁縫というものをやっている姿を見たことがないので楽しみです!」

「見ててもつまらないと思うけどな……」


 そう言いつつ部室を見回す。部室は教室の半分の広さで二人でいる分には狭くない。壁に沿って余った会議テーブルが寄せられていたり、埃をかぶった木製の縦長の棚が鎮座している。

 思い当たったように立ち上がり、棚の引き出しから見学者用の裁縫道具一式を取り出す。ネイビーのショルダーバッグの形をしたそれを来未の手元に置き、やってみるかと聞く。


「是非ともやってみたいです!」

「よし。じゃあ道具の説明だけしようかな。実践はまだ難しいし。まずこれは……」


 ドダっ! 

 突然響いた外からの大きい音に話が遮られてしまう。


「デジャブだなぁ。どうせ部長だろ」


 ため息交じりに仕方なく外の様子を伺ってみる。

 するとやはりというか、張丘部長が段ボールを散らかして盛大に転んでいた。うつ伏せの部長をつついてみると亡者の泣き声が僕の耳に這いずり込んでくる。


「だ、大丈夫ですか!? って千暁ちさとさんじゃないですか!」

「もう誰よ……こんなところに入部希望者募集の看板なんて置いたのは……」

「つい先週の部長ですね。運動部の辛さを身に知った者どもをこの部活に引き入れようと邪気含む笑み浮かべながら息巻いてたじゃないですか」

「つまりは…………先週の私が今日の私を暗殺しようと企んでいるのか!」

「まったく。とりあえず立ってみてください。いかにも元気そうですが怪我はありませんか?」

「ありがと鳩羽君。擦り傷だから大丈夫」


 差し伸べた僕の手を取って起き上がる。スカートの砂埃を払い、転がした手荷物を集め始める。

 よく見ると段ボールの中は何かの書類が入っていたようだ。幸いにも箱から出ることはなかった。


 部室に戻り、抱えるほど積み重なる書類の束を取り出す。そこに書かれていたのは「2022年度文化祭」「文化祭準備における諸注意」「部活展、模擬店申請書」「文化祭当日異装届」などなど。ほとんどが文化祭についての項目だった。


「文化祭……。そういえば麻理さんが昨日そのようなことを言ってましたね。これは一体なんなのです?」

「一言でいえば学校で開かれるお祭りみたいなものかな。全校生徒が授業から解放されてクラスや部活ごとに出し物をするんだよ」

「そうそう。鳩羽君も今年が初めてだからよく知らないと思うんだけど、とにかく楽しいの!」

「祭りだったら楽しいに決まってますよ。……ん。この『生徒ではない一般の人でも自由に入れる』ってことは来未も参加できるんですよね?」

「うん。だから是非、私のクラスと手芸部に来てね!」


 ほう。外部からも人を呼び込むなんて気前がいいじゃないか、うちの学校。盗難防止には努めてほしいものだ。

 

 あれ? ふと思い返すと部長の言葉に気になる箇所があった。


「え、手芸部って出し物あるんですか?」

「そりゃあるよ。そのための軍資金も出されてるし」


 口をすぼめて当然と謳う。そうとなると内容によっては僕のスケジュールがさらにタイトになってしまう。

 

「準備はなるはやで取り掛かるからね。何を出し物にするか木曜までに決めてきてよ?」

「……はい」


 がっくり項垂れる。もう少し余裕のある人生を生きたかったと切に願う。「転生したらぬいぐるみの世界でヌフヌフでスローなライフを過ごすことになりました」、ってね。


「ちなみにこの『後夜祭』って何ですか? お祭りというのにもボク行ったことないのでよく分からないのですが……」

「え!? 来未ちゃん、お祭りに行ったことないの!? 今までどこに住んでいたの?」

「ロンドンですかね」

「まさかの帰国子女リターニー!? なるほど西洋の美少女ってことね……じゃなくてっ! 後夜祭ってのは文化祭2日目終了後に行われる花火のことだよ」


 そういえば聞いたことがある。

 後夜祭に参加すれば、祭りの盛り上がりが最高潮に達するとグラウンドに花火が打ち上げられるという噂。上級生にしてみれば毎年恒例のイベントなのかもしれないが。近隣住民にどうアポイントメントを取っているのかが気になる。


 しかし今までになく来未は興奮しきった様子で部長に質問する。


「花火とはどのようなものなのですか!? 空一面に広がる火の弾だと聞いたことがあるのですが!」

「うーん。言葉だと伝わりづらいからなぁ。でも画像みせるのももったいないから……来未ちゃん、花火見たいなら2日目絶対に来てね!」

「はい! とても楽しみです!」


 爛々と煌めく翠眼の少女は跳ね上がって最大級の歓喜を上げる。僕が見た中で一番興奮しているのは容易にわかる。おそらく人間になったことで未知に触れ、その正体を直にその目で確認できるのだ。待ちきれないのも無理はない。

 その莞爾かんじとした笑みは文句のつけようもなく完璧だ。完璧すぎて眩しいのだ。

 

 いつからか、僕が来未に対してぬいぐるみに戻ることを切望することはなくなっていた。ドッ君が恋しいあまりに胸に空いた空隙からの悲鳴も、今は聞こえない。

 それは一体なぜなのか。来未を僕の家族だと認めたからだろうか。昨日の夜から考えていたことだが自分のことでもよく分からない。




 でも一つ確かなのは、僕は人間の在り方が気に入らないけど来未の見せる表情はなんとなく好きだということ。

 とくにあの笑顔につられて何度も目がいってしまう。本能的であり、絶対的不可抗力なのだ。


(これだから人間ってやつは……)


 もう何度とも知れぬ言い慣れた言葉を呟き、僕は来未の喜ぶ姿を最後まで見届けた。

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