第29話
この場所には何度も足を運んでいるが、今までで一番緊張しているかもしれない。
それどころか人生でも一番、胸が早く鳴っている自信がある。
始まりは凪が付いた嘘だった。
百合漫画を創作しているという嘘から、少しずつ距離が縮まって、こうして想いを通わせ合えたのだ。
彼女の家には沢山の思い出が詰まっている。
初めてここでキスをして、凪が風邪を引いた時にはお見舞いに訪れた。
クリスマスには凪の作ったグラタンを食べて、大きなホールケーキを半分こして食べたのも良い思い出だ。
沢山の思い出を重ねて、そうしてようやく今日また新たなる一歩を踏み出すのだ。
リュックサックを彼女の部屋の隅に下ろしてから、煩く鳴る心臓を必死に抑え込もうとしていた。
「シャワー、先浴びる?」
「……一緒に入らない?」
勇気を出したお誘いに、凪がゆっくりと首を横に振る。
いきなりベッドで裸体を見せるのは恥ずかしいため、雪美としては一緒に入って緊張を解したかったのだ。
「……色々準備したいから、別じゃダメ?」
「わかった」
言葉の意味がわからないほど、雪美だって子供ではない。
進められるまま、先にシャワールームへと移動する。
髪の毛は洗わずに、体の汚れを全て落としきるようにシャワーを浴びていた。
「…やっぱり緊張する……」
恥ずかしくて、少し怖いけれどそれでも凪が相手であれば飛び込みたくなってしまうのだ。
念入りにタオルで水滴を拭いてから、凪から貰った香水を吹きかける。
途端に石鹸の香りがフワッと漂って、まるで彼女に包み込まれているような感覚だ。
相変わらず胸を高鳴らせながら凪の待つ部屋へと迎えば、入れ替わりのように彼女もバスルームへと向かっていく。
「私も入るね。部屋で待ってて?」
1人きりで残された室内。
シャワーを浴びて、また制服に着直すなんて変な感じがした。
今日でこの制服を着るのも最後。
だからこそ、制服姿の彼女を身納めたくて沢山写真を撮ってしまったのだ。
今日だけでアルバムを作れてしまいそうなほど、沢山の写真を撮った。
緊張を解そうと写真を眺めながら、改めて凪の綺麗さに見惚れてしまう。
「綺麗……」
桜を背景にした凪の写真。
本当に綺麗で、周囲が天使と呼ぶ理由も頷ける。
見た目だけではなくて、内面も優しくて綺麗な彼女とこれから体を重ねるのだ。
「……ッ」
ソワソワと落ち着かずにいれば、ガチャリと扉が開く音に肩を跳ねさせる。
シャワーを浴び終えて、同じく制服姿の彼女が部屋に戻って来たのだ。
手を取られて、そっとベッドに座らされる。
彼女が膝立ちで、正面からベッドに乗り上げたことで、キシッとスプリングが軋む音が響いた。
「雪美」
名前を呼ばれて、優しく顔に手を添えられる。
ドキドキしながら目を見つめれば、顔を傾けさせながらそっと唇を重ねられた。
唇に生暖かい舌が触れて、薄く開けば中に差し込まれる。
先端同士がピタリと触れ合って、互いを求めるように絡め合っていた。
器用に舌先を動かされて、敏感な顎裏をチロチロとなぞられれば、もどかしさの中に快感が生まれ始める。
胸を震わせていれば、肩先をトンと押される。
されるがままに身を委ねれば、背中に柔らかいマットの感覚が触れていた。
「んっ…ぁッ」
首筋を人差し指でツゥーとなぞられて、そのままブレザーの上から鎖骨に触れられる。
人差し指が4本指に増えて、そっと胸元に手を這わされていた。
「……ッ」
優しく揉み込まれて、咄嗟に口元を手で抑える。
ブレザーのボタンをひとつ、二つと外されて、恥ずかしさから顔を背けてしまっていた。
「……恥ずかしい?」
コクリと頷いても、当然手は止めてくれない。
ワイシャツのボタンも容赦なく外されて、とうとう彼女の前で素肌を晒してしまっていた。
お気に入りの淡い紫色の下着を見て、凪が優しく微笑んでくれる。
「……下着可愛いね」
そう言って欲しかったから、今日この下着を選んだのだ。
鎖骨の間に顔を埋められて、先ほど吹きかけた香水の香りを嗅がれていた。
「同じ香りがする……」
彼女がくれた香水。
まるで凪に包み込まれているようで、雪美の一番大好きな香りだ。
再び凪の手がこちらに伸びて来て、ギュッと目を瞑る。
いよいよ直接体に触れられて、可愛がられると思っていたというのに、いつまで経っても彼女の指は肌に触れてこなかった。
一体どうしたのだろうと、不思議に思って目を開く。
「凪……?」
両手で自身の顔を覆っているせいで、一体彼女が今どんな表情を浮かべているのかも分からない。
全てを覆い隠されたかのように、これから先の凪の感情は一切読めなかった。
「……ごめん雪美、私やっぱり……」
もしかしたら体調が優れないのだろうか。
心配から上体を起こして、雪美の方から凪に手を伸ばす。
「……ッ」
パシンという乾いた音と同時に、手のひらにヒリヒリとした痛みを感じていた。
一瞬何が起こったのか分からずに呆然としながら、信じられない思いで凪を見つめる。
どうして愛おしい恋人から手を叩かれたのか、訳がわからなかった。
「え……」
「ずっと言わなきゃいけないって思ってた。けど言えなくて…ズルズル先延ばしにしちゃったんだけど…」
その言葉を聞くのが怖いと思ってしまう。
不穏な声色から、雪美の望む答えが出てこないことは分かり切っていた。
先ほどとは違って、ドクドクと嫌な音が鳴り始める。
まだ、幸せなままでいたい。
浮かれた気分の中、彼女への恋心で満たされていた。
そんな願望は、意を決したように彼女が口を開いたことで叩き壊されてしまう。
「……私の雪美への感情、恋心じゃないかもしれない」
「は…?」
「友情の執着心を恋って勘違いしただけかも」
心はその言葉を否定しているというのに、頭では理解が出来てしまったらしい。
じわじわと涙が込み上げてきて、一度でも瞬きすれば頬に伝ってしまいそうなくらい、瞳は雫でいっぱいになっていた。
「何言ってんの…?」
「今まで友達がいたことなかったから…友情か恋愛感情かの区別が付かなかった。けど今、雪美とエッチする雰囲気になって…やっぱり違うかもって……」
堪えきれずに瞳を瞬かせれば、大粒の涙が頬を伝っていった。
あまりの絶望感に、上手い言葉も浮かんでこない。
幸せの絶頂から絶望の果てまで突き落とされて、心が悲鳴を上げることすら出来ずにいる。
悲しいとか、そんな単純な感情ではない。
ただひたすらに、胸が痛くて勝手に涙が溢れていくのだ。
「だから…ごめん」
ハラハラと涙を流す雪美を見て、凪が申し訳なさそうな顔を浮かべる。
涙を拭おうとこちらに手を差し伸べられても、今度は雪美が振り払ってしまっていた。
同情で優しくなんかされたくない。
中途半端に情けを掛けて欲しくないのだ。
「……帰る」
「雪美…待って」
「……その……」
今口を開いたら、思ってもいない言葉をぶつけてしまいそうだった。
大切で、大好きだったからこそ、天使に醜い言葉などぶつけたくない。
こんな状況でも凪を傷つけたくないと思ってしまうのは、間違いなく惚れた弱みだろう。
それでも何か言わなければと、必死に感情を抑え込みながらなんとか言葉を発する。
「……私そんなに物分かり良くないから……」
「……っ」
「とりあえず今は…凪の顔見たくない」
ワイシャツのボタンを震える手で止めて、ブレザーとリュックサックを手にしてから部屋を出る。
いまだに涙は止まらずに、しゃくりを上げながら1人で桜の下を歩いていた。
胸が痛くて、苦しくて。
もうこのまま消えてしまいたいくらい、感じたことがないほどの絶望感に支配される。
最初から違ったのだ。
彼女と雪美の抱いていた感情は全く別のもので、両思いというのも全て幻想だった。
「……ッ」
天使に恋をした哀れな人間に、僅かな間だけ夢を見せてくれたのだ。
こればかりは仕方ないことだと、必死に理解しようとするけれど、今はそこまで冷静にはなれなかった。
性癖はどうやっても変えられない。
彼女が異性愛者だったのか、それともただ単に雪美に恋愛感情を抱かなかったのかは分からないけれど、恋というのは無理をして育むものではないのだ。
残酷だけれど、彼女が雪美と同じ感情を返せないことは事実。
「……もう、やだ」
耐えきれずにその場にしゃがみ込んで、とまらない涙を流し続ける。
揺れる視界の中、舞い落ちた花びらをぼんやりと眺めていた。
人に踏まれて薄茶色くなった桜の花びら。
綺麗なはずだったそれも、傷つけられれば目も当てられなくなる。
あんなに美しく、綺麗だと言われていた花びらも、踏み躙られればもう元には戻れないのだ。
上を見上げれば綺麗な淡い桃色の花びらが咲き誇っているのは分かりきっているからこそ、あえて踏み潰された花びらを眺めていた。
この時の雪美には、桜の美しさを感じ取る余裕すらなかったのだ。
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