第4話 いざ、外出

「それじゃあお母さんはこれから行くとこあるから。くれぐれも迷子にならないようにねー」


 母は外出の身なりに着替えるとそう言って玄関を出ていった。


「「いってらー」」

「いってらっしゃいませ」


 後ろ姿を見送り、僕たちもこれからすべきことがある。


来未くるみタスクその二。衣食住の衣を揃えましょう』


 今来未くるみが身につけているのは菜々野ななののブカブカのシャツと僕の体操服のズボンといういかにもニートっぽい粗末な格好である。たぶんヘッドホンとか肩にかければ完璧なはず。

 今日はやり過ごせるが、これから自前の衣類がなければやりくりが回らなくなるのは目に見えている。そのため街の方へ行って必需品の買い出しをしなくてはいけないのだ。


「妹よ、女子の服装を揃えるには二万円で足りるのか?」

「うーん。もうちょっと欲しいかも。一回着るのに必要な分だと上下合わせて一万はいくかな? 三日分あれば十分だけど……あっ、あと靴も」

「えー……。じゃあバリバリ足りないじゃんか。仕方ない。もう一万は僕が出しとく」


 と言いつつ最近はソフィアにお金をかけすぎて残高が底をつきそうになっているのだった。

 若干の冷や汗を感じながらとぼとぼ階段を上っていると菜々野ななのが後ろから引き止める。


「ナノも出すよ。もしも足りなかったらだけどね」


 その言葉に僕は違和感を覚えざるを得なかった。


「……マジで?」

「ま、マジだけど」

「え〜。なんで?」

「お兄はナノをなんだと思ってるの? 来未ちゃんは家族だよ。ドッ君の時はお兄の所有物だったかもしれないけど、今はものでもないしお兄だけが肩代わりする必要もないの。だからナノにもそういう時は手伝わせてよ……」


 虚をつかれたような気がした。


 僕の妹は生意気だ。自分の意見を僕に押し付けるしちょっと難癖つけては押し通そうともする。キャッキャ無邪気にはしゃぐだけだったのがいつの間にか豹変していた。そして僕も菜々野ななのを必要以上に知ろうともしなかった。家族という狭くて近い距離感で過ごしているのに。


 でもそんな妹にも誰かをおもんぱかることができる心構えがあるなんて思ってもいなかった。

 もしかすると昨日も僕の帰りを案じていたのもしれない。無理に八つ当たりしていたのでもなくただ純粋に怒っていた。


 またしてもこんなことで胸の奥に熱が生まれるだなんて。


「ありがとう。菜々野ななのは優しいんだな」


 気恥しさを紛らわせることなく、僕は菜々野ななのの頭を数年ぶりに撫でてやった。


「今から貯金確認してくるからちょっと待ってて」

「…………お兄のばか」

「なんて?」

「なんも言ってないしっ。ナノは来未くるみちゃんの排便手伝ってくるから」


 『来未くるみタスクその三、排便をしましょう』、か。忘れてた。


 僕と菜々野ななのはそれぞれ逆の方へと向かった。


「聞こえてないわけないだろ」


 狭い階段で独りごつ。

 ようはお互い様ってことなのだろう。やはり、これだから人間ってやつは……と思わざるを得なかった。


 自室に入り、楽園の右隣にかかっているショルダーバッグから財布を引き抜く。さーてとどんくらい入ってるかな? ……うん。まあそんなもんだろ。

 今度は勉強机の三段ある引き出しのうち、二段目を引く。正月にもらうポチ袋に僕の全財産が残っているのだが……


「ない」


 


 


 



 お兄は本当にナノのことを知らない。昨日だってあれだけ怒ってたのにすっかり流されちゃって結局言いたいことが正直に言えなかった。


(まあ正直になれないのはナノの悪い癖だけど……)


 お兄は昔から人間っぽいことが嫌いらしい。どうしてか知らないけど。

 まず生きていることに疑問をもってるし、なんで死ぬのか、なんて真面目に先生とか母さんとかに聞いてるし。

 あとは羞恥心を必死に隠そうとしてる。それも家族に対して。

 分からなくもない。家族ほど自分を分かってくれる存在はいないし、なんか気恥しさみたいなのが残りやすい。


 そういうのに真正面から向き合うのができないのだ。お兄も、ナノも。


「ナノちゃん、先程大きな声を出していたのを聞いていたのですが……その、大丈夫でしょうか? もしかして喧嘩でもしてたのですか?」


 発せられる声はトイレから。扉一枚挟んだ状態で来未ちゃんが不安そうに聞いてくる。

 かぶりを振る。興奮した自分を少し落ち着かせる。


「喧嘩じゃないよ。ただちょっとお兄がいつまでも子ども扱いしてくるから言ってやっただけ」


 人間になった直後に兄妹の不仲を見せられて、来未くるみちゃんに申し訳なく思った。


「そうですか……」

「ゴメンね。見苦しい所見せちゃった」

「いえそんな! 一応見慣れていますし……」

「へ、へぇ。それは色んな意味でゴメンだね」


 まさかとは思っていたがぬいぐるみの時の来未くるみちゃん、もといドッ君には目が見えていたようだ。さっきのやり取りと似たようなことを今までに見たことがある口ぶりだった。眼球とかぬいぐるみのなかにあったのかなぁ。               


「ボクはナノちゃんが修司しゅうじ君思いの優しい妹さんだと言うのは重々承知しています」

「ちょっ、それじゃまるでナノがブラコンみたいじゃんっ!」

「ぶらこん?」

「あぁー、ええっとぉー、女の子が自分の兄弟に……必要以上に好きになっちゃう病気? みたいなものかな……」


 なんか恥ずい。ブラコンの対象になりうるナノがブラコンの説明してるとその気があるみたいで気が引けた。


 でも来未くるみちゃんは引け気味にならなかった。むしろその逆で興味津々の様子。


「そんな愛情表現があるだなんて……! やはり人間は愛の亡者です!」

「も、もうじゃ……」


 褒めているのか、もしくはぬいぐるみ専用の独特のワードチョイスなのか。ナノにはさっぱりわからない。もしかしてお兄の変態性が来未くるみちゃんに影響しているのか。一人称が「僕」なのもそのせい? ……まさかね。

 こちらからでは今来未くるみちゃんがどんな表情で言っているのかは確認できないため困惑してしまう。


 ナノの様子を扉越しに感じ取ったのか来未くるみちゃんは問う。


「ナノちゃんは兄である修司しゅうじ君を好きではないのですか?」


 突然言われた言葉に虚をつかれた。そしてナノは言葉を失う。


「……」

「家族なのにどうして嫌いなのですか?」

「……強いているなら…………家族だから、かな」

「家族という存在こそが逆に受け入れられないということでしょうか?」

「たぶんね。来未ちゃんの思う家族って、気兼ねなく自分のことを打ち明けることができて、親とか腹からを慕い続ける人たちなんじゃない? それは、理想だとナノは思うの。言いたいことが逆に言いづらくて、素直にもなれない。衝突する時はとことん激しいし、例え好きでも心の底から嫌いって思うことがあるんだよ」

「……」


 今度は来未くるみちゃんが言葉を失う。

 ナノはなにも怒ってなんかない。ただ家族という存在を言葉にすると、苦しいようなつかえが生じて紡ぐ口を重くする。

 それでも家族の一員である来未くるみちゃんには言いたかった。今さらできた家族だから言えた。


「長い目で見れば家族が大好きなのかもしれない。でも今のナノにはお兄のこと、そんなに好きになれない。言葉じゃ説明しにくいし、言葉でも足りないの。……そういうのだから。家族って」


 徒労した唇を濡らす。


 こんなに家族のことを真剣に考えたのは初めてかもしれない。でも口から出た言葉はすべて本心だった。

 何気なく近寄り難い兄のこと、家族という存在がどのようなものかを言葉に出来たのは意外だった。


「そう……なんですね」

「ちなみに来未くるみちゃんはどう思う?」

「わたしはナノちゃんの言う理想をすっかり思い描いてました。途切れることのない不朽の愛で結ばれていて、毎日心が和んでしまう」                 


 ナノの頭には来未ちゃんの理想が自然に想像できた。


「……いいね、理想だったら」

「あの、ナノちゃん。わたしの願い、叶えてくれますか?」

「願い?」

「理想の家族になることです! 人間になるという積年の願望が成就じょうじゅされて間もないですが、その目的のひとつが家族の愛を知る所にあるのです! どうか、お願いできませんか?」

「い、いいけどぉ……」


 来未ちゃんの必死に大きい声が扉越しでもよく響く。

 それに気圧されたようにナノはついオーケーしてしまった。

 それにしても理想の家族ってどうすれば出来るのか。その疑問でいっぱいだった。


「ナノちゃん。改めてよろしくお願いします」

「こっちからもね。よろしく」


 顔は見えないが彼女は笑っているように思えた。ナノもなぜか笑っていた。もしかしたら理想の家族を心の底では羨望せんぼうしていたのかもしれない。





「お兄、お小遣いの中身何もなかったの?」


 二階から降りてきたお兄が肩を落としている。その様子を案じて声をかけたのだけど、どうやら貯金がすっからかんなようだ。


「……ああ、そうだよ。たしか二万円分入ってたはずなんだ。それが一文無しにっ!! 何故だ……」


 思い出したようにまたお兄が項垂れてしまった。


「じゃあナノが出すよ……。お年玉貯めたままだし、二万でいい?」

「助かる。さすが妹だ」


 褒めると同時に頭まで撫でてきた。つい込み上げる嬉しさが頬を赤く染めていくのがわかる。


修司しゅうじ君、いつものようにボクも撫でてください!」


 来未くるみちゃんは羨望の眼差しでナノたちを見つめる。なんか飼い主にかまって欲しい犬みたいだ。 実際、犬のぬいぐるみだったし遺伝したのかも。


「はぁ。ほれ。こんなのでいい?」

「あぅ……はい。ありがとうございます。修司しゅうじ君。好きな時に好きなだけ撫でてください!」

「はいはい。また今度ね。それよりも早く準備しないと」


 お兄は構って欲しいと強請る来未くるみちゃんを冷たくいなす。

 その様子を見てナノは少し疑問を持っていた。


 中身が最愛のドッ君であると言うのに来未ちゃんになった途端にお兄は相手にする人が変わったように冷たいのだ。あれだけドッ君にはべたべただったのに。なぜ来未くるみちゃんになった途端に……


「ん? メールだ。誰からだろ?」


 お兄のスマホにLINOの着信がつく。ポケットから取り出し、文面の送信者を確認。


「母さんからだ。なになにー? 『ごめーん。テーブルにおいた二万円は修司しゅうじに返す分だった(´>∀<`) ゝてへっ。母さんの引き出しに入ってるヘソク、お小遣いから抜いちゃってね💕』……ね、じゃないよ。てか危うく僕のお金が使われるところだったのかよ!」


 子どものようにわめくお兄を他所にナノは例のヘソク、小遣いから必要な分だけ引き抜く。南無三。


「さぁ来未くるみちゃん。お兄なんかはほっといて、支度するから二階行こ。きっと可愛い服とか沢山あるからナノ楽しみ」


 来未くるみちゃんの手を引いていく。


 お兄は母さんに私怨マシマシの返信を打っていた。(´>∀<`)ゝてへっがかなり効いたのだろう。


「あ、はい……」


 両手でスマホを操るお兄の後ろ姿が妙に寂しそうに見えたのは気のせいなのかな。


 


 


 まったく。いつの間に母さんは僕のお金借りてたんだよ。しかも返すタイミングがいちいちヒドイ。手渡しを要求したいものだ。


「……気をつけてよ、っと。こんな返信でいいだろ」


 今どこにいるかも知れない母に私怨を送り一息。

 一度消した画面を思い出したように再び立ち上げる。手慣れた手つきで写真フォルダを開き、最愛のぬいぐるみの写真を映す。


「……ドッ君」


 今はもう触れることもできないあの感触を来未くるみの頭を撫でたときに思い出してしまった。似ても似つかない感触だからだろうか。来未くるみにねだられた瞬間、人間となった今でなお残っていて欲しいと願っていた。

 それは裏切られた。あまりにも異質、あまりにも人造じみていない。期待はただの泡と化し、僕の意識は大気に放り出されたように軽い。こうしてなんとか地面に立っていられるのは画面の中の姿から伝わる感触に哀愁を覚えたからだと思う。


 もう一度でいいから触りたい。そう願わずにはいられなかったのだ。画面に触れても反応して縦横無尽に動いてしまう。伝わるのは保護フィルターの無機質な感触。


「お兄、ナノと来未くるみちゃん支度できたよー」


 身だしなみの整った菜々野ななのがリビングに顔を出す。


「わかった。僕も用足してから行く」


 今は哀愁に浸ってはいられない。

 来未とはまた新しい付き合いをしなくては、と思い、スマホの画面を消す。

 それから二人を待たせないよう迅速にトイレを済ませ、寝癖を軽く整え、いざ出陣。


 




 僕たちが向かうのは家からバスで十五分ほどのショッピングモール。数多くの店が横百メートル、縦には三階分のフロアに分けられている。一階は食品売り場が大半を占め、二階三階は主に衣類、たまに雑貨屋やスポーツ用品店、本屋、喫茶店なども点在する、いたってどこにでもあるような大空間の市場だ。


 偏った年齢層はなく、子どもから大人、お年寄りまでもが休日に押し寄せる。そして今日はあいにくの日曜日。日々の学業や労働から解放され、ストレスから解放され、片荷を下ろさんと、奮発する人が多い。


来未くるみ、もしかしなくても見知らぬ人を大勢見るのは初めてだよね」


 バスの後部座席に来未くるみを僕と菜々野ななので挟んで座るなか、初めての外出に感動してばかりの来未くるみに問う。視線は移り変わる景色につられて右往左往しているがはっきりと答えてくれた。


「はい! もちろんです。ボクが会ったことのある方は修司しゅうじ君とナノちゃんとお母様、お父様と修司しゅうじ君のご友人くらいですね」


 会ったことがある、と言っても誰もぬいぐるみの中に自我があるなんて思う者はいないわけで、来未くるみが勝手にそう表現しているだけなのだろう。


「そっか、さすがにお兄はドッ君を首に巻いたまま外出なんてしないもんね。さっき目の前を車が走ったときなんてすごいびっくりしたよね、来未くるみちゃん。ひょええええええ!!?? って」

「そ、そんな感じでしたか!?」

「うん。突然の奇声でついに来未くるみが壊れたかと思った。てかなんだかんだ言ってバス乗ってからもひえええええ、ひえええええ……って言ってるのが聞こえる」

「だって車ですよ! 自動で動く車ですよ! しかもあんなに速くて近くにいたら風が吹き荒れて気持ちがよくて! あ、そういえば風も外だとあんなにも強く縦横無尽に吹くんですね! あ~っ発見の連続です!!」


 家では見せなかった興奮ぶりをつつがなく表明する。彼女の眼はらんらんと光っており、この世すべてのものを知ろうとする好奇心に満ち溢れていた。

 その後も来未くるみの発見の報告に付き合っては笑い合う。


 とまあ僕らからすれば何の変哲もないことだが目的地に着くまでの間、そんな他愛もない話で盛り上がっていた。

 そばで赤の他人が聞いていればくだらないと一蹴していただろうが、今はそんなこともなく人間という存在になれた解放感にあふれた来未の笑顔は絶えず、饒舌のままだった。


 するとともなく目的地の停留所の名が高らかに読み上げられる。反射で止まりますのボタンを押す。話はほんの十八分という長さだったが僕にとってはとても短く感じた。


 三人分の料金を払い、来未くるみ初の乗車が終わりを告げた。




『またのご利用お待ちしております』




 その電子音のアナウンスに来未くるみは、




「また、乗らせていただきます」




 と降車際につぶやき、浅く礼した。


 バスが去る。重たい轟音を残すバスの後ろ姿を追いかけたくなったのは来未くるみだけじゃないと言いたかった。


修司しゅうじ君……空はこんなにも青くて広いのですね」


 それでもなお笑顔のまま、来未くるみは空を見上げる。

 なんか、自由だな……と少しだけ、ほんの少しだけ、僕はこの世の中を知らない彼女がうらやましいと思った。

 だからなのか、不思議と僕も彼女の軽やかなステップにつられてしまったのだ。


「お兄、いつになく楽しそうだね」


菜々野ななのが下から覗き見るように揶揄やゆする。


「気のせーじゃないか?」


そう言って足早に来未くるみの手を引いてショッピングモールの入口まで半ば強引に連れていった。

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