第9話 家族

「まさかレジ袋も部費から落ちないよな……」


 一昨年から始まったレジ袋有料化に伴い、ほんの数円だが徴収されてしうようになった。そのためレシートにはレジ袋が込みで部費で買うものが載っている。

 たった数円でも、あの生徒会長は気を使ってくれるだろうか。とても興味深い。


 と、ものすごく他愛のないことを考えながら商品を袋に詰めていた。


 すると突然僕のポッケからスマホの着信のバイブレーションが響く。消音モードにし忘れたか。

 それよりも着信元はあの二人だろうか。神妙な面持ちで確認するがすぐに気が緩んだ。


「なんだ母さんか。はい、もしもし鳩羽はとばでーす」

『もしもーし。修司しゅうじ?』

「母さん。かけて早々に息子の名前を確認しないで。それたぶん僕僕オレオレ詐欺に引っかかるやつだから」

『もお、いったいお母さんを何歳だと思って』

「ごじゅ……」

『今のなし! まったく、そういう容赦のないところはお父さんそっくりね。でもって顔つきはお母さんそっくり』


 またこれか。こういうやり取りは親子の間では必要だと思うけどいつまでもやられるとすこし心配だ。いろんな意味で。


「冗談冗談。でどうしたの?」

『あー。それがね、とりあえず来未くるみちゃんの母子手帳と住民票はできたんだけど』

「すごいでっち上げた感あるなあ」


 母は隠す気もない満更な様子で笑う。


『それでなんだけど、過去の経歴とかの詳細は来未くるみちゃん本人に決めてもらいたいと思って。ここでやれるだけやっちゃうから今来未くるみちゃんと話してもらっていい?』


 決めちゃう、のかぁ。もうそのことにはつっこまないことにした。

 しかし僕はちょっとした事態に気付く。


「そういえば今来未くるみ菜々野ななのと服選んでて。僕とは別行動中。これから戻るけど」


 途端、母の声が少しだけ低くなった。


『え、大丈夫? 菜々野ななのと二人にして』

「大丈夫ってどういうこと?」


 なおも神妙な雰囲気をかもす口調のまま話を続ける。


『菜々野、一人の時はいろいろ危なっかしいじゃない』

「そんな。菜々野ななのだってもう来年は高校生なんだし。そういうことは今までに何回もあったけど、人ってそのたびに成長するもんじゃないの? いつまでもそういう感じだと菜々野ななのも怒るよ」


 母は僕たちに過保護な一面がある。昨晩僕に注意したように自分の目のないところでは息子娘の心配ばかりしている。それがかえって信用に欠けているが故の、と考えてしまうこともあるが。


『まあ修司しゅうじの言う通りかね。でもまあ、誰に似たんだかね……」         

「少なくとも心配性なところは母さんそっくりだよ」


 ふと玄関を開けた途端に菜々野ななのが仁王立ちしているのを思い浮かべる。


 妹に心配ばかりかけていたのはいつからだろう。つい苦笑してしまう。


『ふふっ。そうかもね。じゃあいつでもいいから来未くるみちゃんのやつ、よろしくね!』

「うん。わかった。じゃあね」


 バツ印をタップ。通話時間は三分半。


「まあ、たまには僕も過保護になってみるか」


 なんせ今は来未くるみという、男だけでなく天宮あまみやでさえ魅了してしまう美貌の持ち主がいるのだから。またへんな面倒ごとに巻きまれているのかもしれない。


 僕は荷物をてきとうにまとめては気持ち足早に店を出た。

 同時に菜々野ななのが一人の時に厄介ごとを起こしたときのことを思い出していた。


 マナーの悪い奴らを見かければ放っておくことはできない。ガタイが自分より大きくても構わない。所かまわず口汚く罵り、相手が折れるまで攻撃的な姿勢を崩さない。

 自ら騒ぎを起こせば勝手に周りが味方をしてくれるため今まで何とかなったが、一度だけ何とかならなかった時がある。


 それは菜々野ななのの額に残る古傷を彷彿ほうふつとさせ……


「……っ!!」


 またしてもスマホの着信が鳴る。聴きなれた音楽と忙しないバイブレーションに嫌な予感しか覚えない。


 菜々野ななのからの着信かは確認していないが、僕はさらに服屋に向かう速度を無意識に速くしていた。


 人混みをかき分け、進みにくい道を必死に前へ前へと押し込んでいく。


(よりにもよってなんで僕のほうに流れてきてるのさ!?)


 不幸にも客たちはみな僕の行く手を阻むように雪崩なだれと化して向かってくる。加速していた足は減速し、最悪を阻止しようという志が折れかかる。


 どうせ何も起きてない。

 あっちには天宮あまみやだっているんだ。もうすこし人が空いたのを見計らってここを通ればいいじゃないか。ついそんな甘い考えを巡らしてしまう。


「……」


 じゃあなんでこんな不穏な感じが拭えないんだ?


 ポッケの中でなおも鳴り続ける着信。やがてそれは虫の知らせのようなうごめきのようにも思えてきた。

 何かが僕を揺さぶっている。触発されて高鳴る鼓動が頭に直接響いてくる。


「……っ!」


 もしかしたら菜々野ななの来未くるみを待っていた時、こんな状態だったのかもしれない。不快感に包まれて、自分ではどうしようもない感覚に襲われて。


 それでも菜々野ななのは動こうとした。助けに行こうとした。誰よりも早く手を差し伸べようとして、身にまとう不快など無理やり破って。


来未くるみちゃんは……じゃないの?』


 あの時答えられなかった問いが脳裏を反芻はんすうする。


 家族だから心配するのか? こんな説明できない、明瞭とは言い難い感情で動くのか?


 たった一コンマでその答えは出た。僕だから知りえた答えだ。


 


 ――――人間ってやつだからかよっ!!




 感情という形を模さない存在に振り回される。僕が嫌う人間の特徴の一つだ。


 呆れすぎて、当たり前すぎて長いこと忘れていた。


 消えかけた焚火は薪を足されたように再び燃え上がり、黎明れいめいの光を宿す。邪魔な諦念を燃やし尽くし、感情の暴れるまま僕は止めていた足を前へ踏み出していた。


 肩やわき腹に人のあれこれがぶつかってもひるむことなく僕は前進し続けた。バイブレーションを鞭だと思えば太ももも休まない。


「ハア……。ふっ。うぅっ……」


 ただの人の波にこんなに醜く足掻く僕はきっと馬鹿みたいに見えるだろうな。だからそっと感謝を隠してこう思った。


(これだから人間ってやつは……)


 束の間に焦燥はなくなり、菜々野ななののもとに手を伸ばす一心だった。


 そしてようやく例の服屋の中に入ることができた。


 もしかしたらこの場所にはいない可能性もある。すれ違っていたら仕方ない。

 いまだに鳴り続ける着信。いい加減鬱陶しいように思えたが僕は菜々野ななのたちを見つけるまで安心できない。

 ふと耳に聴きなれた音が流れてくる。店のBGMが重なっていてきわめて小さい。


「……菜々野ななのの着信音が聞こえる。どこだ?」


 いるとしたら試着室。いま僕が立ってるのは入り口のほうだ。カウンター奥に試着室があったはずだ。


 息と足を休めることなく僕はまた前進した。

 誰もいないカウンターの横を通過すると、カーテンの掛かる個室が並ぶ空間に出る。同時に今までかすかにしか聞こえなかった着信音は確実に捕らえられる程にまで近づいていることに確信する。


(泣いてる……?)


 誰かのむせび泣く声が聞こえる。鼓膜を伝い、脳漿のうしょうにこびりついて離さない。


(この子はきっと苦しいんだ)


 人間は苦しい時には仲間を呼ぼうとする。この子の泣き声からは死に物狂いに助けを求めている焦燥感が感じられる。


 誰を求めているのだろう。声の主が菜々野ななのでもなく天宮あまみやでもない赤の他人だった時、僕はそっと閉ざされていたカーテンの中を忘れて見なかったフリでもするのだろうか。僕は求めている人のもとにしか行けない。


 ……否。そういう問題ではない。この閑寂としたカーテンの中で傷ついている人間がいるということだけだ。


 


 ――――あの子は助けを求めていただろうか?




 なぜか病室にいた少女の姿が僕の脳裏をよぎる。


 あの子がたとえ僕に救済をすがってもなにも与えられなかっただろう。実に無力だ。

 今こうしてあの子が亡くなり、無力な僕が生き残っている。思いついたのはこの世に『生命の樹』が実らせることだったかな。馬鹿らしい。


 でも菜々野ななのはそんな妄想もしなければ、ろくに立ち向かう武器もない状態でも手を伸ばそうとする。


 つまり無力であっても、苦しんで助けを求める人の手を握ろうとしないことこそが、僕の弱さだ。


(今、行くよ……)


 引き上げられなくてもい。握ってやれる勇気があれば、僕が人間だったとしても与えられるものの一つはあげられるはずだ。


 カーテンの前まで歩み寄る。着信音は完全にシンクロする。


 指一本分の隙間から中の様子は十分に確認できた。詳細はなぞだが来未が重体なように見える。菜々野ななのは僕に電話し、天宮あまみや来未くるみの身体を支えている。


天宮あまみや、まずは患者を寝かせてやれ」


 突然の僕の登場に泡を食らったかのような表情を晒す菜々野ななの天宮あまみやも目を見開いてみせるがすぐに僕の指示に従う。


「うん。わかった」


 そっと無駄に広い試着室の中央で仰向けになるように寝かせる。


「お兄、どうしよう……来未くるみちゃんがいきなり倒れちゃって」

「それで今、担架持ってきてるらしいよ」


 二人の声を聞きながらも来未くるみの容態を確かめる。


 頬がのぼせたように熱い。息も整ってない。脈は……弱まっている? 菜々野ななのはいきなり倒れたと言っていたが、本当にいったい何があったんだ。


 とにかくこの異常な熱をどうにかしなければならない。冷ますためにもまずは……


「お客様。氷持ってき……」

来未くるみを脱がしてくれ」

「「「え?」」」

「いいから! 高熱なんだよ! あ? 氷は脇の下と首元に当てるから貸して」


 いつの間にか店員が背後から氷を持ってきてくれたようだ。ただ今は冷静さを保つためにも敬語など気にしてられない。さっと氷を奪い取り、神経の密になっている部位に埋めていく。ブラジャーのみ取り残されてほとんどが露わになる上半身には目もくれない。


「しゅーじん手慣れてるね」

「まあね。韮磨和にらまな先生のおかげだ。それにしても担架はまだ?」


 普段と変わらぬ形相ぎょうそうまとっている僕だが、内心では腹を立ている。菜々野ななのが僕に電話を掛けてきたのも来未くるみが倒れてからのはずだ。もうすでに五分近く経っている。

 そもそも担架くらい各階のいたるところに設置されるべきなのだ。こんな遅延が生じるならなおさら……


「そうか。今日は人がごみなのか」


 ここに戻るまでの道中を思い出す。急いで戻りたくとも体が波にさらわれるのだ。加えて担架のように大きいものを運搬していればつっかえるのは確実。


「い、今確認してきます!」


 氷持ちの店員は一大事とばかりにカウンターの方に駆け込んだ。


「弱ったな……」


 詰んでいる。僕にできるのは応急処置程度。基礎知識があっても手の施しようがない。


「どうするのお兄? 来未くるみちゃんだいぶ苦しそう」

「体が熱い。意識が朦朧もうろうとする。……もしかしたら熱中症かも」

「「!!?」」

「意識がない時点で十分危険だ。救急を呼べ! 菜々野ななの!」


 ここまでくれば搬送しなければならない。手遅れになる前に呼ぶべきだ。


 緊迫した空気が追い打ちで凍るのがわかる。


 刹那せつな、僕の手に何かが触れる感触に気付く。来未くるみがうっすらと目を開け、横たわったまま僕の手を握ろうとしたのだ。


「ご、しゅ……」

「っ!! 来未か!?」


 意識がなかったかのように思われたがかすかに僕のことを呼ぼうとしていた。弱弱しい握力に全力で握り返し、呼びかけに応える。


「大丈夫だ。今救急車呼ぶからな。それまでの辛ぼ……」

「きす…………ほしい」


 返ってきたのは掠れた非力な声だ。


「おけ。朦朧もうろうとしてるんだな? 意識があっても重症だ……」


 こんな時にまでスキンシップを求めてくるのだから相当頭にきているはずだ。


「……おい、なんだ? 来未くるみの脈がないぞ!!」

「「ええ!!?」」


 突如、握っていた来未の手首からは一切命の波動を感じなくなった。いつの間にかまぶたむくろのように固く閉ざされ、呼吸すら止まっている。


 なんの前触れもなく訪れた死の直前の宣告に菜々野ななのはスマホを落とし、天宮あまみやと僕も絶句する。

 

 しかしひるんでいられるのもコンマ一秒。すぐさま最善の一手に手を掛ける。


「天宮、AED!」

「うん!」


 すぐそばの壁に設置されたAEDを天宮あまみやにとらせ、ただ救命の手順だけを思い浮かべる。


「はいこれ!」

「よし今から電気ショックやるから二人とも離れてろ。菜々野ななの、まだか?」

「それが回線が込み合っててっ………!!」

「クソっ!!」


 愚痴る暇も惜しむことなく、電子音声の案内をしかとして電極パッドを来未くるみに貼っていく。ここで本体が電気ショックの必要の有無を知らせてくれる。もし若干脈が残っていてもショックをさせることなく誤った処置をすることもない。


 当然確認する限りは脈なしなので必要があるというはずなのだが、


『電気ショックの必要は、ありません』

「は!!??」


 完全に虚を突かれた。必要がない、ということはいくらAEDを起動させてもショックはしてくれない。


 もう一度脈を確かめる。首と手首、やはりどちらも止まっている。


「故障か畜生!」


 電極はそのままにし、僕は来未の胸の若干右寄りに手を重ねて腕を地面と垂直になるように立てる。


「まさか心臓マッサージ?」

「そうだ! いくぞ来未くるみ!」


 僕は体重を乗せるように手で胸を圧迫し始める。一回目の圧迫に、傍観している二人は目を塞いだ。普通なら食い込まない深さまで僕の腕が沈んだからだ。


 二回、三回、四回、五回、六回、……


 途中、何かが折れる鈍い音が響く。つい僕もまぶたをきつく閉じてしまう。冷や汗が頬を伝い、不快感が増す。それでも圧迫の作業は機械のように止まりはしなかった。


「来未ちゃん…………」


 七回、八回、


 そして九回目となる圧迫をした時だった。


 横から見れば心臓マッサージなんて胴体の半分ほどまで押されることはざらにある。


 だから僕でも驚愕した。


「うおっ!?」


 身体の硬さなどがなくなったかのように背中に達するほど沈み、床と思わしき物体の感触が手のひらに伝わる。もはやそこには背骨はおろか、心臓もないかのように。


 そして押し返される反発力もなく、不自然に思った僕は手をついたまま目をそっと開けた。二人も僕の驚嘆につられて塞いでいた目で確かめる。


 そこにいたのは心肺停止の来未くるみではなく、


「「ドッ君!?」」


 僕の愛犬ぬいぐるみに戻っていた。

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