第34話
衝動的に頷いてしまったことを後悔しながら、女性の隣を歩いていた。
2人で店を出てから、ずっとこれで良かったのだろうかと考えている。
一夜限りの関係なんて良くない事くらい分かっていた。自分がいつか後悔するだろうと気づいているのに、僅かな可能性に賭けたくなった。
体を重ねて、凪ではない女性に乱されれば忘れられるのではないかと、そんな愚かな賭け。
これから先、凪を忘れられる保証なんてどこにもない。
ずっとこの先もあの子に囚われて、雪美はあの場所から一歩も動けないのだとしたら。
無理矢理にでも、あの頃とは違うのだと気付かされた方がマシだと思ったのだ。
「……ッ」
そうやって自分を納得させようとするが、ホテルへ一歩ずつ近づくたびに、顔色が悪くなっている自信があった。
凪のことを忘れたいというのに、凪ではない女性に抱かれるのが怖いなんて、一体どうすれば良いのだろう。
「どうかした?」
思わず立ち止まれば、心配そうに顔を覗き込まれる。
雪美の心配ではなくて、今晩の相手がいなくなってしまう心配だろう。
目を合わす事が出来ずにいれば、ふんわりとあの香りが鼻腔を擽った。
この女性から香ったのかと思ったが、先程香水は付けない主義だと言っていたため違うだろう。
恐る恐る、顔を上げる。
反対側から歩いてきて、すれ違った女性。
まさかと思いながら、信じられない思いで名前を呼んでしまっていた。
「……来海」
ピタリと立ち止まった女性が、ゆっくりと振り返る。
相変わらず髪質が綺麗で、あの香水を好んでつけている。
洋服はモノトーンコーデ。
ヒールも高いものを好んで履いて、前髪を斜めに流して大人っぽい雰囲気。
高校を卒業して以来、2年ぶり。
久しく会っていない間に、彼女はすっかりと大人な女性に成長していた。
2人とも目を逸らす事が出来ずに、ジッと見つめ合う。
約束のない再会に戸惑っているのはお互い様のようだった。
「え、何彼女?」
これからホテルへ行こうとしていた女性が、凪の存在に見るから嫌そうな顔をする。
「いや……その……」
「はあ?修羅場に巻き込まれるのは勘弁だから」
コツコツとヒールを鳴らしながら、女性は再びビアンバーのある方向へと姿を消していった。
雪美の代わりになる、今晩の相手を探しにいくのだろう。
2人きりの中、何と切り出せば良いのか分からない。
お互い信じられないとばかりに、ジッと見つめ合う。
何をしているのか。
何をしていたのか。
何も言わずとも分かってしまう。
だってここは、そういう人が集まる街なのだ。
この子はやはり同性愛者だった。
ただ、雪美を恋愛対象に見れなかっただけなのだ。
友情から愛情へと昇格させる事が出来ずに、離れ離れになるしかなかったのだ。
「……雪美」
相変わらず天使は綺麗だった。
長かったロングヘアはミディアムヘアへと変わっていて、恐らくアッシュカラーに染めている。
服装もシンプルなワンピースに、アイボリーのトレンチーコート。高いピンヒールを綺麗に履きこなして、彼女をより洗練した雰囲気にさせていた。
綺麗だと思った。
同時に堪らなく、好きだと思った。
あんなに忘れたくて仕方なかったというのに、かつて抱いていた恋心が凄まじい勢いで込み上げてくる。
忘れたかったけれど、忘れたくなかった。
本当は今もずっと好きで、何度も連絡を入れようか悩んだ。
凪を見て一気に、心が引き戻されたのだ。
「……ッ」
忘れたくない。愛おしかったあの思い出が込み上げて、また味わいたいと思った。
好きという気持ちは色褪せるどころか、日を重ねるにつれて更に色濃く移り変わってしまったのだろうか。
必死に自分の気持ちに蓋をして、彼女の手を取る。
許可もなく恋人繋ぎにしてから、今まで口にしたこともない言葉を彼女に渡していた。
「…来海のせいで相手行っちゃったじゃん」
「え……」
「悪いと思ってるなら相手してよ」
かつてのような恋人繋ぎに、あの頃のような想いは込められていない。
愛おしくて、手に触れるだけでも幸せで堪らなかったあの頃。
彼女が笑うだけで、釣られて笑ってしまうくらいあの頃は毎日が楽しくて幸せだったのだ。
凪は手を解こうとはしなかった。
振り解かれないということは、体の関係くらいなら構わないと、思ってくれているのだろうか。
「……本気で言ってる?」
「別にいいじゃん。付き合ってって言ってるわけじゃないんだから……子供じゃないんだから、エッチするくらい別に平気でしょ」
「雪美は平気なの」
平気なはずがなかった。
今まで一度も経験がなくて、初めての相手がかつての恋人。しかも体だけの関係。
おまけにまだ好きで、彼女への想いを断ち切れていない。
こちらが頷いたのを確認して、凪は先程の女性のような言葉を吐いていた。
「……雪美ってネコ?」
「どっちでも……」
「私タチしかやらないけど、それでもいいなら」
分かったと頷けば、彼女がホテル街の方向へと一歩踏み出す。
好きな人と手を繋いでホテルへ行くなんて、本来であれば幸せなシチュエーションだろうに。
ジクジクと胸が痛んで、今にも俯いてしまいそうになる。
自分で選んだ決断のくせに、喜びよりも虚しさの方が勝っていた。
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