第50話


 どうやって打ち明けようか、ずっとタイミングを伺い続けたというのに、結局直前になってしまった。


 行為の前には正直に話そうと思っていたというのに、愚かな凪は更に先延ばしにしてしまう。

 

 「シャワー、先浴びる?」

 「……一緒に入らない?」

 「……色々準備したいから、別じゃダメ?」

 「わかった」


 また、彼女に嘘を重ねてしまった。

 打ち明ける前に火傷の跡を見られたくなかったのだ。


 どうやって切り出そうか延々と考えていれば、シャワーを浴びた彼女はすぐに凪の部屋に戻って来てしまう。


 「じゃあ、私も入るね。部屋で待ってて」


 1人でシャワールームへ向かって、洗面所でブレザーを脱ぐ。今日で着るのも最後だというのに、不思議なくらい名残惜しさはない。


 ワイシャツのボタンを外して、キャミソールも取っ払ってから、鏡に写る自分の姿に涙が出そうになった。


 「……ッ」


 この跡を疎ましく思う。

 これさえなければと、醜い感情が込み上げる。


 指を這わせてみれば、当然他の肌とは違う肌触り。

 体が震えて、気づけばその場にしゃがみ込んでしまっていた。


 「こわい……っ」


 言うのが怖い。

 知られるのが怖い。

 嫌われるのが怖い。


 雪美に遠ざけられるのが、怖くて仕方ない。

 あんなにもキラキラと眩しい彼女の前で、この秘密を打ち明けたくないと思ってしまうのだ。




 結局シャワールームから出て寝室へ戻っても、凪の脳内はちっとも整理できていなかった。

 ベッドに腰掛けている彼女は勿論そのつもりで、どう切り出せば良いかも分からない。


 「雪美」


 名前を呼べば、緊張したような表情。

 好きな人が目の前にいて、自分に体を捧げても良いと言ってくれているのに。


 そっと頬に手を添えて、唇を重ねる。

 最近では深いキスにも慣れ始めて、触れるだけのものでは物足りなくなっていた。


 それぐらいの間彼女に隠し事をして、長い間欺き続けたのだ。


 「んぅっ……」


 心地良さそうに彼女から漏れる声に、愛おしさを感じていた。

 好きな人のそんな声を聞くことができて、嬉しくないはずがない。


 そっとブレザーのボタンを外して、ワイシャツの上から胸元に触れる。

 ボタンを一つずつ外せば、恥ずかしそうに顔を背けていた。


 「……下着可愛いね」


 正直な感想を言えば、嬉しそうに雪美が笑みを浮かべる。


 その姿が可愛くて、真っ白な鎖骨あたりに顔を埋めていた。


 「同じ香りがする……」


 クリスマスに凪がプレゼントした、石鹸の香りがする香水。

 彼女が自分色に染まっているようで嬉しくて、勝手に涙が溢れ出てくる。


 さらに触れようと下着に手を伸ばすが、それ以上何もできなかった。

 ピタリと指先が止まって、ギュッと下唇を噛み締める。


 「……ッ」


 雪美はひどく綺麗だった。

 傷一つない、真っ白な柔肌。


 こんなに美しい女性の前で自分の体を晒せない。


 側から見たら可哀想だと情けを掛けられる、本当の自分を彼女にだけは見せたくないと思った。


 「凪…?」


 今にも大粒の涙がこぼれ落ちてしまいそうで、咄嗟に両手で顔を覆う。


 「……ごめん雪美、私やっぱり… 」


 肌に酷い火傷の跡があるの。


 その言葉は喉で引っかかって出ていかない。


 知られたくなかった。

 せめて彼女の記憶の中では綺麗でいたい。

 どうやっても、凪の肌は元には戻らないから。


 好きな人の思い出の中では、美しい来海凪でいたかったのだ。


 それを守るためについた嘘は、あまりにも卑怯だった。


 「え……」

 「ずっと言わなきゃいけないって思ってた。けど言えなくて…ズルズル先延ばしにしちゃったんだけど………私の雪美への感情、恋心じゃないかもしれない」

 「は…?」

 「友情の執着心を恋って勘違いしただけかも」


 ジワジワと涙の膜が張り始める彼女の瞳。

 自分の言葉がどれほど鋭利のナイフのように鋭かったのか、それを見て瞬時に理解する。


 自分が傷つかないためについた嘘が、世界で一番大切な彼女の心を切り裂いたのだ。


 「何言ってんの…?」

 「今まで友達がいたことなかったから…友情か恋愛感情かの区別が付かなかった。けど今、雪美とエッチする雰囲気になって…やっぱり違うかもって……」


 堪え切れずに、彼女の瞳から涙がこぼれ落ちる。

 拭ってあげたいのに、その権利をたった今放棄したのだ。


 「だから……ごめん」

 

 ただ呆然と涙を溢し続ける彼女を見ていられず、そっと手を伸ばすが予想通り振り払われてしまった。


 ハラハラと大粒の涙を流しながら、服を着直し始める。凄まじいショックだったのか、ボタンをとめる指先は震えていた。


 「……帰る」

 「雪美…待って」

 「……その……私そんなに物分かり良くないから……」

 「……っ」

 「とりあえず今は…凪の顔見たくない」


 大きかった足音が小さくなっていって、バタンと扉が閉まる音と共に聞こえなくなる。


 彼女が部屋から出て行ったのと、凪が涙を溢したのは殆ど同じだった。


 「あーあ……」


 全て終わった。

 そう理解した脳内は意外と冷静で、みっともなく取り乱す事はないけれど胸は酷く重苦しい。


 自分を守るために、彼女を傷つけた。

 最低な自分を軽蔑しながら、この選択肢を間違っていなかったと思うことができずにいる。


 打ち明けたらどうなっていたのだろう。

 雪美だったら受け入れてくれたのだろうか。


 もしかしたらと怯え続けて、自分が傷つかないために彼女を傷つけて。


 「……最低だなぁ」


 一粒零れ落ちて、さらに溢れ落として。

 全く接点のない状態からようやく付き合えたのに、結局自分で壊してしまった。


 雪美を信用できなかった自分の弱さでも、火傷の跡のせいでもない。


 結局は他者からの意見で散々自己肯定感を傷つけられて、自分自身を肯定できない凪の問題なのだ。

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