第7話 ぬいぐるみも嫉妬くらいするらしい

「なにをしていたのですか? ご主人様」


 ほんの十分ほどのうたた寝から目を覚まし、僕の肩から来未くるみが身を起こす。顔色は先程と比べて十分に回復し、人混みという荒れた環境にも順応してきたようだ。


 そして僕が天宮あまみやにお仕置き中のところを見られてしまったのだ。


「もう一度お聞きします。ご主人様は天宮あまみや様になにをしていたのですか!」

「え、ウチの名前なんで知ってんの?」

「何をって、マッサージだよ。韮磨和にらまな先生直伝で頭をほぐして気持ちよくしてたんだよ」


 嘘ではない。医療的に認められた正規の方法である。


「え、韮磨和にらまな先生が? でも天宮あまみや様は痛がってました。ボクは痛いのが嫌ですが痛がっているを見るのも嫌なんですよ!」

「やったあー! なんか知らないけど話したこともない超美少女に名前様付けで呼ばれてるぅ~」

天宮あまみや様ですよね? 以前お会いした時と違ってなにやら上機嫌ですが。少し黙っててくださいな」

「はい………会ったこともないのに……」


 天宮あまみや撃沈。あまりにも滑稽だったため吹き出したくなるが、正面に構える来未にここまで鋭く睨まれては息することも容易ではない。今までのあどけない来未くるみが猫でも被っていたかのようだ。


「今朝も言ったようにボクが痛覚を気にしなかったのはご主人様の愛があったからです。どれだけ痛かろうと愛されてる幸福感があれば我慢できるんです。でも天宮あまみや様は痛がってました」


 来未くるみによる一方的な攻撃に、撃沈していた天宮あまみや咄嗟とっさに首を振る。


「い、痛かったけど、ウチは嫌じゃなかったよ」

「では天宮あまみや様には痛みに代わるがあるというのですか? 愛ですか?」


 標的ターゲットは僕から天宮あまみやに変わる。来未くるみに問い詰められるたびに身を後退させようとしているように見える。


 ここまで聞いて来未くるみの言いたいことは分かった。論理も収まっている。あとは、


「なあ、来未くるみは結局何がしたいんだ? さっきから聞いてるけど話の本筋がよくわからないんだけど」


 この雰囲気にしたのは一体何なのか。僕は動機に引っかかっていた。しかし来未くるみうなることもせず、考えるそぶりも見せない。目すら合わせてくれない。


 それを代弁するかのように若干蚊帳かやの外気味だった菜々野ななのが口を開く。


「……お兄。たぶん来未くるみちゃん、妬いてるんだと思うよ」 

「嫉妬?」


 すると来未くるみは急所を突かれたようにびくっと体を反応させ、余計に視線をそらそうとする。なんだか顔も赤い。


 ふーっと息をつき、吹っ切れたように来未くるみが言う。


「そうですよ! 正直に言うとボクは天宮あまみや様のようなじゃれ合うような付き合い方が非常に羨ましいんです! 自分から言わなくても一方的に触ってくれて、多少雑な会話でしたがどこか親しみが存在していてっ。ボクはご主人様の家族で愛をいただいているのだというのにそういうこともないしっ。これが愛によるものでなければ何だというのです!」

「……僕に頭マッサージしてほしかったの?」

「違いますぅ! いやしてほしいのですが、ボクが言わなくても積極的にしてくれるのを望んでるんですぅ!」


 次々と明かされる来未くるみの欲望。つっかえることもなく言い切り、すっきりしているようだ。僕も、来未の堪忍袋の緒が切れたと内心冷や冷やしていた。


来未くるみちゃんは焦ってるんじゃないかな?」


 天宮あまみや来未くるみを励ますように優しく語り掛ける。


「ウチに何があればしゅーじんとこれだけ仲良くできるかって話だけど。答えは友情、かな」

「ゆーじょー? 愛ではなく?」

「愛って……。まあそうだよ。愛かもしれない。でもウチとしゅーじんは付き合ってもないし家族でもないし。一言で言うなら友人なんだよ」

「ゆーじん…………」


 小さな子どもが親から飴をもらったように、来未は初めて耳にする単語を大切そうに唱える。


「ゆーじょー、はボクが手にすることはできるのでしょうか?」

来未くるみちゃんは家族でしょっ。だったら来未くるみちゃんは来未くるみちゃんらしく家族としてしゅーじんと仲良くなっていけばいいじゃん。ウチだってしゅーじんのお姉さんになってみたかったりするんだよ?」


 はい? 今なんて言ったこの人?


「ほかの人の関係を羨ましく思うのはわりと普通かも。ウチもあの人ともっと落ち着いた話がしたいのに、天宮あまみやって名前を聞いただけでかしこまっちゃって。仲のいい友達とはふざけ合ってるのに」


 なんか身に覚えがあるのは気のせいだろうか。 いつのまにか僕だけでなく来未くるみも話に集中させられていた。


「そのうえで来未くるみちゃんは、どうしたい?」

「決まってます! ボクは、ご主人様の家族になりたいです!」


 優しい問いに対して威勢のいい張りのある声でそう宣言し、僕を見つめる。

 またあの翠眼だ。吸い込まれるように僕の意識は不確かなものになっていく。

 先程の本音はうっすらと影を失くし、半ば答えを強いられている感覚がする。


 べつに来未くるみが家族になるのが嫌というわけではない。ただ彼女がもともと僕のぬいぐるみだったと思うと今の姿が本当の姿として見たくないだけ。今まで僕が彼女を家族として見てこなかったのは、ぬいぐるみだったドッ君を仮の姿にしたくなかったからだ。このまま来未くるみで在り続けるのであれば、来未くるみこそが本当の姿である可能性が強まる。


 それはいやだ。


 でも結局、来未くるみが僕の家族になることとは話は別だ。嫌なことは何一つない。


「そうだね。来未くるみはもう僕たちの家族なんだ。思ったことがあればなんでも言っていい。天宮あまみやを羨ましがることなんてないんだ」

「ご主じ……」

「家族だったら身内を様付けなんてしないよなー?」

修司しゅうじ君……。いいじゃないですか! 呼び方は人それぞれですよ! ナノちゃんはお兄、天宮あまみや様はしゅーじん。独特な感じが一切しない修司しゅうじ君なんていやですよ!」

「ええー。でも」

「思ったことがあれば何でも言っていいのでは?」

「……はい」 


 言質とったり、と勝気に笑う来未くるみ。それにつられて菜々野ななの天宮あまみやも笑いだす。いやそれを言ったら僕にだって適用されるんだけど。とは言えなかった。


「じゃあお兄はこれからご主人様だって。どうしよっ。笑えるんだけど!」

「ハハハハ。……いやなんでそんな様付けにこだわるの!??」

「ご主人様を愛しているからです。あ、でも天宮あまみや様は……」

「いい。言わなくていいから。愛してないからです、って言うのは予想済みだから。ウチのことはフツーに麻理まりって呼んで?」


 屈託のない笑みを浮かべ、喧噪の一部としてはやし立てる。そこらを行き交う人には聞こえないだろうがこの空間は僕たち四人のものだった。


 ――家族――


 考えてみれば僕はそんなものを深く考えたこともなかった。

 考えたことがあってもどうなってたか。この後起こることは僕には予測不可能だった。






 ここに入ってから休んでは天宮あまみやと遭遇するわ、来未くるみはナンパされるわ、そんなこんなで菜々野ななのと喧嘩するわ、今度は来未くるみが駄々こねてくるわで目的一つクリアできていない。


 もう少しで昼だ。お腹もすいたし、できれば迅速に服選びは済ませたい。

 その旨を女子三人に言ったら天宮あまみや曰く


「あのね、女の子の服選びはデリケートなの。急かすなんて男子として配慮が足りないんじゃないの?」


 また菜々野ななの曰く


「お兄はいらないから先帰ってれば?」


 どうか、彼女持ち歴ゼロの僕に女の子に対するマナーをゼロから教えてくれ。

 なお来未くるみは二人がなぜ怒っているのかがわからないようだ。


 罵声を受けながらも僕たちは来未くるみの言っていた店へと入る。木製の内装に多くの照明が降りかかり、店の広大さと並ぶ服の数に圧倒される。色とりどりの生地が行き交い、目がくらみそうだ。


「ここなら来未くるみちゃんに似合う服なんてざらにあるよー」

「こりゃ凄いな。こんなに種類ある店なんてここだけじゃないのか?」


 菜々野ななのが人差し指を立ててメトロノームのように振る。


「ちっちっち。種類じゃないんだよお兄。ここは有名な芸能人が立ち上げたっていう若者に人気な服を取り揃えた店なんだよ。何点でも一度に試着できるように試着室の中は三人寝転げるくらい広いの。さらに購入商品は後日自宅配送もできるもんでいくらでも気にせず買えちゃうのっ」


 マジか。最近の服屋はそんなご苦労なサービスもやってるのか。


 物色して歩いていると突然、後ろからガっ、と小さな衝突音が聞こえた。


「わっ!? あ、すみません!」

「だいじょ……来未くるみ。それマネキンだから」

「え? ……あ、人形さんでしたか!? すみませんでした!」      

「気をつけな。そこらへんよく立ってるから」


 ぶつかった相手が人形なのに来未くるみは律義に謝る。店のものだしな。見習うべきだ。


「みてみてー。このワンピース。シンプルにかわいくないですか?」


 少し先では来未くるみ菜々野ななのがすでに商品に手をつけている。


「そうだねー。真っ白ってのも案外いいかも。麦わら帽があればもう完璧なんだけどね」

「あっ、ありました。いやー本格的な麦帽は一味違うなぁ~」


 モデルなしにキャッキャウフフと盛り上がる二人。マネキンに足止めを食らっている間に来未くるみはありとあらゆる服で着せ替えられているのだ。女子の妄想力は侮れないと思ってしまう。


「おーい。来未くるみちゃん試着するよー」

「えっと、それをボクが着るんですよね?」


 菜々野ななのが勧めてきたのは先ほどのワンピース。あと天宮あまみやの手にもスモックブラウスやフードのついたトレーナーに反対色のスカートやジーンズ……手持ちが把握しきれない。


「ええへー。そだよー。こんなカワイイの着たらカワイイに違いなし! 写メ撮っていい? ウチの待ち受けにする!」


 天宮あまみやがまたアブナイ系のよだれを垂らしてる。通報したほうがよかろうか。


 背中を押されて強引に試着室へと運ばれる来未くるみを見届けて僕はこっそり隣の店へ足を運ぶ。


 店を出て左手に菜々野ななのリサーチの靴屋があり、右手の六店舗間に挟んで僕自身の目当てである手芸店がある。外装は地味で中に入っても隣の服屋よりも狭く感じ、照明も頼りない。

 こんな目立たない店舗に男子高校生が目をつけるなんてこの時代においては絶滅危惧種的場面なのかもしれない。にもかかわらず僕が赴くのには理由がある。


 何を言おう、僕は手芸部なのだ。

 学校公認の部活で名前の通り手芸、裁縫道具を使った簡単な小物を作ったりする部活。ちなみに天宮あまみやもその一員だ。

 しかし今はワケアリで顧問が決まっておらず、部費でなんとか必要な物を調達しなければならないのだ。一通りの道具は部室にも残っているのだが消耗品である糸や生地、チャコペンに綿などは当然ながら針に糸を通すたびになくなっていく。

 今月分の調達は僕の担当なので常に在庫の確認もしなければならない。とりあえず今日は部長がよく使う紐とボタン。そして必須項目で消費量もダントツトップの手縫い糸。ミシン糸はそもそもミシンを使ったソーイングをしないため不要なのだ。あとはフェルト。とまあこんな感じでいいはず。


 あらかたの目当てをかごに入れ、レジに向かっていると目に留まるものがあった。


「あ、綿」


 白い綿上の繊維の塊を詰めた商品。これはお買い得だ。この使い道は主にぬいぐるみにある。作るにも修復するにも万能なのだ。しかし、


「部費で足りるかな……」


 そもそも部費の少額さが調達の幅を縮めている。これでは何か一つを犠牲にしなければならない。なぜなら部費で買ったことを示すためにその時のレシートを生徒会に直接出さなければならない。確認が済めば僕の財布が戻ってくる。面倒な仕組みだが顧問がいない今はこうするしかないのだ。部費以上の額を使ったとなると頭の固い生徒会長になにをされるかわからない。


「うむむむ……」


 どうしよ。部長の分はなかったことにしよっかな。まあ綿なんて後で自費で買えば何とでもなるのだから。

 というわけでレジに二回並ぶことに。誰もいないレジをぐるぐる回るのは店員さんに不審に思われるため、部費で買える分を先に済ましてもらい、後から思い出したかのようにナチュラルに売り場へ戻って再びレジスター。我ながら完璧だ。


 あとから聞いた話なのだが誰も並んでない場合、商品ごとにレシートを分けてもらうこともできたようだ。


「まあ用も済んだし袋詰めたら戻るか」


 さて、あっちの買い物は終わっているだろうか。






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