第19話 天宮家当主継承問題

「蜂蜜でも飲んで落ち着こうよ」


 先程まで取り乱していた天宮の面影は一切なくなり、淑女を装った別人に成り果てていた。これがいわゆる賢者タイムってやつか。

 

 目の前の丸形のテーブルに縁と持ちてが洒落たカップを出される。

 金色に光る液体から昇る蒸気を追って天井を腕を組んで睨みながら話の切り出し方に迷う。


 天宮の天地開闢の告白、そして来未から語れる身内同士の幾たびのキス。まずはキスの真相、といっても来未の正体を明かせばいいのだが天宮はそれを信じるだろうか。ショッピングモールでの一件を僕の高等マジックと言ってるくらいだ。それ以上に信憑性のある説明でなければならない。


(でもこれ以上嘘をついて右往左往させるのもなぁ)


 しかし思考を妨げるように天宮の発言が頭から離れない。


『これはジョークじゃないの! 本気なの!』


 まさか天下の天宮譲に求愛されてしまったのか。あれは弁明しても覆りがたい告白だ。

 だからこそ僕は頭を抱えているのだ。


 たしかに天宮は魅力的な人間である。先刻から目にする彼女の家事に対する姿勢、気の置けないやり取り、そして見る者すべてを魅了する容姿。スレンダーな体型に腰まで達する煌めく黒髪。整った顔のパーツと相まって欠けるものがない。あ、いや胸の大きさなんて気にしてないから。そのうえ富豪の娘ときた。僕の人生でこの機会を逃しては二度と訪れない奇跡だろう。

 

 でも僕はこの告白を断る方向で決めている。

 その理由は言うまでもないかもしれない。


 高ぶる胸の鼓動を無理やり殺す。提供された蜂蜜ではなく自らの舌で唇を濡らす。そして固まる顎を開ける。


「なあ、さっきの婚姻届けのことなんだけどさ」

 

 ビクンと肩を反応させる天宮。若干上目遣い気味に僕を見つめる。マリーゴールドの瞳は熱を帯びているかのように蕩けている。


「ごめん」

「……」

「僕は天宮の告白にはこれ以上応えられない」

「……うん。わかった」


 すっかり目を伏せてしまった天宮。熱は冷め、彼女の持ち味っである元気が消滅した。


 来未も雰囲気を察したように口を紡ぐ。


 いつしか僕の蜂蜜からは蒸気は納まっており、口をつけても問題ないくらいの温度になっていた。

 蜂蜜は薄くてあまり甘くなかった――――




 よんどころない感傷に浸っていると静寂を切り裂くように天宮が立ちあがる。

 ずかずかと勉強机に歩み寄り、引き出しから手のひらサイズの何かを取り出す。

 またテーブルに戻ってはいつもの口調で話しを切り出す。


「ふう。じゃあ今からウチのマジックでも披露しようかな」


 テーブルの上に置かれたのは一枚の五円玉。たったそれだけだ。

 どういう反応をしていいのやらと戸惑ったが、今は傷を負った天宮の気分に乗ってやる。僕が傷つけたんだけどね。


「そうか。それは楽しみだな」

「で、ウチの手には一本の紐があります」

「催眠術ですね」

「おいおい。まさか僕がその五円玉で催眠術的なやつで天宮の言いなりになるとでも?」


 なんか図星みたいに天宮の顔が引きつる。わっかりやすー。でも彼女なりの気の紛らわし方なのだろう。これ以上は何も言わずに見守ることにした。


「ふふふ……見ててよ? こ、この五円玉を五万円にしてあげるから」

「結局は賄賂じゃねえか!! こんな気まずい雰囲気で何してんのさ!? もう帰っていい!?」

「うわーん! 待ってよしゅーじん! じゃ、じゃあこないだ欲しがってた五万円札作ってあげるから~! もちろんしゅーじんの肖像で」

「そんなの欲しくないわ! てか鼻水つくから離してくれ。そもそもどうしてそこまでして僕なんかと懇ろになりたいんだ?」


 暴れる天宮が僕の直球の質問に反応してピタリと止む。来未に肩を擦られながら涙と鼻水を拭い、淡々と語り出す。


「ウチが今年で16歳になるから」

「いや、結婚年齢になるのはいいけど僕まだ2年足りないけど」

「まあ、結婚ができればいいなって」


 どいうことか全くわからないが恐らくなにか事情がありそうだ。

 さらに話の核心を突いていく。


「その名義は誰に対して?」

「婚約相手の式谷家に対して」

「「婚約!!?」」


 僕も来未も思わず叫んでしまう。


 婚約、ということはすでに天宮の相手は決まているのではないか?


 しかしその疑問に天宮はいつになく真面目な表情で答える。


「今、天宮家には当主が不在なの。三月まではお父様が務めていたんだけど、とある理由で降りちゃって。お母様もウチの入学式の前日に他界して……今ではこの家にはウチ以外に使用人と事業の関係者の方しか立ち寄らないの」

 

 自然と視線が部屋の隅にある仏壇に向けられる。立てられた写真の人物はどこか天宮と似た雰囲気を放っている。微笑んでこちらを見つめる優しい表情は親族でもない僕の心臓を強く握ってくる。もうこの世には存在しないものだと思うと言葉にできない虚無感に取り込まれる。

 天宮本人が僕だけでなく鳩羽家全員を家に招こうとしたのも喪失感を紛らわすためだったのかもしれない。


「当主不在の期間があと一か月でも長引けばは進めていた事業の負債を抱えることになって、それこそ国家予算並みの額」

「な、そんな……。当主の存在そのものが信頼ということか」

「でしたら麻理さんが当主に就けばいいのでは?」

「たしかにウチの経営諸々の知識があれば問題なく解決できると思うよ。でも上流階級の家計には女性を家の顔にしてはいけないっていう絶対的な目録があってね。だから仕方なく他の家計と結びついて……」


 名義上の結婚で事業の信頼を保証するのか。婚約が決まり、当主が確実となれば社会的な立ち位置は確立されるわけだ。たしか天宮の誕生日は今月の下旬。負債が課せられる一か月の期間には結婚が間に合う。


「その式谷家の人と結婚すれば収まるんだろ? だったらひとまず安心と言うか、僕にこんなものを書かせなくて済むじゃないか」

 

 ぴらぴらとテーブルに残された婚姻届けを弄ぶ。


 いや、待てよ。たしか天宮はと言っていた。


「式谷家の人が嫌いなのか?」

「嫌いじゃないけど、でもあんまり知らないからちょっと……」

「ご主人様とがいいということですね?」

「お前はブレないなぁ。でも結婚年齢は法だ。いくら上流階級のボンボンにもそれは破れないんじゃないか?」

「さっき言ったじゃん。名義上の結婚があれば済むことなの。二年後の婚約でも夫になる事実が存在するだけで当主になることができる。なんの経営経験のないしゅーじんが名目上の当主になって、バックでウチが天宮を動かす。これがウチの考える作戦だったの」

「あーなるほどね。だから急にここに住まないか、とか言い出したのか。悪い。告白だなんて勘違いしてた。こんな逼迫した状況なんて知らないのに都合のいいようにことを捉えてたなんて……」

「い、いや。勘違いでもないけど……まあいっか」

「でも僕から一つ言いたいことがある」

「な、なに? そんなに詰め寄られると困るっていうか」


 天宮が危険な状況だってことも分かった。背水から逃れるためによくも知らない相手との結婚を回避するために僕との婚約をする。

 他にも賢い方法はあるだろうが、上流階級なんて異次元の世界で僕がちゃちゃを入れる隙なんてないだろう。

 しかしそんなことよりも天宮にどうしても言いたいことがあった。


「なんで悩みを打ち明けてくれなかったんだ。正直に僕に当主になれって頼めばいいじゃないか。お前がどう思ってるか知らないけど、僕は少なくとも天宮を友だちだと思ってる。隠し事しても仕方ない。でも今回は巻き添え喰らった感じなんだ。ことが済むまで何も知らさずにしらきって通すつもりだったんだろ?」

「うん……」

「そういう水臭いやり方はしないでほしい。堂々と僕を頼ってくれ」


 つい肩を掴む握力が強くなるが伝わらなければ意味がない。多少痛くても言葉以上のものを届けたかった。


「でも、しゅーじんだってウチと一時的だけどそういう関係になるんだよ? 天宮家の当主になって世間の注目を浴びて肩身が狭くなるかもしれない。だったらこの世界のことは知らないでいた方が穏便に済むかなって思ったの」

「そんなのどうだっていいだろ。まずは僕の意思を聞こうとしないところがおかしいんだ」

「そうだね……」

「わかったならいいよ。じゃあペン貸して」


 すると天宮は意外という顔で僕を見る。

 来未も驚いたのか、飲んでいた蜂蜜でむせる。


「けほっ、けほっ。今の流れだと断るのかと思ってましたが」

「まさか。さっきのは釘刺し。今回は特別だからな」

「しゅーじん……ありがとう。変なことに巻き込んでゴメン。ウチ、頑張るから!」

「バーカ野郎。天宮だけじゃないだろ。僕もだ」


 天宮の額に軽くチョップを置く。目を瞑って我慢するが笑いをこぼす。痛覚を嫌う来未もチョップだけは許して微笑む。


「でも本当にいいの? 二年後にはウチら結婚するかもしれないんだよ?」

「何をいまさら。二年後に究極の選択で悩む僕よりも、今苦しんでるお前を助けたいんだ」


 だいぶ気障なことを口走ってしまったと顔が火照るが、笑ってごまかす。

 ついでとばかりに右手を出して協力関係の証を結ぶ。


「そっか。じゃあこれから多忙になるけど頑張ろうね!」


 僕の差し出した右手をがしっと掴み、互いに握手を交わす。あ、来未だけハブらせてたわ。と思ったが天宮が来未とも握手を交わす。

 

 しかしふと疑問が湧く。僕の立ち位置はそんなに優しいものなのか?


「僕はこれにサインだけすればいいの? 他に何かすることとかない?」

「あるよあるよー。しゅーじんには当主として相応しい存在になってもらうためにあらかたの礼儀作法、天宮が従えてる子会社と進行中の事業を全部頭に入れてもらうから」

「お、おう。暗記か。まあ学校の勉強と思えば軽いもんだな」

「さすがは医学部志望! 勉強に対する姿勢は言わずもがな! ちなみに式谷家の人と対面するからその時はよろしく」


 あ、そうだった。最後の問題、現状の婚約相手である式谷は僕たちの婚姻を許して天宮から手を引いてくれるのか、が残ってる。こればかりは僕が若干不利だ。ぽっと出で参戦した一般市民が天宮家の当主に継承されるのかも疑問だし。

 

 でもとりあえずは当たって砕けていけばいい。指を咥えてしゃぶるのはもう終わりだ。僕は僕にできることをするだけだ。結果として救えるかはまた別問題なのだから。


「式谷家の方とはいつ頃対面するおつもりですか?」

「うーん。たしか文化祭の次の日かな」

「!!??」


 その言葉に僕の身体全身に悪寒が走る。完全に忘れていたからだ。「文化祭」とやらを。


 これは……今月はかなりシビアなスケジュールになりそうだ。

 かくして僕は、これから起こる怒涛のイベントラッシュに腹をくくるのだった。

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