第52話
何度コールをしても通話は繋がらず、ぼんやりとスマートフォンの画面を見つめる。
冬の夜空の下で、雪美は愛おしい彼女に想いを馳せていた。
「出ない……」
凪が雪美の働く店へとやって来て、同時に秘密を知ってから3日が経過していた。
あの日、凪は施術を受けずに帰ってしまった。
こちらの顔を見るなり、慌てたように出て行ってしまったのだ。
もしかしたら、スタッフの間で自分の情報が共有されていること瞬時に察したのかもしれない。
頭の良いあの子であれば、一瞬で判断して出て行ったとしても不思議ではなかった。
「……何も知らなかった」
あの子の体に火傷の跡があることを、過去に付き合っていたにも関わらず知らなかったのだ。
大好きな彼女の秘密。
なぜ教えてくれなかったのだろうと考えるが、答えは簡単だ。
言いたくなかった。
言い出せなかった。
それくらい、火傷の跡は彼女にとって大きな存在で、簡単に打ち明けられないものなのだ。
ぽつぽつと輝く夜空の星を眺めながら、ため息が溢れる。
「……凪」
久しぶりに下の名前で呼んだ。
長い間、自分の気持ちを抑え込もうと名字で呼び続けていたのだ。
たとえ火傷の跡があったとしても、そのままの彼女を愛したい。
彼女が何と言おうとも、何度だって大好きだと抱きしめたかった。
結局どれだけ連絡を入れても彼女からの連絡はなくて、当然電話にも出てくれない。
悩んだ末に、あの子が一人暮らしをするマンションへと出向いていた。
インターホンを押すが、当然のように応答はない。
本当にいないのか、それとも居留守なのか。
このまま帰ってくるまで待ち続けようかと悩んでいれば、女性の声が耳に届いて振り返った。
「……何か用?」
驚くようにこちらを見つめる女性のことを、どこかで見たことがあるような気がした。
しかしすぐには思い出せずに、悩み込んでしまう。
意外なことに、綺麗な女性はこちらのことを知っているようだった。
「上村雪美ちゃん…?」
「えっと……」
どうして知っているのか、その疑問をさらりと教えてくれる。
「一回だけ会ったことあるんだけど覚えてない?雪美ちゃんが高校生の頃、あの子の家で……紗南って言うんだけど」
「あ……」
確かあれは凪が体調を崩して、熱が出てしまった時。
居てもたってもいられずにお見舞いに行った際、偶然居合わせたのが彼女だった。
確か凪の従姉妹で、仲が良いと聞かされていたのだ。
「凪、いないの?」
「みたいです」
疑うように紗南がインターホンを押すが、やはり応答はなかった。
2回押しても出ないため、諦めたように溜息を吐いている。
「……出直すか」
「元気してますか?凪」
「会ってないの…?」
コクリと頷けば、紗南は何とも言えない顔をしていた。
彼女はどこまで知っているのだろう。
従姉妹であれば凪の火傷の跡については知っているだろうが、過去の雪美と凪の間に何があったか、聞かされているのだろうか。
「凪ってバカなの。怖がりで臆病で」
「それって火傷の跡が原因なんですか」
「知ってたの……?」
予想外だったのか、紗南の目がゆっくりと見開かれる。
あれほど頑なに話してくれなかった秘密を、打ち明けるはずがないと思っていたのだろう。
あの子の性格を、もしかしたら誰よりも理解している人なのかもしれない。
「偶然知ってしまって……」
「それ凪は知ってる?」
「たぶん……すごく頭が良い子だから気づいてると思います」
こちらを避け続けていることが、無言の答えなのだろう。
あの店には凪の秘密を知っている人がいて、きっと彼女経由で火傷の跡が雪美に伝わったことを察したはずだ。
ジッと彼女のヒールのつま先を眺めていれば、向こうからとある提案をされる。
「……ちょっと時間ある?」
「え……?」
「奢るから、ついて来て」
歩いて5分ほど、彼女の家の近くにあるカフェテリアへ紗南と共にやって来ていた。
人気のチェーン店は珈琲の香りが漂っていて、落ち着いた雰囲気。
ソファに腰を掛けながら、正面からよく見ると紗南と凪の雰囲気が似ていることに気づいた。
もう少し歳を重ねれば、凪も彼女のように美しい大人の女性に成長するのだろう。
「ごめんね、お茶に付き合ってもらっちゃって」
「いえ……」
ブラックコーヒーを一口飲み込んでから、彼女はすぐに口を開こうとしなかった。
言葉を必死に選んでいるのか、暫くして開かれた唇から紡ぎ出される声は酷く小さい。
「凪が言っていないことを私がベラベラ話すのは何か違うと思うの…だから、抽象的な話になっちゃうけど良い?」
当然、首を縦に振っていた。
雪美の知らない凪を知りたいのだ。
一体何を隠しているのか、何も知られたくないのか。
もしも1人で何かを抱え込んでいるのだとしたら、支えたいと思ってしまう。
好きな人だからこそ、1人で悩んで欲しくないのだ。
「凪は昔から綺麗なの。美しい、可愛いって……遠巻きに見られてばかりいたから友達も出来なかった」
幼少期もきっと、天使のように美しかったのだろう。
周囲から可愛いと褒められる姿が容易に浮かんでくる。
「自分が周りからどう思われてるのか、どう行動して欲しいと思われてるのか…そういうのも全部分かるくらいには、周囲の変化にも敏感。それが面倒くさくなって高校からは自由に生きてるって聞いたけど」
あの子は社会性がないわけでも、空気が読めないわけでもない。
読めすぎてしまうから、疲れてあえて読まなくなったのだろう。
美しい天使を求められ続けて、きっと酷く疲れてしまったのだ。
「すごく繊細で、面倒くさくて…深い傷を負っている子だから正直言うと中途半端に首を突っ込まれたくない」
真剣な瞳と交わって、逸らすことが出来なかった。
とても大切に思っているからこそ、綺麗事を言うつもりはないのだろう。
「けど、もし本当に凪のことが好きなら…土足で踏み込むくらいが丁度いいのかも」
背後から「いらっしゃいませ」と言う女性店員の声が聞こえたあと、コツコツとヒールの音がこちらに近づくのを感じていた。
ちょうど雪美の背後で止まった足音。
恐る恐る振り返れば、会いたくて堪らなかった彼女の姿がある。
「紗南ちゃん、何のよ……え、雪美…?」
互いの顔を凝視し合って、きっと同じことを考えているのだろう。
どうしてこの場所に?と尋ねたい所だが、恐らく目の前にいる女性の仕業に決まっている。
「どういうこと…」
「友達が来てるのに居留守なんて酷いじゃん。ほら、早く座って」
立ち上がってから、先ほどまで自分が座っていた席に凪を座らせている。
向かいに腰を掛けた彼女は、居心地が悪そうに目線を下げていた。
「……片想いだったら自分勝手に生きれば?って思うけど、恋愛は一人でするものじゃないでしょ」
それだけを言い残して、紗南は伝票を手にレジへと向かって行ってしまう。
残された2人の間では、当然気まずい沈黙が流れていた。
何とか空気を変えようと、メニューを取って彼女へ差し出す。
「……それエスプレッソだから、甘いやつ頼んだら?」
メニューを一度も捲らずに、凪は近くにいた店員に声をかけている。
自宅から近いため、もしかしたら頻繁に訪れているのかもしれない。
「アイスココアで」
「かしこまりました」
中途半端に残っていたエスプレッソを下げてもらってから、すぐにココアが運ばれてくる。
珈琲の香りがしなくなって、代わりにやってきた見るからに甘そうなココア。
二人とも、苦いものより甘いものの方が好きだ。
砂糖がふんだんにあしらわれた甘ったるい食べ物の方が、苦い食べ物よりも舌が合っている。
「甘いもの相変わらず好きだね」
「お店の人から何か聞いた?」
いきなりそこに触れてくるとは思わなかったため、ビクッと肩を跳ねさせてしまう。
そのリアクションで全てを察したのか、凪の瞳からスーッと光が消えていくのが分かった。
「……分かるでしょ?私のこれはそういうことなの」
生クリームが上に乗ったココアに、彼女は口をつけようとしなかった。
あれほど甘いものが好きだったあの子が、酷く寂しそうな表情で苦しげな言葉を続けるのだ。
「……面白おかしく話されて、うわって思うような……可哀想って思われるような、そういうものなの」
いくら同じ店で働くスタッフであっても、お客さまの情報をベラベラと喋るのは間違いなくマナー違反で、スタッフとして意識が足りていない。
人としてはもちろん、接客業に従事するものとして、彼女にこんな表情を浮かべさせてしまったことが情けなくて仕方なかった。
「……雪美にだけは知られたくなかった」
「……ッ」
「……雪美には可哀想な女と思われたくなかった……雪美にだけは綺麗な天使って……普通の女の子として接して欲しかった」
どんな言葉が彼女を安心させられるのか、励ますことが出来るのか。
ずっと考えていたけれど、今凪の言葉を聞いて思い浮かぶ想いは一つだった。
ギュッと手を握って、思ったままに言葉を紡いでいく。
「変わらないよ」
「……ッ」
「火傷の跡があっても、なくても…凪を好きって言う気持ちは変わらない」
彼女が手を引っ込めようとするから、重ねていた手の力を込める。
もう逃したくない。これ以上、彼女とすれ違わないように、ちゃんと話し合いたいのだ。
「……嘘だ」
「ずっと凪が好き。忘れられなくて……あれ以来一度も恋をしてない」
「けど二丁目で女遊びしてるって…」
「しようとして、出来なかった。まだ凪が好きだったから……経験豊富なふりして近づいたの」
まん丸とした大きな瞳から、涙が一筋零れ落ちる。
次から次に落とされていく雫は、言葉よりも余程彼女の心情が伝わってくるようだった。
「……凪はもう私のこと好きじゃない?」
空いている方の手で涙を拭っているが、どんどん溢れてくるため追いついていない。
ギュッと唇を噛み締めながら、雪美の言葉に戸惑っているのがわかる。
「……私は…」
一度口を開いてくれたが、それ以上は何も言ってくれない。
そこから先を知りたいのに、彼女は酷く不安そうに俯いてしまうのだ。
だから美しい彼女が安心できるように、言葉を囁いていた。
「……見た目で好きになったならとっくに一目惚れしてる…けど少しずつ好きになったって事は…凪の中身を知って、性格に惹かれていったんだと思う」
少しでも伝わるように、優しく指を絡ませる。
手のひらから熱と一緒に自分の想いを伝えたかったけれど、雪美の言葉は彼女の胸に届かなかったらしい。
「……実際に見たら、雪美もうわって思うよ」
椅子から立ち上がって、手を振り払われる。
伝票と荷物を持ってから、結局ココアは一口も飲んでいなかった。
「……見てもないくせに、綺麗事ばっかり言わないで」
悲しそうにそう呟いてから、ヒールを鳴らしながら彼女が去っていく。
「……ッ」
両手で顔を覆ってから、彼女の心に届かなかったことを後悔していた。
必死に言葉に想いを乗せたつもりでいたけれど、まだ足りなかったのだろう。
好きで大切だけど、どうしたら彼女の心に寄り添えるのか。
愛おしい彼女に自分の想いが届かない事が、もどかしくて仕方なかった。
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