第12話 来未の帰還

「え? AEDが故障じゃなかった?」


 店から戻ってきた菜々野ななの天宮あまみやから聞いた一言。


 来未くるみの脈が止まったことで慌てて店にあったAEDを起動させたのだが、本体は来未に電気ショックの必要はないとぬかしたのだ。


 そんなはずはない。と言いたいがまだ僕も救命における経験は尻の青いレベル。


「でも心電図は水平だったし。うーん。なんでだ……」

「どのみち来未ちゃんが無事なんだしいいじゃん」

「てゆーか店の人を説得するのにかなり苦戦したんだからね? その、『迷走神経反射』? って症状なのに店のAED使おうとしたんだから。なんとかしゅーじんの判断ミスってことにできたからいいけど」

「いや僕のせい!?」


 冤罪だ。でもたしかに妥当なカードだ。当初の目的である来未の必需品の調達は済んだのだから。


「帰りにモフでも寄って帰るか」

「ナノはフィッシュバーガー、タルタルソース抜き!」

「え、ちょっとしゅーじん。ウチとの約束は?」


 天宮に袖をつかまれて立ち止まる。


 はて、「約束」とは? 

 頭に疑問符が付いたがすぐさまキンキンに冷えた天然水をもらった時のことを思い出す。来未の服選びにお供してくれるための条件のことだ。


「あ、ああ。そうだった。その……延長、できませんかね?」


 不服そうに頬を膨らます天宮。


「なんで?」

「つ、疲れたから」

「ホントに~?」


 追い打ちを仕掛けるように僕に近づいて覗き込んでくる。嘘だってバレませんように!


「まあいいよ。でも利子をつけるから!」


 安堵の息を我慢する。よかったぁ。


 その後僕たちはモフへ寄ったあとそれぞれの帰路を歩んでいった。






 家に着く。

 ファストフードの軽い昼食を済ませる。

 歯を磨く。歯間ブラシも追加。抜け目はない。

 一足先にシャワーを浴びる。

 髪を乾かす。

 服はパンツ以外何も身に着けない。

 部屋の鍵をかける。

 そしてベッドへ……


「ドッ君。ようやく戻ってきたんだね」


 一体のぬいぐるみを抱える。そしてそのままベッドに押し倒す。


 仰向けた彼女は実に魅力的で可愛い。結ばれた腕はまるで拘束されているかのように見えて背徳的だ。その腕を頭の上へと押さえつけ、余った右手で彼女の頬に触れる。

 僕の唇と彼女の唇が重なるように近づけていく。


 一回。おかえりのちゅー。

 すかさず二回目。ただいまのちゅー。


 もう止められない。たった数時間。その間、僕が最愛の存在に会えなかったフラストレーションが高まり続けていた。そして大事な友人との約束を破ってまで僕は彼女を犯したいと思うほどに達していたのだ。


 ……。


 もう何度目かとも知れぬ口づけをして僕は囁く。


「もう一生、手放したりしない」


 これは誓いよりも一方的な契約のようだ。主従でもなく恋人でもない。運命によって引き寄せられた家族だ。


 ………どうやら僕の息子が興奮しているようだ。ムクムクと育っていく息子を収めたいところだが、彼女には穴がない。空けようと思えば空けられるがぬいぐるみにも痛覚が存在することを本人が言っていたのでそんな気は毛頭ない。


 一緒になれなくていい。繋がれなくてもただ一緒にいられればいいのだ。


 そうして僕は彼女を強く抱きしめて眠りに落ちた。




 夢を見た気がした。


 とある病室。僕は例の少女、瑞稀と向かい合ってベッドに座る。


「しゅーくん、だいじょうぶ? 小指でもぶつけたの?」

「いっ……注射なんてくそくらえだ!」


 検査のために採血をされたのだが看護師が下手だったのか、三回ほどコンティニューされ、ほぼ強引に血を抜かれたのだ。

 ベッドに戻ってもなおその苦痛に悶える僕を瑞稀は案じてくれる。

 

 相変わらず顔が見えない。 

 でも声は聞こえる。穢れを知らない優しい声だ。


「ここかあ。すっごい青くなってるね。痛そう……」

「痛いよ、メッチャ」

「じゃあおまじないしてあげる。ママが教えてくれたの」


 少女は僕の細い腕を撫でながら詠う。



 ――――痛いの痛いの、飛んでっちゃえ。








「おはようございます。ご主人様♥」


 それが寝起きの僕に朝一番にかけられた言葉だった。


 ここはベッドの上。僕は横向きに寝ており、ドッ君を抱いて寝ていた。はずだったのだが……、


「さあ、おはようのちゅ~です。チュっ」


 そして軽い口づけをされた。寝ぼけていた眼が覚める。


 もう一度現在の状況を確認する。ここは僕のベッド。横向きに寝ていて抱いているのは眩しく微笑む裸の美少女、犬養来未。…………は?


「……」


「あら。ご主人様はまだ寝惚けているようですね。もう一回ちゅ~をすれば覚めますよね?」


 同じ高さ、向かい合うように横たわる彼女は再び僕に接近する。


 しかし間一髪、彼女の頭を押さえつけてちゅ~を止めることに成功。


「なんだ。来未か……。おはよう」


 食いつけない唇を尖らせて来未は不服を露わにする。


「なんだじゃないですよ。なんで止めるんですかっ」

「だってなんかデジャブなんだもん」


 どこか~で覚えた既視感が脳に纏わりつく。なんだっけ。なんか物足りないような。


 思い出そうと起きたばかりの冴えない頭を回転させていたら突然、部屋の鍵が開く音がした。ドアを開けたのは小柄な妹。


「お兄、早くしないと学校遅こ……来未ちゃん!?」


 ああそっか。修羅場スパイスが足りなかったんだわ。








「やっぱりお兄はカワイイ全裸の女の子とぬふぬふする超ド変態な兄貴だったんだねよかった安心して今通報してやるから」


 そうそうこれこれ。冤罪なのにパンツ一丁で正座させられてベッドから睥睨へいげいする構図。息継ぎしないでよく怒れるよね菜々野ちゃん。お兄ちゃん絶対に真似できないよ。


「ナノちゃん、落ち着いてください?」


 いつもと違って明らかにご立腹な菜々野の通報を止めに入る。が、その来未すらも菜々野の手に落ちてしまい、胸元に飛び込まれる。


 そしてご立腹な態度を変えないが、来未を優しく迎えるような声で言う。


「会いたかったよ来未ちゃん……。急にいなくなっちゃうんだもん」

「……はい。ごめんなさい。心配かけました」

「もうっ。そこは『ただいま』でしょ! 次からは『ただいま』って言うこと。家族なんだから」

「はい、わかりました。ただいま! フフ……約束ですね?」


 二人は笑い合い、場は和みを醸す。つられて僕も笑うが、来未に抱き着いたまま菜々野は急にスンスンと鼻をひくつかせる。 


「くんくんくんこれはお兄の匂いこれはつまり事後しまった遅かったか来未ちゃんはお兄に抱かれてしまったのかこのサイテー変態兄貴!」

「忙しない奴だなあ」

「でもスンスン、今日はスンスン、学校の日だからスンスン、ここまでにしてあげる」

「え、お前知らないの? 僕の学校、今日は代休なんだけど」

「……」


 息をするのも忘れ、ただ茫然と立ち尽くす菜々野。


「今日って月曜日だからすんごく行きたくない気持ちはよくわかる。うん。わかるよ。まったく今だけは僕の学校を誇りたくなるよ。ハハ」

「ウッザ」


 言葉に切れがなくなってるよ菜々野ちゃん? お兄ちゃんといられないのが寂しいんだろ。


 という旨を追加で煽ったら顔を真っ赤にして俯く。どういう反応?


 来未から自然に離れ、トボトボと部屋を出ていく。去り際に僕には聞こえないくらいの声量で独り言ちる。


「あ、ありがとね…………」


「なんだって?」

「いってきます!」


 ぷんすかと自室に戻る菜々野を見送る。来未はハテナのようだ。しかし僕は地獄耳なのか、相手の独り言がよく聞こえるらしい。


「なんで今それを言うかな」


 菜々野の一歩引いた態度は間違いなく照れ隠しだ。さっきの礼は僕が昨日慰めてあげた時のものだろう。

 だが唐突に言われるのはよくない。照れ隠しは人に移るものなんだ。


「ご主人様、顔赤いですよ?」


 そんなことも知らずにぐいぐいと僕に近寄ってくる来未。


 まったく。これだから人間ってやつは――――


「てかいい加減服着よう。お互いこれじゃあまるでアダムとイブだ」


 僕はパンツ一丁。さらにひどいことに目の前の来未は素っ裸なんだ。いくら僕でも目を留めておく場所がないから全力で困る。


「え、でもたしかボクの服が届くのは明日では……」

「……じゃあこれでも着てくれ」


 そうしてまたしても来未はニート服に袖を通すのだった。


「ちなみにご主人様。今日はどのように過ごす予定ですか?」


 そうだ。これは言っておかなければならない。

 僕は改まった態度で話を切り出す。


「来未。君にはいろいろと謎な部分が多すぎる。そもそもなんでぬいぐるみが人間になったかさえもはっきり分かってないんだ。だからそれを解決してくれそうな奴に会いに行く」

「それは一体、どなたですか?」


 疑問だらけの来未に僕はすこし誇らしげに笑みを浮かべて言う。


だよ」

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