第17話 罰と言う名のご褒美
――1日目――
「来未、その、もうちょっとかがんでもらっていい?」
「はい。えっと……こうですか?」
白い背中を大胆に見せながら、前かがみになる。濡れた髪を耳にかけている後ろ姿に眼が惹きつけられてしまう。身を隠すものが何一つない状態で僕たちはお互い裸だ。
「そうだ。じゃあいくぞ」
背中の中央を背骨に沿って上からなぞっていく。続いて右側面。掌全体で包むようにして下からゆっくりと……
「ひゃうん!」
「ちょっ! 変な声出すな! 触っただけだろ!?」
「そこっ、くすぐったいですっ。でもなんか、気持ちいいです……」
「いいか? これはまったくやらしいことじゃなくて正当な理由があっての行為だからな?」
「やらしい? お風呂とはお互いに体を洗い流し合うものではないのですか?」
「ごもっともです」
そう。今僕と来未がすっぽんぽんの状態でいるのは我が家のお風呂場なのだ。
荘兼寺から帰ってきた直後というだけあって汗がべたつき不快感がつきまとう。
また来未は山から落ちたりしたため、泥が髪や服の中に入っていた。帰り道に多くの人の目を独占していただろう。悪い意味で。
「そういえば、ナノちゃんの服を汚してしまいましたね。謝らないとです」
ふと脱衣所で来未の着ていたTシャツを思い出す。背中は土まみれ、左わき腹部分には穴がポカり。その縁は血にまみれている。一体どうなったらそんなふうになるのだと思いたくなるが仕方がない。
「そうだな。でも今回ばかりは正直に話しづらい内容だな。来未の命が狙われたなんて菜々野が知った日には颯汰の死体が用水路で発見されるな」
「それは笑えない冗談ですね」
「ありえそうだから笑えないんだよ。まあ菜々野には何とかオブラートに包んで言うけどさ」
そう言いつつ、来未の背中を済ませてしまった。次は前なんだが……
「じゃあ来未、前の方は自分でやってみて。爪は立てずに優しく撫でるように」
「あの……もうちょっとご主人様に触られたいです。お願いできませんか?」
「できません」
「ほら、ボクはご主人様の愛がないとまたぬいぐるみに戻ってしまうんですよ? この機会に『愛』を頂けないとボクが困ります」
振り向いて僕を上目遣いに見ては駄々をこねる子供のように泣き目になり、こちらがいじめているのではという錯覚に陥る。いつもなら正常に働く倫理観と理性がメーターを振り切って壊れる。
シャンプーを一押し。両手で泡立てて白く輝くやわ肌に触れようと――――――
「ってあぶねえ!! そんな罠に引っかかると思うなよ!」
あと少しで来未の豊潤な二つの丘を侵犯してしまうところだった。いや、ほんの少し先っちょが当たった気がするけどすぐに撤退に応じたので大丈夫だ。
しかし来未は要望を頑なに拒む僕に頬を膨らまして不満を表現する。
どうやら自覚がないようだ。家族とはいえ、思春期真っただ中の僕に女子の身体を洗えだなんてほぼ生殺しに近い。二日連続で朝開口一番に女子の裸を見るってのも、クラスの男子が知ったら血の涙を流すだろう。
まあぬいぐるみには裸なんて当たり前なんだろうけど。人として生きるのなら性についてしっかりみっちり教え込まなければならないようだ。
ブラウンの髪をしゃかしゃか洗ってやり、なんとか来未を言いくるめて体全体を洗わせることができた。その後、バスタオルでも腰に巻いておけばよかったと後悔しながら僕も体に泡を塗りたくる。妙に来未の視線が僕の股の間に集中していたのは気のせいだと思いたい。
まあそんな調子で『来未タスクそのX。お風呂に入りましょう』を達成できたのだ。
「来未ちゃんの経歴どうする?」
風呂から上がったばかりの僕たちにそう聞いたのはリビングでくつろぐ母である。絶賛個人情報創造中とのこと。
「この外見で日本人ってのは通るかな? 名前はバリバリ日本人だけどね」
そう言って僕は先日天宮に言ったことを思い出していた。来未の正体を何の脈絡もなしに看破されてすっかり狼狽してしまい、出まかせに「海外から来たばかりの帰国子女」とその場しのぎの設定を言っていたのだ。
その旨を伝えると母はげんなりとした表情で 肩をすくませる。
「海外渡航歴はちょっと厳しいんだけど……」
「だよねー」
いや、待てよ。別に天宮には来未の実情を知られても問題はなかったんだ。結局すべて僕の作り話だということで会話は変わってしまったが。
「ちょっと電話してくる」
「誰に?」
「天宮に」
すると母はにやけながら僕と来未を見ては「あら、三角関係?」なんてぬかす。黙らっしゃい。
一旦廊下に出てからアイコン名:天宮に発信。
たったワンコールで我らが大天使アマミエルが登場。聞きなれた猫なで声がスマホから流れてくる。
『もしもーし。やっほー、しゅーじん。そろそろ約束守ってよー? ウチってばっ昨日からメッチャかんかんなんだけどー?』
おっといつもの天使スマイルではなく堕天使スマイルのようだ。そういえば例の約束を延期にしたままほったらかしにしていた。
「ごめんごめん。ちなみにいつなら空いてる?」
『今日の午後ならいつでも』
「今日か。いいよ。お昼食べたら行く」
『忘れ物しないでね? じゃっ、バイバーイ!』
「ちょちょちょちょ!! まだ話があるんだけど!?」
『え~? まだ何かあるの?』
「その、来未のことなんだけど……」
『あ、そうそう! あれって結局どんなマジック使ったの?』
「…………え?」
『急にいなくなってドッ君にしちゃうんだもん! びっくりしたよー。しゅーじんが手品師目指してるなんて知らなかったなー』
こいつ今なんて言った? ドッ君? 手品?
しかしたった数秒でその意味が分かった。
……どうしよ。試着室で起きた騒動を僕の手品ということで片づけてる奴がここにいる。天宮って普段学業の方は冴えてるのにこういうときに限って頭悪いんだよな。
『ねえ、今ウチに対してすんごい失礼なこと思ったでしょ』
「そんなことないよー。大丈夫お前はすごく頭がいいよなー」
鋭い読みに図星を突かれてしまい若干棒読みになってしまったが、なんとか機嫌を取ることに成功。
しかしこうなると今更のように手品説を取り消すのは難しそうだ。言った瞬間に「やっぱり失礼なこと考えてたんじゃん。しゅーじんのバーカ」と言われかねない。
穏便に済ますためにひとまずここで電話を切ろうとする。
『あ、じゃあ来未ちゃんも連れてきてよ! それで一緒にお昼食べよーよ』
「ちょっと待って。母さんに聞いてみ……」
リビングに戻ろうとして振り返ると、リビングのドアから母がこちらを覗き見ていた。通話の内容が筒抜けだったのか、僕と目が合うとすかさずオッケーのサインを出す。ゴースティングレベルいくつだよ。
「大丈夫だってさ。じゃあいまからそっち行くけど」
『来未ちゃんをこっちまで来させるのはウチが許さないから車向かわせるねー』
「お、おう……」
『じゃねー』
「またあとで」
バツ印をタップ。通話時間は2分半。
まあ天宮に直接事情を話してもいいと思い、来未には僕のおさがりを着せて再びニート姿へ。髪の毛を乾かしてやったりと、外出の支度をするのだった。
――――天宮。
この苗字の家計は日本全国で見てもそこまで珍しくないが、この町では最も地位が高いとされる家計である。たしか嫁いだために変わったのではなかったか。もともとの苗字を知らないが、それでも我が校の天宮麻理は正真正銘のご令嬢だ。
資産運用の会社を従え、株式会社は軽く100を超えるのだとか。そのうえ地域発達を本格的に計画事業したりと規格が大きいことでも知られている。近頃当主の再選の噂が絶えなかったが、それでも信頼という社会のザイルは擦り切れることはなかった。
「わあ……おっきいですね。本当にここが麻理さんのご自宅なのですか?」
「そうだとも。聞いたら400坪はあるってさ。初めて招かれた時はマジで場違い感半端なくて帰ろうかと思っちゃったもん」
黒い車に乗せられて着いたのは天宮低。重い鉄の門を開通し、レンガの敷き詰められたネープルスイエローの道を歩いている。緑の整った庭に立つ二体の純白の天使像の股間から水が出ている。
何度見ても広すぎる。一般市民が踏み入っていい場所ではないのだ。なんかこういう場所って黒づくめの男二人が扉の前に立ってたり、急に目の前の道に赤外線センサーのスパイアクションを要求されたりとかありそうで身震いしてしまう。
そんなテンションで聳え立つガラス張りの家を見上げる。あれだけ庭が洋風なのに肝心の家がまさかの四方八方にガラスが張り巡らされているオフィスビルみたいだ。立体的すぎてホントに家なのかが疑わしくなる。
案内人らしき人もいないため、取り敢えずインターホンを鳴らしてみる。
『はい。どちら様でしょうか。お名前とご用件をお伝えください。ファックスはピーという発信音の後、送信してください』
「えーと。天宮麻理さんにお招きいただきました。自分、鳩羽修司と申します。連れの犬養来未も一緒です。ファックスは…………なあ、このやりとり毎回やるの?」
するとインターホンから突然吹き出し声が聞こえてくる。かしこまった礼儀は微塵もない。
『いやー、面白いじゃん。むしろこのやりとりに違和感を覚えずにできたら通すってことで』
「令和の時代なのにシステム認証の欠片もないな!」
謎のやり取りに首を傾げる来未。これから社会について教えることがあるというのに変なことに記憶の容量を消費させてたまるか、と密かに胸に誓う。
縦三メートルは優に超えるスライドドアが開けられ、僕たちはまたおどおどしながら家の中へお邪魔する。冷房の送風に当てられてこの空間の快適さを思い出す。華やかに彩られた玄関で靴を脱ぎ、用意されたスリッパに履き替える。
「やっほー。二人ともご足労だったね」
玄関の右に掛けられた階段から一人の少女が下りてくる。麗しい黒髪をなびかせてステップする姿はまさに百合であり、そして高嶺である。ライムイエローのワンピースを上品に着こなす天宮に手を振る。
「おっす天宮。待った?」
「やっほー来未ちゃーん。昨日ぶりだけど相変わらずニート服なんだね」
「こんにちは麻理さん。お洋服が届くのは明日ですね」
僕の挨拶に見向きもせず、来未に抱き着く。
うん。女子ってまず同性の友だちと触れ合うよね。べつにスルーされたからって悔しくないし。ホントホント。
と思いきや忘れてないぞ、とこっちを振り向いてウィンク。さすがは我らがアマミエルだ。
「昼食はもう用意してあるから。こっちついてきて」
天宮のあとをついていき、たどり着いたのは尋常でない広さのリビングであった。こちらも例にもれずにガラスが張られているのだが、なんというか装飾としても際立った透明度を誇っているので清潔感がある。外観はほとんどオフィスビルだったが意外なことに内部のほとんどが木製なのだ。おかげですこしだけ緊張感が和らぐ。
「ほらー。座って座ってー」
ポンポンとリビングの中央に位置する横長のテーブルを叩き、内装に気を取られていた僕たちに椅子を出してくれる。天宮を挟んで隣り合うように座る。
「え、まさかこれ全部、天宮一人で作ったの?」
「えへへー。そだよ」
食卓に並べられる色とりどりの食。洋食に彩られ、口からはアミラーゼがどんどん溢れてきているのが分かる。
ほどよい焼き加減の切り分けられたバスケット。新鮮な輝きを放つレタスにミニトマト、そしてパウダーチーズが粉を吹く。オニオンが甘く香り、夕焼け色に輝くスープ。そしてなによりメインディッシュのハンバーグ。デミグラスが肉の焼き色とマッチしては肉汁と混ざり合う。嗅覚から惑わすこの手抜き一つない完璧な料理、ナイフもフォークも突き刺すことすら躊躇いたくなる。
「こんな料理を僕が食べてしまうのか……」
「冷めないうちに食べちゃおーか。ほらしゅーじん、口空けて?」
「もぐもぐ。なんふぇ?」
「……なんでもう食べちゃってるかな」
「あの麻理さん。これにはお箸は使わないのですか?」
「え、まあ洋食だし使わないかな。でも使いたいならウチが持ってくるよ」
そういえば来未には和食洋食の違いとか、そもそも箸に関しては持ち方だけしか教えられてないのだ。これでは今制作中の『来未タスク集』が恐ろしい分量になりかねない。忘れないうちにメモメモっと。
スマホを起動し、メモ機能を使おうとしたのだが、刹那に隣の天宮から鋭い眼光が刺さる。
「ねえしゅーじん。お食事中はケータイ触っちゃダメって言われなかったの?」
「あ……、すんません」
本気で笑ってない天宮はいつぶりだろうか。いくら僕にとって重要なことでも友人が汗水垂らして精一杯作ってくれた料理だ。それを蔑ろにしかねない無礼極まりない行為だったわけだ。
「いや、本当にごめん。謝っても済む問題じゃないけど、ごめんっ」
テーブルに打ち付けるように何度も頭を下げた。
その甲斐あってかなんとかいつもの天宮の調子に戻ったのだが、
「じゃあそんなしゅーじんには罰を受けてもらいますー。パチパチパチパチ」
「え、そんなっ。麻理さん、どうかご主人様を許してください!」
「まあ見てなってー」
「「??」」
なにやら含みのある笑みを浮かべては、僕の食べかけのハンバーグの一片をフォークで連れ去っては
「はむっ!!」
大きく頬張って見せる。そしてドヤ顔。いや、仕方ない。これで済むなら僕の心も救われたってことだ――――
「でもウチってそこまで鬼じゃないからさー。ほら、お口空けて?」
訳も分からずに言われた通りにする。すると天宮はまた僕の皿からハンバーグを一片フォークで突き刺し、そのまま僕のあんぐりと開けられた口の前に突き出す。
「あーん」
余った左手は僕の腿に乗せられ、完全に体重を預けられている状態。目の前にはハンバーグとともに映る天宮の顔。食欲をそそる肉の匂いと黒髪から香るフローラルが拮抗し、この状況が執行中であることを忘れさせてしまう。
(鼻先一寸という至近距離でまさかのあーんだと!?)
もぐもぐしながらたじろぐ僕を天宮は腹を抱えて笑う。また仲間はずれな来未は指をくわえて羨ましそうな表情でこちらを覗く。
「いやー。やっぱり男子のその照れる表情って面白いねー」
「麻理さん、今のは一体何ですか?」
「来未にはまだ早い。もうちょっと大人になってからだな……」
ワイワイぎゃあぎゃあ。何分間と続く食事にスープが冷めることも、談笑が途切れることはなかった。
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