第14話 流血

「ちょ、ちょっとタンマタンマ!!」


 獲物を捕らえて離さない眼光に睨まれて僕ですら怯んでしまう。あの目は本気だ。何回か颯汰そうたの悪霊討伐に付き合ったことはあるが、あの表情になった颯汰は一切の隙がない。地に頭をつけて懇願しても報われた霊はいなかった。だから、


来未くるみ! 逃げろ!」


 恐れ慄く来未の背中を押して山から脱出するように命令する。


「で、ですが! っく……足が、うまく動きません……」


 先程まで正座の姿勢を維持していたため痺れたのだろう。一歩踏み出す度に膝から崩れ落ちる。


 颯汰はその隙を逃さんと一歩詰め寄り、同時に懐から三枚の黒い札を取り出す。宙にばら撒き、短く唱えると三枚は意志を持ったかのように空中を飛び始める。たしかあの名前は「式神」だったか。それらは来未目がけて飛来する。触れられてしまったら最後、魂が摩耗されて霊を死へと追い込むのだ。 それはまた人である僕も例外ではない。


「クソ! こうなったら……」


 立ち上がれない来未を無理やり肩に担ぎ、行きの階段とは逆方向に走り出し、古びた寺を迂回する。ここは三百五十段階段で、標高約五十メートルに位置する山だ。木々や丈の長い雑草が生い茂る獣道を下ることになるが、階段では一方通行になっているため追い付かれてしまうリスクが伴う。

 地面から浮き出た太い根をまたぎ、ぬかるんだ土の上を慎重かつ音速で駆け抜けて山を下っていく。南の階段側とは違い、北に面するこの坂は一切日が当たらない 。身動きが非常に取りづらい湿地帯だ。

 

 式神を操るため、颯汰は坂を下らずに功力くりきを念じ続けているようだ。

 功力は僧が修業することによって得られる非科学的な力であり、颯汰の霊能力の原動力でもある。

 しかし功力が霊能力に使えるのには条件がある。

 一つは日が沈み切った夜でなければならない。だから日が出ている間は霊の討伐などを行わない。

 ではなぜ日中の今、式神を操ることができているのか。

 そこで二つ目の条件。でなければ功力は時間帯に左右される。即ち、寺の敷地内にいれば日中であろうと関係なく功力を扱える。

 颯汰がわざわざ式神を使っているのは、敷地内へ逃げる僕らを追っては功力使用圏外によって来未を祓うことができなくなるからだ。


「おい修司しゅうじ! その女は霊なんだぞ! なぜ庇う!」


 山の上から颯汰の叫び声が響く。驚きと怒りを含んでいるのがよくわかる。振り向くことなく逃げながら答えを返す。


「すまんな。来未は霊である以前に僕の家族なんだ。いなくなられたら菜々野もまた泣くし」


 一枚の式神が急にスピードを上げて僕の右頬を紙一重に通り過ぎていく。

 狙いは僕でもあるってことか。威嚇射撃だったのかもしれない。逆に初撃にそんな余裕があるのなら僕の話を聞く耳を持ってくれる可能性はある、と信じる。

 立ち止まり、後ろを向いて小さく見える颯汰を堂々と見据える。


「なあ、話しを聞いてくれ。来未はお前が知ってるような悪い霊じゃないんだ」


 颯汰を宥めようとした僕の言葉がかえって逆鱗に触れる。


「おめえは生霊をなんも知らんくせに出しゃばんな! 生霊はな、良い悪いに関わらず祓うってのがうちの流儀なんだよ!」


 良い悪いに関わらず? そんな理不尽な。

 霊であるから祓う。霊だから有無を言わさず情状酌量の余地もないってことなのか。


「じゃあ颯汰のやってることはお祓いじゃなくてただの差別による殺戮じゃないか!」


 僕は今まで気が付かないうちに霊を悪しきものと捉えていたのかもしれない。善悪の区別もなく、存在種別という張替の効かないレッテルでしか颯汰は祓う対象を変えられない。まったくおかしな話だ。


 しかし颯汰もすぐさま反駁する。


「差別じゃない、これは区別だ! 生霊は人の魂にのっとって精力を奪う。吸い尽くせばもともとあった魂はなくなり、不必要な体から霊が脱出するために自殺する。そんな存在、生かしておけるか! 霊はな、俺たち人間が理解できる奴らじゃねえんだ……!」


 颯汰の顔の筋肉全てが力んでいるのが離れていてもわかる。唾を散らしながら自らの正論を叩きつけ、空中に遊ばせていた式神を再び操り始める。先刻、猛スピードで突っ込んできた式神は機能停止しているので、残り二体にだけ気を付けていればいい。

 右方向から二体がまとまって一直線に飛来してくる。僕が寸前で左右どちらに避けても、おそらく二方向に分散して当てるつもりだろう。狙うとしたら本能的に避けやすい左右。だから僕は来未を下ろしてその上に覆いかぶさり、限界まで体勢を低くする。


「きゃっ! ご主人様!?」


 直後、僕の上空をすり抜けていく。予想通り二体の式神は左右に分岐してV字を描く。


「ちっ。さすが俺の親友だ。やっぱ頭の冴える人間には通用しねえな」


 想定の範囲内と言うかのような愚痴を吐き捨てる。僕が颯汰のことを熟知しているように、颯汰も僕の人間像を完璧に把握している。だからお互いの手の内は隠すものがない状態。

 そんな均衡状態だが、颯汰の式神を操る力には限界が存在するのだ。式神を浮遊させるだけなら大して体力を消費しない。そこから空中を自由に飛ばしたり、スピードを減加速させる、そして同時に複数の式神を操ることで大幅に集中力を削がれる。

 その証拠に、V字に分かれて飛来してきた二体の式神は原動力を抜き取られたようにひらひらと地に落ちる。一枚目と同じだ。


「まったく、こんな紙切れに殺されるところだったのか。まあこれで颯汰には式神を動かす余力は残ってないだろ」


 式神は能力者の功力がなければただの紙切れに戻る。だから颯汰の来未殺害は阻止できたと言える。


 しかし颯汰は僕の煽りを受けたうえでにっ、と口の端を上げてみせる。挑発に乗った笑みだ。


「あめえな。俺がそんなちっぽけなに頼ってばかりだと思うなよ?」


 懐からさらに札を取り出す。式神がロクに使えない状態で一体なにをするつもりなのか。と思いきや目に入った札の色に驚愕する。


「俺は信用できる人間でもこれだきゃあ切り札として手の内を明かしてこなかった。ワリいが、意地でもソイツを祓わせてもらう!」


 空中に撒いた一枚の札は颯汰の周りを自由に踊る。

 軌道に紫煙の尾を引き、颯汰の身を徐々に包み込んでいく。

 紫の札。それは僕ですら知らない札だ。今の颯汰に式神は使えないはず。しかし颯汰はそれを「切り札」と称していた。


 何が起こるのか見届けることなく僕は泥で汚れた来未を立たせる。さすがに足の痺れはもうなくなったはずだ。


「来未。走れるか?」

「はい、大丈夫です。でも……」


 来未の翠眼から不安げな視線が送られる。口をパクパクするだけで声が出ず、伝えたいことが僕にはわからない。瞳に聞いても言葉がなければ理解のしようもないのだ。


「いいから行くぞ!」


 来未の手を強引に引っ張って、また無秩序に生い茂る坂を下っていく。


 刹那、風を切り裂いて後ろから一直線に何かが飛んでくる。空気と摩擦して発生する、破裂音に似た轟音が鼓膜を狂わせるほど恐ろしいスピード。僕の真横を通り過ぎた時に発生した衝撃に全身の鳥肌が立つ。


(なんだ……? なにが起きたんだ……?)


 爪楊枝のように細長いそれは目の前の一本の木に命中した。そして突き刺さるにとどまらず、屈強な木体を貫き、綺麗な穴がぽかりと空いている。


「え……?」


 木を穿つ勢いは根と地面を削ることでようやく止まったが、大木を貫通したのが一本のだということに驚きを隠せなかった。

 再び後ろを振り返る。

 先程は紫煙によって颯汰の姿が視認できなかったが、今では霧が晴れ、代わりに左手に収まる、全長二メートルほどの弓に形を成しているように見える。

 

 どうやら颯汰の言う「切り札」は荘兼寺から一歩も離れずに狙撃できる、遠距離攻撃武器の弓矢のようだ。

 しかしただの弓矢ではない。不気味な紫煙を纏い、見ているだけで魂を削ぐかのような禍々しさ。何より目の前の木に風穴を空けるほどの威力を誇っている。人に命中すればとんでもないことになることは間違いない。避けるにも音速を超える速さで、障害物を盾にしても物理的にお構いなしだろう。


 背中に冷や汗が垂れるのが感じ取れる。生物の本能的な恐怖だ。来未も同様に、逃れることは不可能な状況だと理解し、戦慄する。


「……珍しく考えたな。今まで颯汰が祓ってきた霊の恐怖心がよく分かるよ」


 もはや逃げる術はないと諦め、冗談を混ぜて称賛する。


「さあ、大人しくソイツを俺のところに連れてこい。今ならこの矢を使わずに楽に成仏させてやる」


 弓から漏れ出る紫煙が颯汰の右手に集まり、細長い形を成す。やがて竹の材質、末端には鉄製の鏃、矢羽根へと変わる。常時発射可能という意思表示なのか、矢を弓の弦に掛けることもせず、ただ手にしている。僕が来未を颯汰のもとまで運ばなければ撃つつもりだ。


 しかし今回ばかりはシビアな選択。

 来未が生霊であることを知っても僕は彼女に差別的な目を向けることなく、一人の家族として守ろうとさえ思っている。いくら霊だからと言いても存在を否定して殺めるのは横暴と言うのではないだろうか。僕が来未にもとのぬいぐるみに戻ることを切望したように。

 だから今日だけは颯汰の生き甲斐を否定したくなった。

  

「颯汰。もう一度、考えてくれないか? 来未は怪しいことは何もしていない。ただ僕のぬいぐるみに憑依しただけで無害なんだ。霊は霊でも、来未は善い霊なんだ。その区別はするべきだ!」


 僕は立ち下がる選択肢が与えられてない状況でなお、交渉を試みる。

 

 歯ぎしりをする。もちろん無意識だ。圧倒的に優位な相手に為す術なく折れ曲がるのは屈辱以上のものが伴う。それが親友であればなお、悔恨は増す。


「やっぱおめえはあめぇな。俺がそんなお人よしに見えるか? んなこたぁねえ。俺は常に最悪を想定している。おめえみたいなお人よしと違ってな!」


 鋭い眼光が僕を射抜く。しかし弓矢はまだ構えていない。


「それに、ソイツが無害だってのも偶然だ。生霊は人を喰う。下手をしたらおめえに取りついてたかもしれえんだぞ。もう受肉の段階まで達している。そのまま放置すりゃあとりついてとりついての繰り返しだ」


 確信を突かれる。こればかりは否定したくてもできない。

 普段冴えわたらない頭を限界まで回転させ、颯汰を別の方法で言い包めようと策謀する。来未は何があってもいい奴だ。伝えたいことはこれ以上ないほど完結しているのに納得させる術を見いだせずにいた。

 

 いや。そもそも颯汰は何故霊と言う存在を手にかけるのか。本人は最悪を見越したうえで霊の消滅を図っていると言った。しかしその根底にあるものはなんだ?


 頭を抱えうずくまる僕に、沈黙を貫いていた来未が口を開く。


「ご主人様……。ボクは、大丈夫です。一人で悩まないでください」


 そして安心させるために微笑む。言葉の節々が震えてるのによくそんな笑えるな、と思い苦笑する。


「え……」




 和やかな空気は一瞬もないうちに粉砕された。一本の矢によって。




「……くる、み……?」


 笑みを浮かべた翠眼の少女は目の前から忽然と消えた。残像の跡を目で追っていくと、僕よりも下に屹立する大木に背中から衝突して項垂れている来未が……


「その会話からして怪しいんだよ。唆してるカンジしかしねえ」

「おい! 話が違うだろ!!」

「安心しろ。急所は外した」


 弾かれて視線を移すと来未の右のわき腹に矢が刺さっている。後ろの木に突き刺さってようやく止まったようだ。たしかに心臓より下側ではある。

 僕は颯汰の追撃の隙を狙って霹靂に劣らない速さで来未のもとへ下りる。

  

 酷い傷だ。一直線に飛んだとはいえ、力積はとんでもないものだ。それを直に喰らった。貫通した速さが尋常でなかったからか、出血は傷口に見合わず控えめだ。


「う……かはっ!」


 しかし致命傷なのには変わりない。来未の吐血がその深刻なレベルを物語っている。鮮血ではない。白生地のティーシャツを染める深紅のどす黒い塊だ。


「クソ……どうすりゃいいんだ!」


 ここは圏外。緊急は呼べないし、応急処置なんてこれじゃ到底無理だ。不幸にも、わき腹を貫く矢はある意味で出血を抑えてくれる栓の役割を担っている。体を貫く異物感に悶える来未に対して為すすべなく、眼を逸らしたくなるになる。

 

(僕は無力だ……)


 浅はかな医療の知識だけ蓄えて自分の強みにできていない。目の前の少女の傷一つも塞ぐことすら叶わない。

 苦しむ人に手を差し伸べるのは僕でもできる。でも途轍もなく勇気が強靭なものでなければいけない。僕の強みは菜々野とは違う。医療という手段で救い出さなければならないのだ。


(だから僕は無力だ……)


 医者になれば当たり前のように目にするはずの血ですら直視できない。なぜ医者を目指すかって? そんなの決まってる。僕は人間が嫌いだから。でも、来未に言われて気づいたことがある。



 

 ――誰かが傷ついて血を流して、ところを見たくないから――




 意識を失いかけている来未の手を強く握る。


「ごめん。僕にできることがたったひとつだけある。だから、行ってくる」


 来未は無言で小さく頷く。 

 濡れた翠眼の瞳は閉じられた。


 ここで再びぬいぐるみに戻れれば心配することはない。でもそれじゃあ根本的なことは解決できない。


(どうやら僕には倒さなければいけない敵ができてしまったようだ)


 僕は颯汰に向って歩み出した。静かで、しかし闊歩とした足取りで山の上を目指す。


 向かい合う視線は交差する。僕が今どんな顔をしているのかは分からない。でも颯汰の迫力には負けたりしない。


 矢を添えて弓を構える。狙いの先は後ろの来未だろう。瀕死の今ほどとどめを刺せる機会はない。

 美しく整った弓の構えには一切の淀みがない。弦の張りの強さに腕を振るわせることはなく、正面からの視点では鏃と矢羽根がきっかり重なっている。


(おもしろい。撃ってみろよ)

 

「……」


 颯汰は躊躇い続ける。弓を引いたまま矢羽根を離そうとしない。


 僕はその間にも荘兼寺の高さまで上り詰める。すでに颯汰の狙いは来未ではなく僕になっていた。


 拳に力が入る。爪がめり込み、掌に跡が残る。痛いなんて感覚はとうに捨てた。僕にあるのはそう。


 怒りだけだ。


「颯汰。が今、なんで怒っているかわかるか?」


 いつまでも構えていた弓を下ろして答える。


「来未って子を撃ったからだろ」

「違う」


 颯汰は意外そうな目で俺を見る。そのぬかした顔に僕の本心が伝わらないのが心底呆れる。


「親友だと思ってたんだけどな。これくらい分かれよ」


 颯汰との距離をさらに詰める。弓を構えることなくただ僕との視線がぶつかる。

 手を伸ばせば届く間合いに入る。殴れるし、頭突きも食らわせられる。


「やれよ。修司が必死に庇った子を殺そうとしたんだからな。いくらでも殴ればいい。こちとら失うものなんて何一つねえしな」


 ついに颯汰は左手の弓を地面に捨て、両手を広げる。ノーガード。恨まれてもいいというような感じだ。


「そうか」


 僕は拳を固める。爪が食い込んだ痛みはアドレナリンで中和される。

 右手を十分後ろに引き、的を絞る。狙いは颯汰の顔面。

 腰を落とし、左手を前にかざす。

 そして深呼吸。


「……」


 目を閉じる颯汰を見て僕は意を決する。

 

 次の瞬間、僕の右拳を前方目がけて飛ばした。紫煙の矢の如く一直線に風を切って。

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