第16話 来未の謎解説講座

「こ、ここは……?」


 颯汰の霊能によって傷が癒え、意識も取り戻した来未。木陰と心地よいそよ風に当てられながら体力も回復したようだった。


「ごめん。遅くなった。ただいま、来未。体調はどうだ?」


 開口一番に僕の顔を見たからか、いきなり腕を広げて飛びついてきた。

 来未を強く抱きしめてやると無性に泣き始める。


「ご、ご主人さま……。ボクは帰ってきたのですね」

「うん。ごめん。待たせちゃった」

「ホントですよ! いつまでボクをあのままにしておくのかと思えばお友達と仲良くお喋りしだすんですよ! 酷いです! 責任取ってください!」


 怒りが暴発したにしては最後の要求は謎である。責任と言ってもなにをすればいいのやら。


「まあ落ち着けや、生霊。あとくっつきすぎだ」


 颯汰が冷静に暴走する来未を止めに入る。すると怒りの矛先は来未へと向く。


「先程はよくもやってくれましたね颯汰さん! 痛かったですよ! 死ぬかと思いましたよ!」

「なるほど、受肉した霊には痛覚が存在するのか。こればっかは知らなかったぜ……。メモメモっとぉ」

「ムッキー!! ご主人様、この人まったく反省してませんよ! どうにかしてください」


 あ、こんなに腹を立てる来未は逆にレアかも。なんだかんだで和やかな雰囲気に戻りそうだ。


「ご主人様。どうして笑うのです。ここはボクを助けるべきではありませんか?」

「あ、ああ……。なんだろ。このつるみ、なんか見てて楽しいわ」


 笑いといっても苦笑に近いが。おかしなものだ。

 しかしいつまでも本題に入れないのはこちらとしては勘弁してほしいため、颯汰には話の姿勢を変えるよう頼む。


「まあそうだな、俺が君に要求するのはただ一つ。悪霊じゃねえって言えるようなことを見せてくれ。そもそもただのぬいぐるみがどうして受肉したんだ?」


 涙を拭い、問われた質問に丁重に答える。


「ボクは長い間、ご主人様の愛を賜ってきました。ですがいつまでもぬいぐるみのまま、愛される側の存在は嫌だったのです。いつか人となってご主人様を愛し返したい。その願いが成就して受肉に至ったのだと思います」


 少しも考える仕草を見せることなく言い切る。

 たしかにそんなことを言っていたような気もする。愛されるだけでは物足りない。なら人間になればいいじゃないか。

 かなり突飛な考え方ではあるが、結局その理由で受肉したという確証はない。


 颯汰も同じことを思ったのか、難しい顔を作っては考え込む。


「生霊が受肉するなんて事例がほとんど存在しねえからな。動機はともかくとして、じゃあ本気で修司を、その……愛してることがわかるようなことをしてみてくれ」

「はあ?」

「わかりました! そんなの朝飯前ですよ」


 手をコキコキと鳴らして僕との距離を縮めてくる。ちょっと来未さん? 顔が近いですよ?

 後ろに逃げようとしたが来未の手が僕の顔を挟んで固定してしまう。

 汗ばんでいるもののドッ君本来の匂いは失われておらず、僕の頭を甘く溶かしていく。濡れた髪に日があたり、眼を眩ませるほど煌めく。

 そして瞳を閉じ、恥じることなく唇を奪おうとする。


「タンマタンマ! ストップ来未」

 

 唇が重なる直前でなんとか手を割り込ませることに成功し、僕の貞操を守ることができた。


「うみゃっ!? どうして止めるんですか? 今朝といい、どうしてボクのちゅ~を頑なに拒むのですか!」

「そもそも颯汰にそんなもん見せられるかぁ!! もっとあるだろ。手を繋ぐだとかハグするとかさ。来未ってキスしかできないの!?」

「うわ。レベル低い発言。さすが人間の彼女ができない男」

「ほう。言ってくれんじゃねえの。颯汰こそ恋愛観ゼロのくせに」

「へっ。悪いが俺はその手のものは勉強中でな。ぶっちゃけ出来立てほやほやのカップルの真似されてもなあ。望むならそうだな……Bくらいだ。修司がCをやるわけがねえし」


 ひらひらと手を振り鼻を高くする。そのうえ突然謎のアルファベット指定をされたのだが。皆さんどういう意味か分かりますでしょうか。僕には微塵もわかりまへん。


「そう困惑されちゃあなんも言うことねえ。お前らにイチャイチャを求めてないし」

「え? そうだったんですか?」

「「そうだよ!!」」


 はあ。この駄犬はどこまでいけば自分が基準点からズレてることに気が付くのだろうか。普通に言葉とかそれっぽい甘い目線で誤魔化せばいいのに。


「あ、ご主人様。その傷……」


 来未のキスをガードするために出現させた右手に見知らぬ切り傷が見える。血が滲み出ているだけの細い傷だ。たぶんこの坂を往復している間に草木に擦れたのだろう。あまりに些細な怪我だったため気づかなかった。


「ホントだ。でもただの切り傷だし大丈夫だろ」


 颯汰も大したことじゃないと慌てる来未にそう言うが、


「だめですよ! これじゃあご主人様のお肌がっ! ボクを撫でるときに開いてしまうじゃないですか!」


 余計に慌てふためく。そんな物騒なことにはなりはしないが怪我を案じてくれるのは素直に嬉しいものだ。でもナチュラルに僕が来未を撫でることになっている件についてあとで話があるのだが!


「ありがとう。でも心配いらないんだって。このくらい……」

「いいえ! このくらいだろうがどのくらいだろうがボクはご主人様についた傷は一ミリたりとも看過できません! 待っててくださいね」


 そう言うと来未は、傷のある手を優しく包み、胸元へ引き寄せる。来未の温かい体温が直に伝わり、意識そのものが引き込まれそうになる。


 そして小さくこう唱える。



――痛いの痛いの、飛んでってください――



 手に伝わる体温は次第に上昇していき、来未自身が熱くなっていることに気が付く。しかし熱く感じるはずなのに、どこか懐かしくて恋しいような不思議な感覚がした。

 

 そして僕は信じられない現象を目の当たりにする。

 来未の胸元が赤い光を灯し始めたのだ。その光は僕の右手をも包み込み、あろうことか傷の箇所に集中して集まる。

 

 凝縮した光は溝を埋めていく。痛みはなかったのに今は日向にでもいるかのような癒しを全身に感じる。

 やがて光は消えていく。来未の胸元から光の粒子が出てくることはなかった。


「ご主人様。痛くないですか?」 


 来未から解放された右手をまじまじと細部まで確認する。

 傷は消え、つなぎ目なんかもない。色も僕の肌と同じ。つまり、僕の傷は完璧に治されてしまったのだ。


「痛く、ないけど……」


 今まで一体何が起きていたのかがわからず混乱してしまう。目の前の少女にほんのちょっとのかすり傷を一瞬で治されてしまったのだから。まるで時間でも巻き戻しているのではと疑うほどに完璧なのだ。傷口は閉じるのに開いた口は塞がらないとはこのことだ。

 しかしこの状況を客観的に見ていた颯汰は驚きもせずに頷いているだけ。


「なるほど。君の存在理由、修司とともにいる動機もすべてわかった。そしてそれ以上に君が悪霊じゃないことも把握した」

「ちょっと待ってくれ! なんで!? え、なんでどこの要素で!?」

 

 淡々と語る颯汰をスルー出来るわけでもなく、僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。いや、来未に対する見方が改善されたのはいいことだ。そもそもそれが目的だった。

 しかし情報処理が一切片付いていない僕からしたら、先生にだめだしされ続けた挙句投げやりにやったら褒められた、みたいな現象としか認識できていない。


「修司に今のが理解できてたら俺の霊能力者としての立場が危ぶまれるんだが。まあいい。説明してやる」

「……頼んだ」

「この子が修司を治癒した時に見えたんだ。光の奥に存在する一つの感情。それが……」

「はい先生ー。なんで来未が僕の傷を治せたの?」


 来未も同様の疑問を持っているようで、うんうんと頷いて同感の意を示す。


「ン? ああ、あれは霊能だ。功力なしの霊特有の、な」

「幽霊さんにも霊能というのは使えるものなんですか?」

「まあ最後まで聞いてくれや。たしかに霊能は俺みたいに死ぬほど修業してようやく使えるようになる代物なんだが、霊自身が原動力とする、前世もしくは現在の感情を媒介にしても使えるんだ」


 しばらく頭の中を整理する。なんとかついていけている。

 

「で、その感情がこの子が善って何よりの証拠だったわけなんだが。原動力になってたのが、まあ本人がおっしゃってたように……『』なんですわ」


 最後の一言に頭が弾け飛ぶ。「愛」が来未の原動力? 

 いや、たしかに来未は僕を愛したいがために人間の身体を欲した。そして現に受肉している。動機と完全に一致する。


「修司に対する感情の高まりがあったから霊能を使って傷を癒せたんだ」

「ほら見たことですか! ボクはご主人様をこの世で一番に愛してますから当然ですよ!」


 今までなかった肯定コメントに自慢気に誇っては興奮する来未。わかったから。あとでたくさん褒めてやるから座って落ち着こうか。


「生霊は原動力がなければ生きていけない。たしか修司、昨日初めてこの子が受肉、人化ひとかしたんだよな?」

「うん。でも昼頃に突然倒れたかと思えばまたぬいぐるみに戻ってたんだ」


 正直もっと穏やかに戻る演出があってほしかったんだが、と今更のように思う。こちとら天宮にAEDの使用責任をでっち上げられたんだからな。

 

「てことは、修司のぬいぐるみに対する愛が受肉できるレベル、『限界点』まで達すると来未ちゃんになる。でも逆に来未ちゃんが貰った愛を、人間として過ごすうちに消費していくと『限界点』を下回って受肉を保つことができない」

「「なるほどー!!」」


 つまりだ。僕がドッ君を貰ってから一昨日までに蓄積された僕の――なんか言うの恥ずかしくなってきたが――「愛」がようやく人間になれる量になった。『限界点』を超え始めたということだ。

 しかし昨日、来未には様々な事件が起きた。

 ショッピングモールへ行けば人がゴミだったし、見知らぬ男たちに一方的に話しかけられるわ。疲労が重なり『限界点』を下回ってついには来未を維持できなくなったのか。

 おそらく人が生きていくのに食事をするのと同じように、来未は僕の愛がなければ生きていけない。


「もしかして来未が昨日、脈が止まる前に言ってたのって……」

「ご主人様の愛が欲しかったからおねだりしてたんです。ああやってぬいぐるみと同じようにしてくださると、なぜだか力が漲るんです。とくにちゅ~は格別です!」

「へ、へえー」

「お前も苦労してんだな……」


 颯汰が気の毒そうに僕を励ましてくれる。要らん心配だ。


 しかし何はともあれ、颯汰に来未の存在を認めてもらえたわけで今日の目的は完全に制覇できた。持つべきは親友とはこういうことなのだと、改めて思った。


 これにて撤収、と言いかけたところで颯汰が僕を引き留める。


「なあ、お前に一つ聞きたいことが二つあるんだが」


 来未に背を向けていつもより声量を落としているあたり、彼女には聞かれたくない話なのだろう。


「来未ちゃんの依り代よりしろ、ぬいぐるみはお前が作ったのか?」

「いや、昔貰ったものだけど。ちなみに昨日、その子のお父さんに会ってさ。ぬいぐるみが人になったことを教えたら珍しくたまげてたよ」

「そうか…………」


 そんなことを聞いてどうするつもりなのだろうか。質問の意図が読めずに困惑していた。

 再び颯汰は声を抑えて話しかける。


「じゃあ来未ちゃんの胸の大きさは?」

「よし来未帰るか!」


 必死な呼びかけを振り払って僕と来未は再び350階段を下りて行った。クソ! これも霊能とかでなんとかなればいいのにな!

 

 でも颯汰の一つ目の質問が胸に引っかかって後味の悪い感じがした。

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