第54話


 待ち合わせ時刻に少し遅れて、会場である居酒屋へ到着すれば、すでに店内はザワザワと騒がしかった。


 大人数で利用できる個室部屋を予約したそうだが、部屋に入る前から賑やかな声が聞こえてくる。


 中に入れば、クラスで一番仲の良かった友人に声を掛けられた。


 「雪美!元気してたの」


 ハンガーにコートとマフラーを掛けながら、すっかり酔っ払っている友人に笑ってしまう。

 久々の再会にテンションが上がっているのか、すでに彼女が持つジョッキは空だった。


 「めっちゃ元気、もうみんな来てる?」

 「そう、雪美が最後!みんな、雪美来たからもっかい乾杯しよー!」


 事前に雪美の分のビールも注文してくれていたらしく、少し温くなったジョッキを片手に乾杯をする。

 あまりお酒は強くないため、セーブをしながら飲まなければいけない。


 「お前今年就職だっけ?」

 「そう、短大だからなあ、お前らまだ学生とかズルすぎだろ」

 「ねえ、焼き鳥食べたい」

 「てか松山先生と美琴ちゃん結婚したらしいよ」

 「まじ?」


 皆思い思いに言葉を発しているため、纏まりがなく会話になっていない。


 最近の近況や思い出話に花を咲かせながら、とある男子生徒の言葉に皆の注目が集まっていた。


 「そういえばさあ、天使って今何してんのかな」

 「わかる!今日も来てくれるかなって期待してたけどそもそもグループにいなかったし」

 「めっちゃ美人になってそう。俺の予想では2年後に新人アナウンサーとしてテレビ出てるから」


 いつでも人の目を集めていた、来海凪の話題。

 あれほど綺麗で美人なのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。


 「まじで綺麗だったよなあ、来海さん」

 「名前も可愛くね?」

 「それなぁ……あんな美しい人あれから一度も見てないから。まじで存在が綺麗で……可愛かったよなぁ…」


 次々に、皆が凪は綺麗だったと言う。

 天使のように愛らしく、お姫様のように優雅な存在。


 雪美だって、皆と同じように彼女を綺麗だと思って、それを押し付けすぎたのだ。


 きっとあの子には負担だった。

 綺麗と言われるたびに、気持ちが不安定になっていったのだ。


 「あんだけ綺麗だったら人生まじで勝ち組だよな」


 大声で誰かがそう叫んだ瞬間。

 個室の扉が開いて、皆の視線がそちらに集まる。


 「え……」


 来るはずがないと思っていた、学園の天使。

 厚手のコートを羽織ったその女性は、今話題の中心にいた来海凪だった。


 皆が驚いたように、彼女を直視している。

 まさか来るとは思わなかったため、雪美も信じられない思いで彼女を見つめていた。


 何も言わずに、凪は雪美のすぐ目の前で足を止める。


 「……凪?」


 キュッと唇を噛み締めながら、凪が羽織っていたコートを脱ぐ。

 その瞬間、皆の顔色が変わったのが分かった。


 息を呑むものもいれば、眉間に皺をキツく寄せて凝視している者もいる。


 「……やば」


 その言葉の意味が分かったのは、彼女が諦めたような表情でこちらに背中を向けた時だった。


 冬にも関わらず、彼女は背中がザックリと空いたデザインのワンピースを身につけていたのだ。


 勿論そこには、凪がずっと隠し続けた秘密が刻まれていて、皆の顔色が変わったのはそのせいだろう。


 「……じゃあね」


 それだけ言い残して、凪がコートを片手に部屋を出ていってしまう。

 突然の天使の登場に、一気に場が騒がしくなった。


 「いまのなに?」

 「てか背中のアレって本物?やばくない?」

 「マジで意味わかんないんだけど、来海さん何しに来たわけ」


 皆が次々と言いたい放題言う中で、勢いよく立ち上がって掛けていたコートを引っ掴む。


 背後から呼び止める声が聞こえて来ても、返事をせずに彼女を追いかけていた。

 

 初めて見た、凪を縛り続けた火傷の跡。

 その秘密を知っても、不思議なくらい気持ちは何も変わっていない。


 そのことを伝えたくて、1人で夜の街を歩く彼女の背中に向かって声を上げた。


 「凪!」


 腕を掴んで正面から回り込めば、凪が急いでコートを羽織り出す。


 寒いからか、火傷の跡を1秒でも早く隠したかったのか、真意は分からない。


 「……分かったでしょ」

 「え……」

 「……私が綺麗なんかじゃないって」


 瞳から涙を流す姿にまで、美しいと思った。

 

 来海凪は綺麗なのだ。

 見た目だけではなくて、その優しい心に恋をした。

 たとえ彼女が自分の秘密をどんな風に受け止めていたとしても、雪美の気持ちは変わらない。


 「……これからもう、誰も私のこと天使なんて呼ばないよ」


 寂しそうに呟く彼女の体を、ギュッと引き寄せていた。

 後頭部に手を回して、優しく頭を撫でてやる。


 天使なんて呼ばないで欲しいけど、天使と呼ばれなくなるのも怖い。

 ひどく複雑な感情の中で、きっと彼女はとてつもなく大きな勇気を振り絞ったのだ。


 「天使じゃなくて良いよ」


 どうかもう泣かないでほしい。

 好きな人の泣き顔なんて見たくない。


 幸せそうに笑う顔が、雪美は堪らなく好きなのだ。


 「天使でも…お姫様じゃなくても良い。それでも凪と一緒にいたい」


 彼女の体は僅かに震えていて、間違いなく寒さのせいではないだろう。

 恐怖に耐えて、飛び込んできてくれた。


 雪美を信じて、あの場所まで来てくれたのだ。


 「……凪がいいよ。来海凪がいい……優しくて、不器用で……そんな凪が大好きだから一緒にいたい」


 凪を慰めてやりたいのに、雪美も堪えきれずに涙を流してしまう。

 沢山の感情が込み上げて来て、勝手に溢れ出して止まらないのだ。

 

 「……凪と一緒に生きていきたいよ」

 「………っ、雪美」


 背中に腕を回されて、ギュッと抱きつかれる。

 震えた声から、伝わってくるのは彼女の想いだ。

 

 「……………私も、雪美がいい」


 たどたどしく紡ぎ出される言葉に、さらに涙が込み上げてくる。

 ずっと欲しくて仕方なかった言葉に、感動で胸が震えていた。


 「……ずっと……雪美が私を好きになるよりもずっと前から……好きだったの」


 欲しくて仕方なかった言葉を、じっくりと噛み締める。もう2度と離れないように、更に腕の力を強めた。


 長い間すれ違って、ようやく想いを通わせ合えたのだ。


 酷く長い時間は掛かったけれど、不思議と遠回りには思えない。

 来海凪という女性と向き合うためには、全て必要なことのようにも感じる。


 沢山傷ついて、辛い思いも沢山して来たけれど、今こうして凪と抱きしめ合えているだけで十分だった。


 それ以上は何も望まない。

 愛おしい存在のそばにいて、同じように愛を返してもらえる。


 きっとこれ以上に、雪美の人生で大切なことなんてないのだ。

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