第39話


 

 眩しい朝の光に、ゆっくりと意識を浮上させる。顔の上に一枚何かが被せられた感覚がして、化粧をしたまま眠ってしまった事をすぐに後悔した。


 化粧を一晩落とさないだけでかなり肌には悪影響なため、あれほど気をつけていたというのに。

 

 そっと瞼を開けば、驚いたような顔をする彼女と目線が合う。


 昨夜は散々酔っ払っていたため、おそらく何も覚えていないのだろう。


 「え……」

 「言っておくけど、帰んないでって言ったの来海だから」


 起き上がってから、一度大きく伸びをする。

 洋服は皺ができてしまっていて、おそらく寝癖も付いているだろう。


 酒はあまり飲んでいなかったため、二日酔いになっていないことがせめてもの救いだ。


 「じゃあ、私帰るよ」

 「待って、せっかくだから朝ごはんくらい食べていってよ…」


 きっと化粧は落としていないせいで、顔はボロボロだろう。

 寝癖もついて、服もシワシワな状態を好きな人になんて見られたくない。


 しかしそれ以上に彼女ともっと一緒にいたくて、その申し出を受け入れてしまう。

 

 ベッドから降りて、足の踏み場の少なさに笑ってしまう。洋服やぬいぐるみが散乱していて、とても天使の暮らす部屋とは思えない有様。


 「掃除してるの?」

 「時々……」

 「部屋の空気悪いから、換気していい?」


 許可をもらってから部屋の扉を開ければ、新鮮な空気が流れ込んでくる。

 一度サンダルを穿いて外に出て、ぼんやりと景色を眺めていた。


 同じ都内にいたというのに、2年間彼女がどこで何をしていたかも知らなかった。


 この場所には、雪美の知らない彼女の2年間が詰まっているのだ。


 「……雪美、寒くないの?」

 「これくらいがちょうどいいよ」


 大きく深呼吸をしてから、再び室内に戻る。

 すっかりと目が覚めたところで、未だにぼんやりとベッドに横たわる彼女に声を掛けた。


 「朝ごはん作ろう」

 「作る…?」

 「フライパンとかある?ていうかパンとか材料あるの?」


 触れられたくなかったのか、ビクッと凪が肩を跳ねさせる。

 キッチンを見れば一目瞭然だというのに、料理をしていないことは知られたくなかったのかもしれない。


 悪いことをしていないのだから、堂々としていれば良いのに。

 思わず頬を緩めれば、まじまじと彼女が雪美の顔を凝視していた。


 「なに」

 「……雪美が自然に笑うの2年ぶりに見たなって」


 何気ない言葉に、どうしてか涙が出てしまいそうだった。

 そんな顔をしていた自覚なんてなかった。


 彼女と居るうちに、何かが解れているのだろうか。結局2人の関係は何も変わっていないままだというのに。


 「お米は?」

 「レンジで温めるやつなら…あと、インスタントのお味噌汁と、卵ならある!」


 選択肢はほぼ無いため、結局出来上がったのはおにぎりとお味噌汁。

 朝ごはんとしては申し分ないが、これでは物足りないため追加で卵焼きを作ることに。


 「この卵腐ってないよね?」

 「大丈夫。ゆで卵は毎日食べるから、頻繁に買ってるの」


 そのことも初めて知った。

 高校生の頃からの習慣なのか、一人暮らしを初めて食べ始めたのかは分からない。


 フライパンに油をしいてから、彼女へ渡す。


 「……教えてあげるからやってみて」


 その間に卵を割り箸で溶いていれば、戸惑ったように凪はあたふたとしてしまう。


 気持ちは分かるが、最初は誰だって初心者なのだから慣れてもらうしかない。


 「ええ、私できないよ……」

 「練習しないと出来るものも出来ないでしょ。ほら、卵半分入れて」


 ふんわりとした卵焼きを作るために、雪美は2度に分けて卵を入れているのだ。


 「で、クルクルってする」

 「アバウトすぎるって!ああ、なんか焦げてきてない?」

 「そんなにすぐ焦げないから、あ!でもそんなに菜箸で押さえちゃダメだって」


 近所迷惑なほど騒ぎながら完成した卵焼きは、結局焦げてしまっていた。


 火が強すぎたのか、ふんわりとは程遠い硬い卵焼きが完成する。


 「……焦げちゃったね」


 しょんぼりしている姿が可愛くて、思わず笑ってしまう。


 もしあのまま付き合っていたら、こうして2人で朝を迎えて。

 一緒に料理の練習をして、くだらないことで笑って。

 

 何気なくスーパーに買い出しに行って、手を繋いで帰るような幸せな日常を送れたのだろうか。


 あるはずのない未来に想いを馳せて、思わず涙を溢してしまいそうな時だった。


 唇にふわりとした柔らかい感触が触れて、驚いて目を見開く。


 「え……?」

 「なんか、泣きそうに見えたから」


 サラリとそんなことをしないでほしい。

 単純でバカな雪美は、また良いように捉えたくなってしまうから。

 

 お情けのキスなんて嬉しくないと言いたいけれど、そこまで強がりにもなれない。


 もっとキスをしてと、甘えられる素直さも持ち合わせていない雪美は、ギュッと唇を噛み締めながら、何も言葉が出てこないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る