第32話
3限の講義が始まるギリギリの時間に講義室へと滑り込めば、仲の良い友人2人に手招きをされる。
一番後ろの端っこという良ポジションを陣取っている彼らは、予備校からの友人の
最近はずっとこの3人で一緒にいる。
皆が自分の世界を持っているため、踏み込まれたくない領域のラインを守ってくれる彼らとの関係は何とも居心地が良いのだ。
「雪美、単位大丈夫なわけ?」
「スレスレだけど上手くやってる」
「顔浮腫んでるよ。またお酒飲んでたんでしょう」
一年浪人している美玖は一つ年上なためか、甲斐と雪美の面倒をよく見てくれる。
こちらが酒が強くないことも知っているため、無茶な飲み方に心配してくれているのだ。
「終わったらどっか行かない?」
「私バイト」
「エステの方?もう2年くらいやってるよね?」
「そう」
大学入学と同時に始めたエステのバイト。
最近では出来ることも着々と増えていて、日々やりがいを感じているのだ。
綺麗になって、ありがとうとお礼を言われることが嬉しくて仕方ない。
もっと良い技術を身につけて喜んでもらおうと、更に色々と学びたくなってしまう。
そんな好奇心を、少しでも大学の講義に割ければ朝も起きられるのだろうか。
「本当、バイトだけは真面目だね」
「やりたかったことだから。レジュメもらってくる」
面倒くさがりやな教授は、レジュメを配らずに一番前まで取りに来させるのだ。
散々眠ったくせに、まだ眠気は残っていたらしい。
欠伸を必死に噛み殺しながら、3人分のレジュメを貰いに立ち上がっていた。
眠たげな背中をじっと見つめていれば、美玖から声を掛けられる。
甲斐と同じような表情をしている彼女は、恐らく雪美のことを心配しているのだ。
「あの子大丈夫?」
「どういうこと?」
「……なんか闇抱えてるっていうか…ちょっと目を離したら学校来なくなりそうで……」
「昔はああじゃなかった。キラキラして、明るくて…皆んなの輪の中心にいる奴って感じ」
「雪美が?」
信じられないように、美玖が小首を傾げる。
明るくてキラキラしている姿なんて、大学から仲良くなった人は信じられないのだろう。
いつも気怠げで、弱いくせに酒に溺れる姿。
彼女の優しさから滲む弱さ。
抱えているものに、どうすれば良いのか分からない。
少なくとも、高校時代に予備校で会う彼女はいつも明るくて、憎まれ口を叩く面白い奴だった。
男女関係なく接してくるサバサバとした性格も居心地が良くて、性別を気にせずによく一緒にいたものだ。
「……なんかあったんだろうけど、聞いても絶対言いたがらない…心配だよ」
「ずっと気になってたけど甲斐って雪美のこと好きなの?」
「違うって」
何度も聞かれてきたこの質問に、自信を持って首を横に振る。
男女で仲が良いと、どうしてかすぐそうやって結びつけられることが多いけれど、雪美と甲斐は本当にただの友達なのだ。
昔から容姿が整っていたせいで、女性からはひどくモテてきた。
友達になりたくても、向こうはそんなつもりはさらさらなくて、告白をされて振ったら終わりの繰り返し。
だからこそ、純粋な好意で接してきてくれる雪美との関係が居心地良かったのだ。
そんな彼女が何かを抱えていることが分かるからこそ、心配になってしまう。
一体、上村雪美の身に何があったのだろうか。
優しい手つきでオイルを肌に滑らせながら、自分の成長を感じていた。
最初は受付から始まって、少しずつ仕事を任せてもらえるように頑張り続けたおかげで、今は1人で問題なく施術をこなせている。
美容に関わる仕事がしたいと思っていたため、大学で講義を受けている時よりよほど生き生きとしている自信があった。
いずれはお金を貯めて、働きながら美容の専門学校へも通おうかと考えている。
夜間部がある専門学校もあるため、決して無茶な話ではない。
化粧やヘアアレンジなど、憧れのメイクアップアーティストや美容師だっている。
人を癒やして、喜ばせてあげられる仕事に就きたい。
だからこそ、今こうしてエステの仕事に従事出来る事にやりがいを感じているのだ。
「では、以上となりますので。お着替えが済みましたらフロントまでお願いします」
頭を深く下げれば、優しく声を掛けられる。
「あなたすごく上手だった、今度指名するね」
「ありがとうございます…!」
ジンワリと、胸が温かくなるのを感じていく。
緩む頬を抑えながらスタッフルームへと向かえば、店長から声を掛けられた。
「上村さんお疲れ様。休憩行っていいからね」
「ありがとうございます」
「あの人、気難しいって聞いてたけど大丈夫だった?」
「え……」
「真澄さんにお願いした時はずっと不機嫌だったらしくて……下手だとか、悪い口コミも書かれていたからもう来ないかと思っていたの」
それから一言二言会話を交わして、休憩室へ。
施術中も無愛想ではあったが、文句は一度も言われなかった。
それどころかあんなに嬉しい言葉を掛けて貰えたのだから、自信へと繋がって当然だろう。
幸せな気分のまま、スマートフォンを弄りながらグミを食べていれば、休憩室の扉が開く。
中に入ってきたのは、普段から色々とお世話になっている優しい先輩だった。
「お疲れ雪美ちゃん」
「お疲れさまです」
「今日は?大学?」
「あ……はい」
本当は午前はサボってしまったけれど、それは言わずにいた。
親に学費を払ってもらっている分際で、世間的にどう見られるかくらいは判断出来る。
「偉いなぁ…大学生ってやっぱ楽しい?」
自信をもって、首を縦に振ることができなかった。
友達もいて、バイトも楽しくて。
次の日のことなんて何も考えずに酒を煽る姿は、側から見たら充実して見えるのだろうか。
最後に心の底から幸せと感じたのが、ひどく昔のことのように感じる。
あの子がいないだけで、楽しいと胸を張って言うことが出来ないのだ。
「……よく分からないです」
「なにそれ」
冗談だと思ったのか、先輩がおかしそうに笑い出す。
それに愛想笑いをしながら、怖くなっている自分がいた。
もう2年もあっていないというのに、相変わらず彼女に思い焦がれたまま。
この先誰も愛せずに、一生来海凪に囚われて生きるのかと思うと、どうしようもなく怖くなったのだ。
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