第18話 二つの告白

 食後、僕たちはリビングを出て二階へ上がる。


 無駄に長い廊下を延々と歩き続け、ようやくたどり着いたのは木製の両開きのドア。

 前に一度だけここに連れてこられた記憶がある。そう、ここは天宮の部屋だ。


「じゃあ約束通り、守ってよ?」

「もちろん」


 短い確認をとって天宮はそっとドアを開けた。


「うわぁ……」


 来未ですら感嘆の声を漏らしてしまう。広がる大空間に存在するのは大小さまざまなクマたち。ドアの足元に二体。整頓された机の上に一体。でもって製靴にも手のひらサイズのクマ三体。窓際のカーテンに隠れるように二体。そしてレースの掛かったダブル以上の大きさのベッドにはもう数えたくなくなるほどのクマさん。それら全てがぬいぐるみなのだ。


「相変わらずだなぁ」

「しゅーじんのぬいぐるみ愛には負けるけどね。実はあれからこんなおっきいクマちゃん買っちゃったんだー」


 ベッドの奥の仏壇の横には他のどのぬいぐるみにも負けない、一際でかい、ただただでかいクマさんが鎮座していた。たしかに僕が初めて見るぬいぐるみだ。

 天宮はその大きさを見せつけるようにクマに思いっきりダイブ。人間の身長を優に超えており、全長三メートルでもあるのでは、と思ってしまう。僕のドッ君もそこまで大きくないのだが。

 腕や足、胴体には厚みがあるため、天宮の全力ダイブの衝撃をほとんど吸収してしまう。


「むふー! やっぱこの子サイコーだよ! 見てよこの包容力。ウチの身体埋まっちゃうんだよ」

 

 クマの両腕を自身の胸元に巻きつけ、あたかもクマさんが天宮をバックハグしているような構図が完成する。おまけに天宮の身体は完全に埋没してしまう。ブラウンの体躯に隠れてヌフヌフする中、ついでに鼻も利かせてスンスンとクマさんの匂いを嗅ぎ取る。

 正直、メッチャ羨ましい。ぬいぐるみの楽しみ方って人それぞれだけどやっぱりメジャーないちゃつき方はハグだと思う。逆にハグされるのはぬいぐるみの大きさに依存してしまうのでかなりマイナーではある。


(僕もドッ君にダイブして全身埋もれてみたいなあああー!!!)


 そんな妄想が読まれてしまったのか、来未が申し訳なさそうに俯く。


「すみません、ご主人様。ボクがあんなに小さいばかりに満足させることができませんでした。すみませんでした……人間になってしまって」

「ま、まあよかったじゃないか。人間になりたかったんだろ? てかなんかその言い方絶対変な誤解生むからやめて?」


 眉を八の字にして肩を竦ませるため、来未の体そのものが小さく見える。矮小な考えだなあ。

 仕方なく来未を励ましてやる。

 一方で天宮はこちらの様子に気付くことなく、でっかいクマさんとイチャツキまくってる。


「どうよこの子。もう一生養ってあげたいくらいにカワイイんだから!」

「麻理さんは熊さんのぬいぐるみがお好きなんですか? 見たところ他の動物を模したものがないのですが……」

「そうだね。もしかしたらウチ、ぬいぐるみじゃなくてクマのぬいぐるみが好きなのかも」

「そうかもな。これだけ統一されてるとマニアって感じがする。いつも思うんだけどなんでクマだけなんだ?」

「……しゅーじんってもしかして記憶力悪いの?」


 え、なんで突然の悪口?

 僕は天宮がもとから大のぬいぐるみ好きだと思っていたのだが。記憶違いだったのだろうか。

 たしか入学して間もない頃、隣の席だった天宮に声をかけたきっかけがテディーベアだったことくらいしか憶えてない。


「こんなの僕が聞くのおかしいかもだけど、あの時あげたテディーベアってここにある?」

「そんなのあるに決まってんじゃーん。ほら、枕のとこ。特等席だよ」 


 指で刺された先にぬいぐるみで溢れているベッド。その枕の上には丁度抱きかかえられる大きさのクマさん。ドッ君に似た真新しいブラウンの毛並みに包まれている。ばってん形の口がトレードマークと言っていい。

 そうだ。あれは僕が天宮に余ったからと言って渡したぬいいぐるみだ。


 天宮はでかいクマさんから離れ、例のぬいぐるみのもとへと歩み寄る。そっと軽く持ち上げては懐かしむ目で語り出す。


「ウチね、高校入学した直後はちょっと病んでたんだよ。自分から笑えない、亡き骸みたいだったの。しゅーじんは憶えてるかな?」

「憶えてるも何も、そんなふうには見えなかったけどなぁ」

 

 呆れたとばかりに首を振る。


「どうせ’’天宮’’って聞いて委縮してたんでしょ?」

「まあ、お淑やかと言うか物静かで話しかけづらいな、とは」

「物静かな麻理さん……想像できないです」

「いろいろあって、人間不信みたいになっちゃって……。でもそんなウチにぬいぐるみくれたでしょ? ゲーセンで同じの二体取れちゃったからって片割れ、このテディーベアを」

「製靴を床に落とさなかったら見せもしなかったんだけどね」


「でも嬉しかったの。たとえ偶然でもウチに向き合ってくれる人がいるんだなって。こうして今友だちができてお喋りしてお昼も一緒に食べたりするのも、しゅーじんとこの子のおかげなんだと思うの」


 天宮の頬が桜色に色づいて見える。


 そうだったのか。僕は天宮麻理と言う人間が抱えているものをまったく把握していなかった。だからいつも分け隔てなく明るく接する天宮が素の姿なんだと思い込んでいたのかもしれない。


 放課後ゲーセン帰りに忘れ物を取りに学校に戻り、たまたま製靴を落として中身をぶちまけ、取ったばかりのぬいぐるみを迎え待ちの天宮に見られてしまった。

 たったそれだけの偶然であげたテディーベアが一人の少女を救ったなんて、実感が湧かない。


「やっぱりご主人様はぬいぐるみだけでなく、お友だちにも優しい人間なのですね! 素晴らしいです!」

「うんうん。しゅーじんはウチの自慢のトモだから」

「おい、そんなに言われるとさすがの僕でも……」

「「僕でも?」」

「……なんでもないよ」

「あ、チキッた! しゅーじん、そこは恥ずかしがることないってー」


 うるせえ。

 肘でつつく天宮に心の中で毒づきながらも、顔に出た面映ゆさが隠しきれないことに気付く。


(これだから人間ってやつは……!!)


 天宮は愉快に笑い、来未はなぜか小首を傾げている。

 人間とは複雑な生き物だ。こんなに鬱陶しい気分なのに恥ずかしいわ、でも楽しいわ。相容れない二つの感情が表れてしまうのだから。

 そう考えながらも僕も苦し紛れに苦笑したのだ。

 

「ハハハハハハ。ねえしゅーじん」

「ハハハハハハ。なんだい天宮?」

「渋ってないで約束、守ってよ」

「ハハハ…………アッブねえ忘れてた」

「言わんこっちゃない!」

「あの、先程から気になっていたのですが、お二人の言う『約束』とは?」

 

 そういえば天宮との約束はショッピングモールで会った時にできたものだ。来未が知らなくても仕方がない。


「実は昨日、天宮に来未の服の選抜を頼む代わりに言うことなんでも一つ聞くって約束したんだ。で、本来あそこのゲーセンで僕が一体取ってやるつもりだったんだけど……」

「もうっ。で疲れたなんていうから今日まで待ってあげたんだから。だからしゅーじんが自慢してたこないだのクマちゃん、サンダースちゃんを所望したの」

「え……? ご主人様、まさかサンダースさんを渡すんですか?」


 渡すわけないよな、と言うかのような驚きの表情で僕を見つめる。そんな詰め寄られると困るんですけど来未さんっ!

 しかし翠眼の瞳はしたたかに訴えかけるように僕を離さない。クロノスタシスのような感覚に陥る。袖を掴まれる握力に気圧され弱い声しか出ない。でも、


「悪い。これは決めてたことなんだ」


 来未の訴えには応えられない。そこまでサンダースに思い入れがあるのだろうか。必死な表情を見ると心が痛む。そっと視線を外す。


「うーん。そんなにせがまれると快く受け取れないなー」

「なんかごめん。まあ来未もそのうち許してくれるさ」

「それじゃあよくないよ! 妥協はしゅーじんの悪い癖なんだから! てことでウチに一つ提案があります!」


 いつになく凛とした声で喋る天宮。まさに鶴の一声とばかりにその場が静まり返り、その提案を待ちに待っている。

 そして天宮の口が開き、




「ウチに住めばいいじゃない!!」




「「…………は?」」


 静寂を切って豪語するのがまさかの居候案件だったことに草生やしたるか。生えたなら、燃やしてやろう、鳩ポッポ。

 とまあ冗談置いといて天宮は今、正気でもないことを口にしている。もしかして僕と菜々野の喧嘩の時みたいに雰囲気を和ませるためのジョークだったりするのかな。

 ちょっと話に乗ってみようかしら。


「じゃあそうすればいっか。母さんのご飯が恋しくなるけど天宮の料理も絶対飽きない絶品だったし。なにより来未もサンダースと別れなくていい。こんな快適な家に住めるなら喜んでー」

「しゃああああ!! しゅーじんは見る目あるよ。わかってくれたかい? ここは優良物件なんだよ! アピールした甲斐あったよー」

「え、ご主人様!? 本気ですか?」

「ほら来未ちゃんは? どう? 住んでみない? ここでっ! もちろん菜々野ちゃんも

「こ、怖いです……。でもご主人様がそう言うならボクもそうさせてもらいます」

「しゃああああああああらあああ!!」

 

 鼓膜を潰す勢いの雄たけびを上げ、ガッツを掲げる天宮。変な飲み物でも飲んじゃったのかしらね?


「じゃあしゅーじんっ」

「は、はい」

「ここに座ってサインを」


 天宮の勉強机に座らされ、目の前に一枚の書類と磨きの入ったボールペンを出される。トントンとサインの箇所を指で刺され、その通りに書こうとする。ん? サインだって?


 横長のA4用紙に書かれた文字の羅列。最初の段落の太字をよく読むとそこには、


「なあ天宮。『婚姻届け』って何?」

「え、こんいんですか! 昨日お母様のおっしゃっていた!」

「……え~。なになになんのこと? ウチ知らないよー。とりあえず名前書いちゃって。さっ!」


 女子とは思えない力で僕の非力な腕を掴んではニコニコ笑顔で無理やりサインの空欄に書き込ませようとしてくる。この天使、まさか堕天しているのか!?


「ちょっ、お前は何がしたいんだよ!? もう十分僕のリアクション芸は楽しんだんだろ! こんなジョークに付き合った僕が悪かったから!」

「これはジョークじゃないの! 本気なの!」


「「え?」」


「住みたいんでしょ!? だったら書こうよ! 鳩羽修司ってさあ!」

「え、お前僕と結婚したいの?」

「そうだよ! だから書k…………ジョークに付き合ってたって言った?」

「う、うん」

「ここに住むって言ったのは?」

「僕が『愛の楽園』を見捨てるわけないじゃないか」


 口元をわなわなさせてすっかり青ざめてしまった堕天使アマミエル。僕が堕としてしまったのか。

 すると顔からケトルかやかんの如く蒸気を放出し、その場に蹲る。指で肩を突いても余計身を縮こませてしまう。両手で顔面を隠す姿はアルマジロのようだ。


 ちなみに来未はこの状況についてこれず混乱している。なんか思った方向とは真逆の方向へ話が進んでいる気がする。

 とりあえず悶える天宮の真意を問い質す。


「えーと。それはある種の告白と解釈していいのかな?」

「こ、こここっ、くはっく。なのかもね?」

「こくはっく、ってことはまさか僕のこと……」


 僕の発言に羞恥を爆発させた天宮は襟元に掴みかかり、体を前後に激しく揺さぶり始める。天宮って結構力あるんだな。軽い脳震盪のうしんとうを起こしそうだ。


「ち、違うから~! いや、違くはないけど! とにかく違うんだって!」

「麻理さん落ち着いてください! そんなに揺らすとご主人様が酔ってしまいます!」

「だって……こんなの予想外だったんだもん」

「どうしてそんなに苦悶するのですか? 好きであるならなにも暴れることなんてないじゃありませんか」


 来未が諫める形で僕との間に割って入る。おかげですこしばかりだが揺れが控えめになる。

 天宮は羨望の眼差で来未を見つめる。口元にわずかながらに笑みが浮かんでいる。


「来未ちゃんはホント、しゅーじんのこと好きだよね。『愛』なんて単語も躊躇なく連呼できちゃうし」

「え? それが普通じゃないんですか?」


 突然、天宮の揺さぶりを完全静止する。僕もその発言には立ち尽くすしかなかった。


「来未ちゃんってメンタルばり強いね。なんか羞恥心が皆無というか、ねえ?」

「たしかにな。今日だって朝一番にキスされて……」

「え、なんて!!?」


 僕は慌てて滑らした戦犯の口を塞ぐ。

 そういえば来未は鳩羽家の家族ということだけあって血縁関係がどうとかは一切話してない。もちろん血縁関係なんてないんだけど。その裏事情を一切知らない天宮に、身内とキスするなんて事実が発覚した日には極刑に課せられるんじゃないかな。


「身内と、しかも超絶美少女の来未ちゃんと……キス?」

「いや違うんだ! これは言葉の綾と言うかなんというか」

「何も違いませんよ。ボクは昨日と今日で計33回ご主人様とキスしました」

「33回!! しゅーじん! 表出よ? 今すぐに!」

「待て待て天宮落ち着け! 来未は話盛るな!」

「盛ってなんかいませんよ? ちなみに内訳はボクから二回。ご主人様からの熱烈なキスを31回という感じです」

「許せん……許せんぞしゅーじん!! ウチというのがありながら来未ちゃんとキスするなんて、サイてー!」

「なんか、もうヤダ…………」


 その後、無秩序な修羅場をなんとか収集させるのに多大な労力を費やしたのは想像に難くないだろう。

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