第8話 自覚

 来未くるみちゃん試着から十分が経過。


 残り少ないであろう来未くるみちゃんの体力のことを考慮してハイペースで服を漁っているのけど、流石というべきか渡した服全部がマジでエモい。こんなの時間を忘れて一生やってられるかも。


 下着も同時進行でチエックするため胸のサイズを測ってもらったがナノも先輩も羨ましいとこぼしてしまったくらいだった。


 でも問題が一つ。


「先輩、さっきからお兄が見当たらないんですけど……」


 ナノと麻理まり先輩が目の前の着せ替え人形に夢中になっている間にお兄が失踪したのだ。ナノが「帰ってれば?」と言ってしまったのが悪くもクリティカルにきて一人でトボトボ帰宅してしまったのを危惧する。


「うーん。まあ大丈夫じゃない? しゅーじんだし」


 ナノの重い心配を軽く流してしまう。それもほんの一瞬考えて洋服を物色する手を止め、また楽しそうに鼻歌交じりに手を動かし始める。


「軽いですね……。思ったんですけど麻理まり先輩はお兄といつ友達になったんですか?」


 手は止めず視線も向けずに答えてくれる。


「入学してほんのちょっとかな? 隣の席だったし。話しかけようと思えばもっと早かったんだけどぉ。まああの時は知らない人に話しかけるなんてウチには出来なかったし。そういえばこれは言ってなかったかもだけど、ウチがぬいぐるみ好きになったのもしゅーじんと会ったからでおっ、これ。来未くるみちゅあーん! 今度これっ着てみて!」


「え、ちょ、今の続きめっちゃ気になるんですけど!」


 突然目の色を変えて見つけたワンピースを持って一目散に試着室に駆け出す。先輩の選抜ワンピース系多いな。


 思い出話が先輩のよだれとともに中断になってしまい、かなり煮え切らない気持ちになる。


「今度はこ、こうやって着るんですか?」


「あれ、もしかして着たことないの? フフーン。そうじゃなくてね……えい!」


「ちょ、くすぐったいですよ~。手、手が当たって……」


「当たってるんじゃなくて当ててるんだよー」


 試着室から聞こえる黄色い声と親父と化した声。一体何が起きているんだ……。


「先輩ー。程々にしてくださいよ」


「わーかってるってー。え、どうしたの? 来未くるみちゃん?」


 中でガタッ、と響く音が聞こえる。


「え!? 来未くるみちゃん大丈夫? 入るよ!」 


 ナノは迷わずカーテンを開ける。目に入ったのは着替え途中で肩をはだけてしまい、膝をついて苦しそうにもだえる来未くるみちゃん。先輩はそれを必死に後ろから肩を手で支えている。


「なんで? ウチ、ヘンなとこくすぐっちゃったとか!?」


「え? どうしちゃったの!? 来未くるみちゃん返事して!」


 しかしナノたちの必死な呼びかけは届かない。閉ざされた目、固く握りしめられた拳、不規則に荒い呼吸、熱でもあるかのように顔が赤い。明らかに異常だ。


「お客様、どうかなさいました?」


 近くにいた女性店員が異変に気付き、声をかけてくる。


「身内が倒れちゃって! すごい熱で苦しそうでっ!」


 それを聞いた店員は胸ポケットからトランシーバーを取り出し、緊迫した声で何かを要求する。その後ナノたちに向き、しゃがんでは要件を手短に伝える。


「今すぐ担架をお持ちしますので待っててください! ここの医務室のベッドに運びます。診療と軽い応急処置くらいならできますからっ」


 店員の速い口調と硬い表情にこの状況がいかに険悪な状況かを再認識する。そしてナノ自身の無力さを自覚する。


「私は医務室の者に伝えに行きます。大丈夫です。すぐに担架が来ますから」


 女性店員は去ってしまった。もう一人の若い女性店員は状況に追い付いていないらしく、その場で狼狽している。


「と、とりあえず落ち着きましょっ。えっとどうしよ……。あ、氷持ってきますね!」


(落ち着けるなら落ち着きたいよ……! でもっ……)


 ナノはこんな危機的な状況に人生に一度たりとも出くわしたことがない。苦しそうにしている人にまず何をしてあげるのかもわからない。ドラマとかだと人工呼吸器とか心臓マッサージをする場面ばかり流れるものだから正しい対処の基準が鈍る。教科書でなんて書いてあったかも思い出せない。


 自責の念がこみ上げる。


「ごめんなさいっ……ナノ、何すればいいのかわからなくて……」


 誰に対して謝ったのか。現在進行形で悶える来未くるみちゃんにか。もしくは彼女を支えるため、体勢を限界まで低くしている麻理まり先輩にか。


菜々野ななのちゃん。今は、謝ってる暇ないからっ」


 言葉短めにナノを叱る先輩。さっきまでとても楽しそうにしていた顔には見えない険しい表情だ。


「はい……」


 目の前には来未くるみちゃんの顔。いつまでも整わない息遣いに加えて、吸うときに鳴る奇妙な掠れ声にナノの心拍は加速を強いられる。


 ふと考えてしまう。


(お兄がいれば…………)


 危ないことには首を突っ込むくせに力不足の時は自ら考えようともせず、頼れる人のことだけを考える。




 馬鹿だ。わたしは。




 思考という手段を見失い、目に涙が滴る。こんな時に限って。


「ご……しゅ……」


 突然来未くるみちゃんの口がかすかに動く。


来未くるみちゃん! もう少しだけ待って!」


「ご主人……は……ど……」


「お兄……。そうだ電話!」


 いつもは消音モードにして電話しても気づかないけど、かけないわけにはいかない。今のわたしにできるのはこれだけ。


「お願いっ。でて!」


 一縷いちるの望みを掴むようにスマホを必要以上に強く握る。どうにかなる保証はない。待っていれば確実に助けは来る。


 でしゃばりだと思うけど、わたしだって何か助けになることくらいしたい。そんな偽善的な考えで行動しちゃ、ダメかな? 


天宮あまみや、まずは患者を寝かせてやれ」


 いつの間にか後ろから聞きなれたスマホの着信音が近づいていたのに気づかなかった。


 全身の力が抜け、軋むほど強く握っていたスマホも手からするりと落ちる。


 ナノの背後にお兄がいた。

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