第44話


 咄嗟に出た嘘は、あまりに薄っぺらすぎて自分でも笑ってしまう。

 百合漫画を執筆していて、その参考のためにキスシーンを強請るなんて自分でも無理があると思ったのに、雪美はあっさりと信じてしまった。


 人を疑うことを知らない、純粋な彼女らしい。


 万年美術の成績が2か3の凪が、漫画なんて描けるはずがない。

 嘘に胸を痛めながら、彼女と過ごす日々はあまりにも愛おしかった。


 初めて一緒に食べたファストフード店の味。

 この前久しぶりに食べたけれど、あの頃のように美味しくはなかった。


 きっと雪美がいたから美味しかった。

 好きなあの子と一緒に食事ができるという状況に浮かれて、たぶん何を食べても世界一美味しく感じたのだろう。


 最初はそばにいられればそれで良いと想ってたのに、どんどん欲求は大きくなっていく。


 手に触れたい。

 抱きしめたい。

 触れ合いたい。

 キスをしたい。


 あの子のファーストキスを奪って、思い出の中に残してもらおうなんてあまりにも我儘だ。






 あの子が初めて家に訪れて、一緒に勉強会をした時。

 確かキスをすることができずに、健全にお別れとなったのだ。玄関で靴を履き替える彼女の背中を、名残惜しく見つめてしまう。


 無理やりに上村雪美の世界に入り込んだけれど、いつ追い出されるか分からないのだ。


 本当はまだ帰って欲しくないと言いたいのに、あいにくそんな素直さは持ち合わせていない。


 「……帰っちゃうの?」

 「もう遅いし」


 勇気を出して背後からギュッと抱き着こうとしたけれど、控えめに服の裾を掴むのが精一杯だった。


 クイッと引っ張れば、困ったように雪美が眉根を寄せてしまう。


 「離してよ」

 「やだ」

 「は?帰れないじゃん」

 「連絡先教えてくれたら離す」


 2年以上もの間声も掛けられなかったと言うのに、どこからこんな積極性が潜んでいたのだろう。

 本当はずっと「連絡先教えて」と伝えて、知りたくて仕方なかったのだ。


 「別にそれくらい良いけど」

 「い、いいの!?」

 「当たり前じゃん」

 「だって上村さんの連絡先だよ?私なんかに教えて良いの?」


 楽しそうに、雪美が笑みを浮かべる。

 少し目尻を下げて笑う様があまりにも可愛らしくて、ついジッと見入っている自分がいた。


 「思考がインキャ過ぎるんだけど」


 連絡先のQRコードを見せてもらって、教えてもらいながら交換する。

 新しく追加された、彼女の連絡先。


 頬が緩んでしまいそうで、必死に表情筋に力を入れていた。


 「……大切にする」

 「連絡先大切にするってどういう意味よ」


 きっと彼女は分かっていない。

 凪がどれくらい、勇気を出したのか。

 どれくらい、雪美に恋しているのか。


 たったこれだけの事で胸を弾ませてしまうくらい、上村雪美に対して想いを募らせてしまっていたのだ。






 緊張で胸を弾ませながら、何度も文章を書いては消してを繰り返していた。

 友達がいないせいで、誰かに自分からメッセージを送るなんて一年に一度、二度あるかないかの凪が、あの子に連絡をしようとしている。


 「今日楽しかったね……て、反応に困るかな?明日も頑張ろうね…なんか違う?」


 一人で言葉にしながら、どうも上手い文面が浮かんでこない。


 結局悩んだ末に『ちゃんとお家着いた?』と、ありがちなメッセージを送ることしかできなかった。


 ドキドキと返事が来るのを待っていれば、すぐに『着いたよ』とメッセージが返ってくる。


 「きた……!」


 以前可愛いと思って購入したペンギンのスタンプ。誰にも送る事はないと思っていたそれを、好きなあの子に送信していた。


 「可愛いって言ってくれるかな…」


 ワクワクしながら待っていたというのに、彼女から返ってきたのは『クラスのグループトーク誘う?』と何とも的外れな返事。


 どうしても可愛いと言って欲しくて、再び種類の違うスタンプを送信する。

 今度は凪の期待通りに『そのスタンプ好きなの?』と返事が返ってきた。


 「『すき』」


 文章にその言葉を打ち込みながら、無意識に声に出してしまう。

 その好きにどんな想いが込められているのかは知らなくて良い。


 もしも知られて、引かれてしまえば生きていけないから。

 好きな女の子から遠ざけられるくらいなら、程よい距離を保っていた方がいい。


 だけど心の底から、本当に彼女のことが好きなのだ。

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