第45話


 これ以上は危険だと、こちらがブレーキを掛けようとしても二人の距離はどんどん近づいてしまっていた。


 ブレーキを踏むふりをして、そもそもアクセルを踏んでしまっていたのか、それとも踏んですらいなかったのかは自分でもよく分からない。


 ただ一つ言える事は、浮かれていた。

 好きなあの子と一緒にいて、もっと、もっととどんどん欲が出てきたのだ。

 

 これでは本当に勘違いしてしまいそうだった。

 欲が出て、自分と同じ気持ちを返して欲しいと想ってしまう。


 まさか学校であの子とお昼ご飯を食べられる日が来るなんて。


 いつも人気者な彼女は誰かとご飯を食べていたから、こんな日が来るなんて思いもしなかった。


 おまけに彼女の方から誘ってくれたのだ。


 じんわりと喜びを噛み締めながら、ちらりと隣に座る彼女のお弁当を覗き込んだ。


 「それ、上村さんのお母さんが作ったの?」

 「私が作った」

 「え…!?」


 入っているおかずはどれも美味しそうで、彩りも良い。健康バランスも考えられていそうな中身を、ついまじまじと見てしまう。


 料理は上手らしく、そんな一面にときめいてしまう。


 いつもハウスキーパーにばかり頼っている凪と違って、ちゃんと家事をしているのだ。


 「料理上手なんだ……」

 「普通だって。来海のそれは?」

 「ハウスキーパーの人が作り置きしてくれたおかず詰めた」


 自分で言っておいて、恥ずかしくなる。

 こんなことなら父親の反対を押し切って、家事の練習をしておけば良かった。


 来年大学生になるのに、料理もまともに出来ないなんて引かれてしまっただろうか。


 「家事しないと一人暮らしした時大変じゃない?」

 「……そしたら上村さんが作ってよ」

 「いいよ。一緒に住もっか」


 てっきり断られると思っていたため、予想の更にその先をゆく答えに驚いてしまう。


 言葉が出て来ずに、何と返事をしようか悩んでいれば、不思議そうに名前を呼ばれる。


 「来海?」

 「……一緒に住んでくれるの?」

 「え……」

 「それって同棲じゃない?」


 女友達が2人で住むのだから、べつに同棲ではなくて同居でも良いのだ。

 意識し過ぎたせいで、無意識に口走ってしまった言葉。


 羞恥心で頬を赤めれば、雪美も照れたように耳を薄らと染め上げていた。


 甘酸っぱい空気感が恥ずかしくて、つい茶化すような言葉を口にしてしまう。


 「上村さんちょろいね。ちょろ村さんじゃん」

 「……ほんっとう可愛くない」


 もう少し素直になれれば、可愛いねと髪を撫でてくれたりするのだろうか。


 お弁当を食べながら、僅かな勇気を振り絞る。

 これ以上近づいたらダメだと分かっているのに、どんどん雪美との距離を縮めたいと思ってしまうのだから、本当に矛盾している。


 「……私、大学生になったら一人暮らししようと思ってるの」

 「東京出るの?」

 「そうじゃなくて……パパもそれで良いって言ってるから、ひとり立ちの練習しようかなって」


 一度お箸を置いて、緊張で心臓をバクバクさせながら言葉を続ける。


 まるで告白をする時のように緊張しているなんて馬鹿みたいだ。


 「そしたら、上村さんも遊びに来てくれる?」


 一世一代のお願いを冗談だと思ったのか、返ってきたのは揶揄うような言葉だった。

 先ほどのお返しをするように、雪美が冗談めかしに返事をしてくる。


 「なんなら住み着こうかな」

 「いいよ」

 「まじで言ってる?ベッドは一緒じゃなきゃ嫌だからね」

 「こっちのセリフ」


 向こうが引かないため、どこまで冗談を言えば良いか分からない。

 半ば本音を織り交ぜながら、雪美の冗談に乗っていた。


 「私恋人とは毎日キスしたいタイプだし」

 「わたしはずっとくっついてたい」

 「けど時々一人の時間も欲しいっていうか……」

 「だったら上村さんがリフレッシュ出来るまでジッと待ってる」


 もし、本当にそうなれたらどれだけ幸せだろう。

 好きな人と一緒に暮らして、朝を迎えて。

 毎日キスをして、同じベッドで眠りに付く生活なんて、幸せすぎて死んでしまうのではないだろうか。


 彼女との未来を夢のように感じるのは、隠し事があるせいだ。

 背中と骨盤付近に刻まれた火傷の跡。


 自分では気にしていないフリをしていたその跡が、やけに大きく感じてしまう。


 この火傷の跡を、彼女はどう思うのだろう。


 「……来海いつまで冗談言って…」


 冗談じゃないのに。

 全て本当に叶ってしまったら良いのに。

 

 きっと顔が赤いのを誤魔化せていない。


 「顔赤いよ」

 「上村さんも赤い」

 「……来海のほうが赤いって」


 彼女との未来を思い浮かべて幸せだというのに、同時に背中の跡を思い出して涙が出そうになる。


 この背中の跡がここまで足枷のように感じたのは生まれて初めてだった。

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