第43話
友達もおらず、それといった趣味もない凪の数少ない癒し。
いつも通り学校帰りに、百合漫画を購入しようと大型書店へ立ち入った際、あの子を見かけたのだ。
「え……」
話をした事は、プールの授業中の一度だけ。
当然話しかけることもできずに、そのまま無視を決め込もうとしていたというのに、彼女は凪と同じ百合漫画コーナーへと向かって行ったのだ。
そして、人気漫画家の新作を手に取ってスタスタとレジへ向かって行ってしまった。
「百合好きなんだ……」
結局声は掛けられなかったけれど、彼女についてひとつ知る事ができた。
意外なことに百合が好きで、もしかしたらセクシュアリティも凪と一緒だったりするのだろうか。
同じ百合好きとして、彼女と話してみたい。そしてあわよくば、恋愛対象についても聞いてみたかった。
もしもレズビアンだったら、悩みを話し合ったり出来ないだろうか。
「……上村さん」
あちらは凪の名前を知っているのだろうか。
クラスも違えば、部活にも所属していない。
それどころか自ら周囲と一線を引いている凪から話しかけられて、彼女に迷惑がられたりしないだろうかと不安になってしまうのだ。
それ以来、廊下で見かけるたびに彼女を見つめてしまっていた。
いつも人に囲まれていて、男女から好かれている人気者。
「……美人でパリピで、明るい女の子」
自分と正反対な彼女とはもちろん接点もなく、当然声も掛けられない。
こんなことなら少しくらい周囲と打ち解けておけば良かったと、柄にもないことを考えてしまう。
いつも通り一人で移動教室へ向かうために廊下を歩いていれば、あの子を見かける。
「それ持つの手伝うよ」
「雪美まじイケメン」
「うっさい。早く行かないと遅れるって」
あの子だって女の子だから、力が有り余っているわけではないだろうに、ノートを半分持ってあげていた。
楽しそうに彼女と話す女子生徒を、羨ましく思いながら見つめてしまう。
「お人好しなんだろうな……」
話したことがない凪を助けるくらいなのだから、お人好しですごく優しい女の子なのだろう。
廊下で彼女を見かけるたびに、嬉しくて。
同時にどこか緊張してしまう。
髪の毛は乱れていないだろうか、色付きリップは落ちていないだろうかと、すれ違う僅かな一瞬で色々なことを考えてしまうのだ。
楽しそうに笑う顔を見るだけで、キュンと胸が弾んでしまう。
それが甘酸っぱくて、もどかしくて。
凪の心をじんわりと温かくさせるのだ。
彼女のことが気になり始めて一年が経っても、結局話しかける事はできないまま。
2年生に進学してもクラスは別々で、相変わらず接点だってひとつもない。
話してみたい…と思うが、やはり話しかけられない。
こんなにも自分は意気地なしだったろうかと考えながら、ぼんやりと修学旅行の栞を眺めていた。
同じ班の生徒は皆出かけている中で、ベッドに横たわりながらページを指でなぞる。
もちろん友達はいないため、余った班に入れてもらったのだが、楽しいはずもなく体調不良のフリをしてサボっているのだ。
あの子と一緒の班だったら、また違う旅になったのだろうか。
「……隣の、隣の部屋か」
修学旅行の栞には全ての班員と部屋番号まで記載されているため、つい眺めてしまう。
隣のクラスのあの子は2つ隣の部屋で、行こうと思えば行ける距離だ。
「……楽しんでるのかな」
友達が多いあの子だから、楽しい修学旅行を過ごしているに決まっている。
凪がこんなに彼女のことを考えているなんて、当然上村雪美は知らないのだ。
学校に友達はいない。
楽しいこともない。
だけどなんとなく、あの子には興味がある。
百合が好きだから話したいと思っていたけれど、目で追いすぎたせいだろうか。
最近はあの子を一眼見るために学校へ行くのが日々の楽しみになっていて、上村雪美と話したいという欲求が日に日に強くなっているのだ。
友達がいない凪にとって、クラス替えなんて心底どうでも良いイベントだったと言うのに。
まさかこんなにも胸を緊張させながら、クラス割り表を眺める日が来るなんて思いもしなかった。
自分よりも先に彼女の名前を探しているのだから、本当に重症なのかもしれない。
勇気が出ないまま3年生を迎えて、結局何も発展しないまま高校生活は残り一年になってしまったのだ。
「あ……っ」
無意識に弾んだ声が漏れてしまう。
上村雪美という名前のすぐ下に、来海凪の名前を見つける。
いつもより早歩きで教室へと迎えば、一瞬だけシンと教室が静かになる。
凪が教室に入るといつもこうだ。
珍しいことではないため、気にせずに来海凪とネームプレートの置かれた席へと座っていた。
名前順なため、勿論ひとつ前の席は上村雪美だ。
人気者な彼女はすでに人に囲まれていて、話しかけようにもタイミングが掴めずにいた。
高校3年生ともなれば、友人関係なんて殆ど出来上がっている。
話しかけたいけど、話しかけられない。
きっと出席番号が前後で、そんな些細なことに胸をときめかせていたなんて、あの子は知らないのだ。
明日で夏休みを迎えるため、教室中はどこか浮き足立っているが、凪は酷く焦っていた。
せっかく同じクラスになれたというのに、結局勇気が出ないまま1学期が終わろうとしているのだ。
焦りから、柄にもなく一人で彼女を遊びに誘う練習をしてしまっている。
「上村さん、良かったら夏休みどこか行かない…いや、おかしいよね」
話したこともない人にそんなこと言われても怖いに決まっている。
どうして今までコミュニケーションを取ってこなかったのだろうと、考えてもどうしようもない後悔に襲われていた。
「私も百合好きなんだ…ってストーカーみたい…?」
結局良い案も浮かばないまま、上手く寝付くことも出来ずに寝不足の中終業式を迎えていた。
目元にはクマが出来て、いつもより顔が浮腫んでいる自信もある。
そんな中でも彼女に声を掛けようと、ずっとタイミングを見計らっていたのだ。
「じゃあ、これでホームルームは終わり。お前ら羽目を外すんじゃないぞ」
担任教師の言葉を合図に、一気に教室が騒がしくなる。
急いで声を掛けようと席から立ち上がるが、雪美はたくさんの友達に囲まれながらあっという間に教室を出て行ってしまった。
「行っちゃった……」
放課後に言おうと先延ばしにしたせいで、結局最後の夏も彼女と過ごすことが出来なかった。
慌てて追いかけて声を掛けようとするが、結局出来ずじまい。
遠くなる背中を見つめながら、焦りと執着でどうにかなってしまいそうだった。
そして残り半年を迎えた秋の季節。
再びあの本屋で、眩い彼女を見かけたのだ。
これまでも何度か遭遇した事はあった。勇気が出ずに話しかけられなかったが、もう後に引けない。
もうすぐ卒業で、大学生になってしまえば間違いなく彼女との接点なんて無に等しくなる。
もしかしたらこれが最後のチャンスかもと気づいて、ゴクリと生唾を飲んでいた。
精一杯の勇気を振り絞って、一歩を踏み出す。
「上村さん…?」
あたかも偶然を装った風に声を掛ける。
本当は心臓が破裂してしまいそうなくらい緊張していた。
高校生活3年間、ずっとあなたに声を掛けたかったなんて、きっと上村雪美は思いもしていないのだろう。
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