第10話 古傷の過去とただの勇気

 直後だった。男複数人が担架を持って試着室へ突っ込んできた。氷の女店員が人類最後と言わんばかりの形相で声を荒らげる。


「お客様っ! 担架お持ちし……」

「あ、なんか大丈夫そうです」


 寸前で来未くるみが身に着けていたもの全てを拾い、背中で隠すことに成功。来未がここで消滅したという物的証拠を隠し通す算段だ。


 そのため、彼らが救助しようとしていた対象がいないなか、僕は大丈夫としか答えられなかった。背負っている犬のぬいぐるみを一瞥するだけで店員さんは表情を変えることなく、自分の聞き違いだったかのようにリピートする。


「お客様っ! 担架お持ちし……」

「ですから大丈夫な感じですって」


 店員のみならず、運び屋も全員が言葉を失う。さすがにもうリピートはせず、ほっと息をつく。


「よかったですー。じゃ、じゃあすみませんが撤収ということでー」


 しかし安堵するのもつかの間。運び屋の一人、たくましい肉体の男がなお険しい表情で怒声を上げる。


「よかったじゃないだろ! 私たちが実際に安全かどうか目にしないで帰るのか? 馬鹿者が!」


 あまりの覇気に睨まれていない僕らも委縮してしまう。


 男は少し申し訳なさそうに眉を一度ほど下げた気がしたが、まだ怒りは収まっていないようだ。


「君たち。患者はどこかね? いくら患者本人が言っていたとしても、それはやせ我慢の可能性だってある。万が一、最悪の事態を未然に防ぐという意味でもだ。医師免許のある専門家に一度診てもらうのが妥当だとは思わんかね?」


 聞かれたくなかったことだ。上手く流せられればいいと思っていたのが甘かった。ぬいぐるみになった、などという現象は絶対に聞き入れてくれない。どうにかして来未が安静であるということで引き返してもらいたい。


 乾いた喉元がゆっくりと下がる感覚がするが、正面からなんとか踏みとどまって対抗する。


「彼女は今トイレへ行っています。どうやらここ数日お通じが悪かったらしく、意識を失ったのもその時の腹痛によるものです」


 横の二人がまるでゴミを捨てる時のような眼をしている。なんか知らないけど店員さんも顔を引きつらせている。言っとくけど本当にある事例だぞ。笑った方は廊下出なさいな。 僕も同罪で裁かれたことあるから人に言えないタチだけど。


 それを知ってか、症状について男は疑うことなく、少し難しい顔つきになる。


「ふむ。これまた難儀な。ちなみにそれは君だけが知っている症状なのか? 見たところ君の連れは把握していなかったようだが」


(しつこっ!! このおっさんしつこっ!!)


「彼女は僕の……妹でして。友だちお二人には隠してきたんです


 次第に堅い面構えは解けていき、納得の仕草をするようになる。


「まあ人前で平生に打ち明けられるような症状ではないのはたしかだ」


 どうやらしつこいわりには物分かりもいいようだ。さんざん嘘出まかせを吐きまくっているのだが。まあこのまま話に乗っていけば「では今日中に病院へ行くように」と言い残して去るだろう。そう思ったのだが、


「ではこの後私が診よう。過去に同じ症例の子を受け持ったことがある」


 そ、そうきたか……。まさかこのおっさんが医師免許持ちだったとは想定外だ。


「その子がトイレから出次第、医務室で診察する。なに、金銭はいらない。あくまで現状での様態を診るだけだ。安否も、私の目ならば確実に見抜ける。それでいいかなお兄さん?」


 いやこの人、良い人過ぎて泣ける。もう「ごめんなさい。彼女はすでにここにはいません」などとは決して言えない。ちらりと横目でドッ君を見る。


(おのれ! なんで急に戻るんだよ。あとでいっぱい唇を奪ってやるからね!)


 怒りたくとも相手が最愛の存在だと憎むに憎めない。つい私利私欲を満たす方向へと走ってしまうのだが。


「いや、ちょうどこのあと通いつけの病院に行く予定なんです。もちろんこの件で。なので二度手間になってしまうのですが……」

「構わんよ。命に時間は惜しまない。それが私たちだからな!」


 畜生わかってるわ! 自分でも何言ってんだって思ったよもうっ! つかドヤるなや!


 打つ手なし。この医者のかがみをどうすれば撤退させられるかがまったく思いつかない。


 歯がきしみ、必死な思考も不発となるものばかりだった。


 万策尽きたか……


「おやおや、そこにいるのは鳩羽修司はとばしゅうじ君じゃないか~」 

「え? あ、あなたは……!」


 この場に割り込んでくる者は誰であっても完全に場違いの不法者である。しかし男の背後からポッと出したスーツ姿の男は僕のよく知る人であり、唯一この状況を打破しうる人間だった。


韮磨和にらまな先生!! どうしてここに?」


 NBAにでも出場しているかと思うほどの高身長を持て余すように飄々ひょうひょうとした態度で韮磨和先生はシャツの胸ポケットから一枚の名刺とカードを取り出してみせる。口元にはにわかに余裕のある笑みを浮かべている。


「僕の患者がトイレへ駆け込むところをさっき目撃してね。私は韮磨和内科の院長を務めている韮磨和一登にらまなかずとと言います。診させてもらったところ、彼女の様態は一時的なもので、今は落ち着いていますよ。どうやら処方していた薬を飲み忘れたらしくてね。軽減されない腹痛を食らったそうで。やれやれ」


 ……凄い!! さすがは医療界のカリスマ。僕の窮地をいち早く理解し、自ら状況を動かしに来たのだ。しかもこの発言通りならば来未は実際にトイレへ駆け込み、さらにはもう診察済みなため、男が意地を張る必要もなくなる。


 男は韮磨和先生の名刺を食い入るように見ては礼儀正しい礼をする。


「これは、なんという僥倖ぎょうこう。あなたのような名医にお会いできるとは思いもしませんでした。あなたも『迷走神経反射』の患者を持っているのですね」


 先程までの怒りはとうに消え、崇めるように韮磨和先生と話し始める。まるで珍しい昆虫に出くわした子どものようだ。


「いやあ、そこまで言われるとむず痒いですなぁ」


 対してこちらはくねくねと身を捩らせる。しかしすぐに社交的な態度に転じる。


「なんにせよ、見も知らない少女を一心に救おうとしてくれて感謝しかありません」


 差し出した手を男は両手でがっしり掴み、激しく上下に振る。


「ではまたお会いできたら」

「はい! あ、連絡先を教えていただ……」

「ということはもう大事はないようですねー。帰りますよー」


 男の後ろで待機していた他の運び屋が彼の襟をつかんでは引っ張って行く。なんというか、かわいそ。


「お手間を取らせすみません。では我々はこれで」

「ちょっ!? 待ってくれ! 私はまだ話したいことがっ、ああ~!!」


 ずるずると引きずられて消えていく彼ら担架運び屋の姿はかっこよくもあり、なんか情けない気もした。


「ふう~。なんとかなったぁ」


 思わずその場に脱力して座り込んでしまう。背中に担いでいるドッ君を撫でていると、菜々野が堪えていた涙を決壊させながら僕の胸に抱き着いてくる。嗚咽おえつをたなびかせ、息を吸わんと嚥下嚥下えんげえんげ


「お、おい。菜々野さーん?」

「怖かった……来未ちゃん、死んじゃうんじゃないかって。ナノ、何もできなくって。惨めで……」


 胸元に顔をこれでもかと押し付け、声をくぐもらせながら今までの苦痛を打ち明ける。


 僕はドッ君から菜々野へと手を乗せ換えて撫でてやる。


「菜々野は頑張り屋さんだもんな。自分でなんとか解決させようといつも転んでばっかだし」


 そっと菜々野の前髪を抑え、額を露わにさせる。中央から右側に二センチといったところに一線の、幅のある傷跡が走っている。肌の一部として修復されつつあるが、かれこれ三年くらいこのままだ。


「その傷は……?」


 韮磨和先生が見下ろしながら神妙に問う。


「菜々野が中一になる前日に、地元のたちの悪い高校生を注意した際、投げつけられた石が額に直撃してできた傷です。上から叩きつけられるように当たったのでこうやって縦に傷が走ってるんです。目に当たらなかったのがせめてもの救いでした」

「……そうか」

「菜々野ちゃん……」


 僕は昔の古傷にそっと触れながら慰める。


「お前はすごいよ。どんなに怖くても率先して立ち向かって。兄貴の僕でも躊躇ためらうことを成し遂げるんだもん。自慢の妹だ」

「でもっ、今日は、何もできなかった。助けよう、助けようって必死になるけど、自分の弱さが身に染みるだけで何も! できなかったの……」

「そうだ。お前はまだ弱い」

「ちょっ、しゅーじん!? なんで慰めてあげないの?」


 僕の発言に天宮はいさめようとする。


「違うんだ。これは菜々野が知らないといけないことなんだ」

「?」


 前髪をきれいに整え直しながら言う。兄貴として、家族として、言うべきことは言わなきゃならない。


「菜々野。お前は弱いよ。運動もできない金槌かなづちだし、勉強だって僕が見てないとからっきし。身長はクラスで一番低い。おまけに生意気だし」

「わかってるよっ。てか最後のまったくカンケーないじゃんっ!」

「でもそれらがお前の弱さじゃない」

「……?」


 ふと胸につけていた顔を上に向け、僕に抱き着いた菜々野と目が合う。濡れた瞳は丸っこくてリスみたいだ。


「誰かに手を差し伸べてあげること。それがお前の、本当の強さだ。菜々野にしかない唯一無二の力で、誰にだって真似できない」

「そんなこと? 強い敵をぶっ倒す怪力とか転生して手に入れたチートとかも?」


 そんなのどこで覚えてきたんだよ。異世界行ったらすぐにでもチート能力とやらを習得して苦しむ人を救いまくるヒーローの姿が容易に想像できた。


 でもそんなことは望んじゃいない。僕の知る限りの菜々野こそが僕をここまで呼び寄せたのだ。


「誰も菜々野に助けてもらいたいわけじゃない。かえって不本意なんだよ」

「だから……何っ!?」




「だから! ……お前は強いんだよ。こう言ってやっても、何しても、菜々野は自らを省みずに真正面から突き進んでく。傷ついても、損な生き方だって気づいても決して折れない。それがお前だろ? 助けられなかったからなんだ? 甘えるな! 人間なんてな、ほっとけばホイホイ死ぬ! 次から次に死ぬ奴が絶えないんだよ」




 僕は普段、「死ぬ」という言葉を使わない。人が当然のように命に限りある存在だと言っているようで無意識に忌避してしまう。だからたとえおふざけであっても、友だちに笑いながら「死ね草」などとは口にしてこなかった。


 言葉は武器だ。人を傷つけなぶり殺すには物足りないなんてことはない。僕は人を傷つくのは死んでも見たくない。傷つけるなんてもってのほかだ。


 でも僕は言葉の刃を振るう。菜々野に気付いてほしいために凶器としてではなく一つのツールとして。菜々野との間にそびえる分厚い壁をその研ぎ澄まされた刃を以て崩していく。


「僕は菜々野が羨ましいよ。十分強靭な武器を持ってるのにそれでも物足りないってほざくんだ。いいか菜々野。人は救えない生き物だ。いつかは死ぬ運命を背負ってる仕方がないやつら。そんな存在に手を差し伸べるだけで与えられるものもある。お前の勇気とか、な?」

「……ほんと?」

「本当だとも。そのうち気づくさ。だから、助けられなくても泣くな。お前の強みはそこじゃないだろ?」


 最後に抱きしめてやる。苦しくなるほど強く抱え込み、あふれんばかりの涙と叫びを全て僕の胸で吸収する。


 そのままどれだけ時間が経っただろうか。


 天宮も韮磨和先生も、背中のドッ君も微笑みながら見守ってくれた。




                            第一部『家族』【了】



――あとがき――

 とりあえず物は試しと言って書いてみた話ですがいかがだったでしょうか。読んでくれるだけで幸いです。

 この作品が初投稿ということでプロローグから緊張しっぱなしでしたが、やはりいついかなる時、自分の書きたいものを書くという信念を忘れないでいきたいです。

 これから第二部となり来未がもっと中心的存在となって物語を進めていくのでこれからも何卒、よろしくお願いします。

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