第46話


 朦朧としていた意識もようやく戻り始めて、体温計で熱を測れば昨晩から出ていた熱も引いていた。


 今までは風邪を引いたら学校へ行かなくて済むからラッキーだと思っていたというのに、あの子に会えないとこんなにももどかしく感じてしまう。


 「もう治ったかな……」

 「お粥食べる?」

 「ありがとう」


 仕事で忙しい父親に代わって、従姉妹の紗南がお見舞いにやって来ていた。


 両親が離婚して、いつも1人で家にいる凪にとって紗南はお姉ちゃんのような存在だ。


 長年付き合っている彼女がいる彼女は同じ同性愛者として、時折相談に乗ってもらっている。

 親身になってこちらの恋話を聞いてくれるのだ。


 「それで、その雪美ちゃんとはどうなったの?」

 「仲良いよ」

 「それは最近の凪を見てればわかるよ。そうじゃなくて、関係に進展あった?」


 進展があったかと聞かれれば、小首を傾げてしまう。

 仲良くなってはいるが、関係が変わっているかはよく分からない。


 「……したのかな?」

 「曖昧だね」

 「……私は凄く好きだけど向こうはどう思ってるのかなって……すごくモテるみたいだし、私なんか好きになって貰えるのかな」


 ついネガティヴになっていれば、額をパチンとデコピンされる。

 疎い痛みが額に走って、咄嗟に手で抑えていた。


 「いた…」

 「凪は可愛いよ」

 「……そうだと良いな」

  

 従姉妹である紗南は、もちろん凪の火傷の跡を知っている。

 全てを知っているからこそ、下手な励ましが意味ないことを分かっているのだ。


 「……その子ね、私のこと綺麗っていうの」

 「…凪」

 「この火傷の跡を見ても同じこと言ってくれるのかな」


 不安でギュッと布団を握りしめる。

 優しい彼女に限ってそんなことはないと思いたいけれど、実際のところは分からない。


 最悪な結末を想像するたびに、恐怖で涙が出そうになるのだ。


 「……もし、引かれたら…」


 中学3年生の頃、体育の授業終わりの更衣室。

 「うわ……」という言葉と共に、凪の世界は一変した。


 美しい天使から傷だらけの天使として遠巻きに見られて、有る事無い事を吹聴されて面白がられた。


 可哀想と言っていた彼らの目は酷く楽しそうで。

 どうでもいい人からの言葉でもショックだったのだから、それが雪美であれば立ち直れる気がしない。


 「……一回話してみなよ」


 優しく頭を撫でられて励まされるが、やっぱり不安は拭えない。

 好きだからこそ、大切だからこそ、打ち明けるのが怖くてこんなにも臆病になってしまうのだ。



 


 風邪を引くとどうしてこんなにも不安になるのだろう。

 用事のある紗南は帰ってしまったため、ぼんやりとベッドの上で真っ白な天井を眺めていた。


 幼い頃は、風邪を引くといつも母親が看病をしてくれた。

 優しい母親が付きっきりで看病してくれることが嬉しくて、風邪を引くのも悪くないなと幼心に考えていたのだ。


 「……ッ」


 好きなあの子が、来てくれたら良いのに。

 看病をしてくれなくても良い。ただ側にいて、手を握ってくれさえすれば満足だろう。


 そんな妄想をひとりで繰り広げていれば、自室の扉をトントンとノックされる。


 紗南が忘れ物でもしたのだろうかと、上体を起こしてから返事をした。


 「紗南ちゃん?どうかした?」


 こちらの問いかけには答えずに、扉が開かれる。

 そこに立っていたのは、たった今脳裏を支配していた彼女だった。

 

 「上村さん…なんで…?」

 「これ、お見舞い」


 プリンとミネラルウォーターが入った袋を渡されて、両手で受け取る。


 突然の訪問に驚きながら、こんなことなら可愛らしいルームウェアを着ておけば良かったと後悔した。


 パジャマ姿は酷くシンプルで、可愛さのかけらもない。


 熱にうなされてずっと眠っていたため、きっと顔だって浮腫んで可愛くないだろう。


 「いいの…?」

 「病人なんだから遠慮しないでよ」

 「大事にする……」

 「いや、食べてって」


 たぶんプリンのカップは洗って取っておくだろう。どこにでもあるプラスチックのカップを大事に取っておくなんて、まるで子供のようだ。


 ずっと寝転んでいたせいで、髪の毛はボサボサだ。せめてもと前髪を手櫛で整えながら、チラチラと愛おしい彼女に視線を送っていた。

 

 「じゃあ、私帰るね」

 「え…もう帰るの?」

 「それ私に来ただけだから」


 あっさりと帰ろうとする、彼女の服の裾を掴む。

 結局引き止めるためのハグは出来ずに、裾を掴むのが精一杯なのだ。


 「来海…?」

 「帰っちゃやだ」


 恥ずかしさで顔を俯かせながら、勇気を振り絞る。

 風邪のせいで普段より、心が弱っているのだろうか。


 「…もうちょっとだけ一緒にいよう…?」


 彼女に近づきすぎたら危険だ。

 好きな雪美と関係を進めていけば、いずれは火傷の跡を打ち明けなければいけない。


 誰にも知られたくない、凪の秘密。

 大切な人であればあるほど、打ち明けることが怖くて、知られたくないと思ってしまう。


 だけど同じくらい、受け止めてほしいと思っている自分がいて。

 美しい天使としてではなく、1人の女の子として凪を見てほしい。


 火傷の跡も全てを包み込んで欲しいと願ってしまうのは、凪の我儘なのだろうか。






 そんな思いも裏腹に、二人の距離はどんどん近づいていく。

 遠い未来の話を彼女と語り合えるなんて思いもしなかった。


 放課後にカフェでお茶をするなんて、こっそりとデートのようだと思いながら遠い未来に想いを馳せる。


 「夏になったら海行きたいね」

 「海…国内の海は汚いから嫌だなあ」

 「沖縄とかは綺麗じゃん」

 「……行くなら海外が良いよ。モルディヴとか」

 「遠いから絶対行けないやつじゃん、それ」

 「……二人で一緒にお金貯めようよ」


 本当は一緒に行きたかった。

 夏になったら海やプールへ行って、好きな人の水着姿だって見てみたかったけれど、凪は水着を着ることが出来ないから。


 火傷の跡が見られることがないように、叶わないであろう海外旅行の約束をしてしまう。


 背中に大きな火傷の跡がある女性の隣を、彼女は歩きたいと思ってくれるのだろうか。

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