第13話 陰の調
家を出てから十分ほど。
早朝と言えども六月のしつこい湿度と雲一つない晴天がセットで体感温度を狂わせる。額から顎へと汗が流れ落ちていく。僕が
「ご、ご主人様ぁ……。この階段、一体何段あるというのですか~!」
「そんなこと言うなー。僕だって、登らなくて済むならわざわざこんなところを通ったりしない!」
この町の最南端に位置する山には一軒の寺がある。
寺、つまり神社と違って神は祀られておらず、この階段は僧として修業するための関門だと聞いたことがある。
多いうえに一段一段が高く設置され、段鼻を結んだ直線は水平線と約60度の角をなしている。ゆえにこのバカみたいに暑苦しいなか僧や尼でもない一般人が登りに行くなんて遠足の企画でも出てこない。
「さいん60°いこーるにぶんのルートさん……こさいん60°いこーるにぶんのいち……たんじえんと60°いこーる……」
「来未、大丈夫か? 今回ばかりは無理しなくていいよ?」
ぶつぶつ延々と三角関数を呟く姿はお経を唱える
「黒か」
「はい? 何が黒いんですか?」
「ナンデモナイヨ」
くそ。これが僧になるための試練ってやつか!
その調子で階段を登り切るのになかなかの精神力を試された。
「はあ……はあ……やっと、着きましたね」
「そ、そうだな」
ようやく寺の建つ最終段まで登り切り、今は参道の隅でお座りさせてもらっている。ご無礼を。
肩に下げてきた水筒を来未に渡す。道中、来未に対する視線をかなり制限していたため、今でも躊躇いなくガン見するのは難しい。
「ぷはー! やはりお水は美味しいですぅ」
「なんか飲み方が菜々野の豪快さに似てきてるのは気のせいかな。まあいいや。もうちょっと木陰で休んだら呼びに行くか」
すると来未が怪訝そうな顔で問う。
「霊能力者さんのことですね。しかしなぜボクの謎を解き明かすのに霊能力者さんのもとを訪れないといけないんですか?」
「ぬいぐるみに魂が宿る現象は太古から深く語り継がれているって聞いたことがあるからさ。日本だけじゃなくて海外に行っても似たような話はいくつもある。来未も例にもれず霊が宿って生まれた、いわば憑依なんじゃないか、ってのが僕の推測」
「うーん?」
どうやらピンと来ないらしい。たしかに今までに来未はぬいぐるみだった時の記憶しか語っておらず、憑依した霊なのであれば前世とかの記憶もあっていいはずだ。本人が口にしたくないだけという可能性もあるが。
まあ専門のやつに直接聞けばいい。まだ疲れが残っているので木の下で寝転がる。
「匂う。匂うぞ……!」
「は?」
不意にどこからか、しゃがれた声が聞こえる。あたりを見回すが誰の姿もいない。いや、誰かは予想ついてるんだけど。そういえばアイツ、こういう演出好きだよな。
僕は見えない相手に話しかける。
「すまんな。さっきまでそこのクソ階段を汗水垂らして登ってきたんだ。汗臭くても文句言わないでくれ寺息子」
「違う違う。匂いっつうのは、……よっと!」
とさっ、と木の上から綺麗な着地を決めてカッコつける、僕と大差ない身長の青年。寺の息子にしては名義を裏切るような私服姿。短く切った髪をさっと払い、僕の正面にまで近づいてくる。
「ここに善くねぇ存在が居るってことだ」
「おー……」
青年の着地に感嘆する来未。僕を見ていた視線は来未の胸元へ向く。
「そこの美少女はどこぞの迷子か? まさか
「つれかの? いえ。ボクはご主人様の元ぬいぐるみです。
「「…………なんで知ってんの?」」
来未の無礼のないかしこまった挨拶に僕たち二人は唖然とする。まさか来未がこいつのことを知っているとは思わなかった。
あー。
「や、やったー。なんか知らない美少女に名前呼ばれたんだが。呼ばれたん、だ、がっ」
「なんかウザ」
険しい表情をへなへなに崩して気持ち悪く笑い始める颯汰。わき腹に肘を食らわせてやる。もちろん手を抜いて。
「くっ……。しかし修司のことは『ご主人様』ときたか。この外見といい表情と仕草、呼び方の癖なんか、属性多すぎるだろぉがぁぁ!!」
颯汰の唐突の歓喜に来未が怯えてしまう。それも気にせずガッツポーズを掲げる。これでは埒が明かない。
「颯汰。今日はお前の霊能力者として来未を見てほしい。さっきも言ったが、来未は昨日突然ぬいぐるみから人間になった姿なんだ」
すると颯汰は崩壊した顔面を戻し、職人の顔つきになる。
「わかった。じゃあさっそくでワリぃんだが、そこに正座してくれや」
「来未、いいか?」
「はい。ボクも自分のことは知らないといけないと思うので。よろしくお願いします。颯汰様」
あ、こいつまた顔面崩壊させやがった。天宮といい、そんなに様付けが嬉しいのか。
しかしさすが職人。集中力だけは冴えている。風がないのに木々は不気味に囁き始め、生い茂る葉に遮られて映る木漏れ日の影は交差していく。目を閉じ、懐から二枚の白い札を取り出す。二本の指でそれらを挟み、口元に近づける。すると聞き取れない経を長々と唱え始める。
――――荘兼寺颯汰。
こいつはここ
それから三分、颯汰は唱え続けた。額には汗が滲み、瞼はきつく閉ざされている。正座をいつまでも崩さない来未も案じて声をかけていしまいそうなほどだ。
「…………っ!」
するとそのうちの一枚が濃い赤色に染まる。悪く言えば血の色だ。
色が表れて直後、颯汰はぐったりと地に突っ伏してしまう。 回っていた札も地に落ちる。
「颯汰! どうだったか!?」
「おい、そこは俺を心配しろや。まあいっか。……聞いてくれ」
ごクリと固唾を飲む。手を出して颯汰を立たせてやる。徒労した口から放たれた言葉は
「この子、
「「え?」」
聞き間違いじゃないか。もう一度颯汰に問うが、返ってくるのは永遠に同じ答え。
待ってくれ。生霊って人にとりつく霊のことだよな?
「ああ、それは世間一般の生霊。荘兼寺はモノにつく霊も生霊って言うんだ」
「ボクが……霊?」
自らの手のひらを所有物でないように見つめる。オロオロとして焦点が合っていない。
「と、いうのが『陰の札』の診断。本命が『陽の札』なんだが、……変化なし」
「ていうことはどういうことだ?」
僕も来未も揃って知らない単語に悩まされて、結局どのような結果になったかがイマイチわからない。
「この血色に染まったのが『陰の札』。人やモノについた存在を教えてくれる。んで、うんともすんとも言わなかった『陽の札』が、今現在の姿の本質」
「えーと、つまり来未は生霊であって、でその本質が結局……」
「世にも珍しい混種だな。人間とぬいぐるみの狭間を彷徨ってるカンジじゃねえか?」
颯汰はお手上げとばかりに両手を頭の上まで上げる。降参とな。
マジかぁ……。
僕は颯汰の腕を百パーセントだと心の底で信じていた。この町は心霊現象が起きないことで有名なのだが、先述の通り、そのほとんどが颯汰の功績である。祓えない霊には会ったことがないと息巻いていた。今回もなんら問題なく解決してくれるだろうと思っていた。
「えーと。ボクは人間じゃないんですか?」
「一概に人であるとは言い難い。でも、……異質なものにはかわりない!」
「!!?」
颯汰の目つきががらりと変わる。構えるように腰を落とすその構えは、
「スマンが、
霊と対峙する時の荘兼寺颯汰の戦闘の構えだった。
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