第37話


 部屋に入ってすぐに、彼女が手を洗いに行く。雪美もシャワーを浴びるように促されて、一人でシャワールームへと移動していた。


 これから体を重ねるのだから、一緒にシャワーくらい浴びてくれてもいいだろうに。

 その違いが、セフレと恋人の差なのかもしれない。


 体を重ねるだけが目的の2人に、楽しいバスタイムなんて必要ないのだ。


 ワンピースのファスナーを下ろして、続いて下着に手を掛ける。


 ショーツを脱げば、クロッチ部分に付いてしまった汚れが目に入った。


 「あ……」


 すぐにスマートフォンで生理周期を確認すれば、今日が初日だと表示されている。

 あの子のことばかり考えて、日付感覚がすっかりなくなってしまっていたのだ。


 「……どうしよう」


 体を重ねるためにホテルに来たと言うのに、やっぱり出来ないなんて怒らせてしまうだろうか。


 脱いだばかりの服を着直しながら、どう伝えようか悩んでいた。


 もし呆れられて、次がなくなってしまえばまた彼女と会えなくなってしまう。


 しかしどうすることも出来ずに、沈んだ気分のままシャワーを浴びずにベッドルームへと向かっていた。


 ベッドの上に寝転んでいた凪に、申し訳なく思いながら正直に伝える。


 「どうかした?」

 「その……ごめん、生理きたから…」


 短い言葉で、全てを察したようだった。

 ぐるぐると必死に思考を張り巡らせて、少しでも凪に呆れられないように言葉を重ねる。

 

 「ホテル代は私が出すから、今日はもう帰ろう……今度何か奢るよ。ごめん」

 「なんでよ。せっかくだからゆっくりすれば」


 手首を掴まれて、そのままベッドに引き摺り込まれる。

 柔らかいベッドの上に寝転びながら、至近距離で天使の美しい顔を眺めていた。


 行為中はジッと顔を見つめる余裕がないため、こうしてマジマジと見つめるのはいつぶりだろう。


 背中に腕を回されて、ギュッと体を引き寄せられる。

 凪の胸元に顔を埋めながら、酷く戸惑っている自分がいた。


 「……生理ならゆっくりした方がいいでしょ」

 「けどいいの…?」

 「なにが…?」

 「……エッチできないなら私と一緒にいる意味なくない?」


 困ったように、凪が眉根を寄せてしまう。

 優しく背中をさすられながら、耳元で囁かれていた。


 「そんなセフレみたいなこと言わないでよ」


 セフレじゃなかったら、何だというのだろう。

 行為をするためだけに会う2人の事を、他のどんな関係で表せば良いのだろうか。


 この関係を勘違いしそうになるから、やめて欲しい。

 しかしそこを言及して面倒臭いと思われるのはもっと嫌で、何も言えない。


 彼女の甘い香水の香りに酔いしれながら、ギュッと凪の体を抱きしめる。

 これくらいだったら、許されるだろうか。

 

 「風呂場ですれば汚れないし……来海がしたいなら、シてもいいよ」


 一瞬だけ、驚いたように凪が息を呑む。

 暫くの沈黙が続いた後、ポツリと吐き出された声色は初めて聞くものだった。


 「……もう、何も言わないで」


 首筋から香る、あの香水の香り。

 甘くてさっぱりした石鹸のような香り。

 すごく好きで、同時に縛られそうになる。


 結局この日は一緒に眠るだけで、当然行為はせずに、ずっと彼女の腕の中にいた。

 ただのセフレだというのに、これでは勘違いしてしまいそうだ。


 あの日卒業式で離れ離れになってしまった2人の、また別の世界線。

 恋人として月日を重ねた未来を、彼女と共に過ごしているような気分に陥っていた。






 最近はトレンチコートでは肌寒く、何か冬用アウターを買おうとお気に入りのお店へやって来ていた。


 少し値段が張るブランドだけど、たまのご褒美と自分を甘やかしてしまうのだ。

 機能性重視で生地が厚いロングコートを眺めていれば、隣に置かれたショート丈のアウターがふと視界に入る。


 間違いなくロングコートよりは防寒性は劣るだろうに、あの子が好きそうなデザインだと手を取ってしまっていた。


 「これ可愛い…」


 凪のように、雪美も大人っぽくなりたい。

 年齢よりも大人びた雰囲気で魅力的な女性になれば、彼女も少しは雪美に恋心を抱いてくれたりしないだろうか。


 そんな感情が思い浮かんで、すぐにコートを棚へと戻す。


 「……バカみたい」


 セフレから昇格したいなんて、あまりにも無謀すぎる。

 自ら体だけの関係を求めたはずなのに、一体何を思い違えているのだろう。


 こんな事、凪からすれば迷惑なだけなのに。


 好きな人に気に入ってもらいたいから、自分を曲げて彼女好みになろうと努力するなんて馬鹿みたいだと思っていた。


 そんな風に下手に出るから、好きになってもらえない。対等な関係でいるためにも自分を曲げない方が良いと思っていたけれど、今なら分かるような気がしてしまう。


 好かれるためであれば、何だって捨てられる。 


 自分のスタイルを捨てるだけで、愛する人から想いを返して貰えるなら喜んで捨てるだろう。


 あの子に好かれるためなら、どんな自分にもなって見せると、そんな愚かなことを考えてしまう。


 「お客様、そちらご試着されますか?」


 そちら、と女性が手を差したのはロングコートとショート丈のアウターの狭間だった。


 どちらを選ぶのか、自分で決めればいい。


 「……こっちの試着をお願いします」


 ハンガーから外されたショート丈のアウターを、複雑な気持ちで受け取る。


 あの子好みになりたくて努力するなんて、あちらからすれば迷惑なだけだろうに、結局愚かな選択をしてしまうのだ。

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