第26話


 恋人同士になったとは言え、二人の間で特に大きな進展はないままだった。

 手を繋いで、時々ハグをして、感情が溢れて来たらキスをする。


 深いキスもまだまだ慣れないけれど、不器用ながらに2人で少しずつ進んでいるつもりではあった。


 急ぐことはないと、悠長に構え過ぎかもしれないが何も焦ることはない。


 2人は恋人同士なのだから、ゆっくりと自分たちのペースで進んでいけば良いと雪美は思っていた。


 「お邪魔します」


 そう言いながら部屋に上がり込んでも、誰もいないのだから当然返事はない。

 念入りに手を洗ってから、案内されるままにリビングのソファへ腰を下ろす。


 相変わらず整理整頓がされていて、まるでホテルのように綺麗な室内だ。


 「来てくれて良かった…料理沢山作っちゃったから」

 「凪が作ってくれたの?」


 恥ずかしそうに頷いた後、冷めてしまった料理を温め直して運んで来てくれる。

 とろとろなチーズの掛かったグラタンは、何とも美味しそうな見た目で食欲をそそられる。


 何より大好きな恋人が作ってくれたというだけで、嬉しくて仕方がないのだ。


 「いただきます」

 「召し上がれ」


 スプーンで一口分掬ってから口へ運べば、ダマになったクリームソースの味が口内に広がっていく。


 マカロニは茹で時間が足りないのか固く、お世辞にも美味しいとは言えない味だった。


 玉ねぎも殆ど火が通っておらず、シャキシャキとした食感というよりほぼ生だ。


 「ど、どうかな……」


 不安気にこちらを覗き込む瞳に、本音なんて言えるはずがない。

 それでも自然と口に出た言葉は、凪が手料理を振る舞ってくれたことが嬉しかったからだ。


 恋人が一生懸命作ってくれたものだと分かるから、本当は味なんてどうでも良かった。


 「美味しい」

 「本当!?」

 「ありがとう、凪」


 こちらの感想にホッとしたような顔をした後、彼女もグラタンを口内へ運んでいく。

 直後に眉間に皺が寄って、そのまま表情が曇る。


 スプーンをカタンとそばに置いてから、頭を抱えてしまった。


 「待って、これ全然美味しくない!」

 「美味しいって」

 「こんなまずいもの食べさせてごめん…今からでもピザとか取ろう?」

 「やだ、これ食べる」


 味見をしていなかったのか、自分の料理の出来栄えに唖然としているようだった。


 どうするべきか悩んでいるのか、珍しくオロオロしてしまっている。


 「でも……」

 「私のために作ってくれたんでしょう?」


 そっと髪を撫でながら、手触りに癒されている自分がいた。

 普段料理をしない彼女が、雪美のために一生懸命頑張ってくれた。


 その努力が堪らなく愛おしいのだ。


 「凪が料理作ってくれたことが嬉しくて仕方ないの」


 思ったままに言葉を続ければ、もどかしそうにキュッと唇をかみしめている。

 

 「次は美味しくできるように頑張る……」

 「じゃあ、今度は私と一緒に作ろう」

 「いいの…?」

 「一緒に少しずつ上手になっていけばいいよ」


 さりげなく未来の約束をしてしまうのは、雪美の悪い癖かもしれない。

 遠い未来の彼女の予定を抑えようとするなんて、恋人としても図々し過ぎるのだろうか。


 彼女お手製の料理を食べ終えてからは、事前に買っておいてくれたクリスマスケーキを食べる準備をする。


 「ケーキはお店のだから絶対美味しいよ」


 そう言ってケーキボックスから出て来たのは、ホールのショートケーキ。

 てっぺんにはサンタとトナカイのメレンゲドールが飾られていて、とても可愛らしい。

 

 2人で食べるにはかなり大きなサイズだ。


 「大きい……」

 「そう?私いつも一人で食べてるよ」


 この細いウエストの一体どこにそんな胃袋があるのだろう。

 普段食事をする時も一人分はきっちりと食べて、デザートだって食してしまうというのに、凪はとても細身なのだ。


 「美味しくないご飯食べさせちゃったお詫びに、トナカイとサンタさんはあげるよ」


 大きなホールケーキを、彼女は包丁で二等分にしてしまう。

 とてもお皿には乗り切れないサイズで、小さなケーキ用フォークをこちらに渡して来た。

 

 あまりにも豪快な分け方に、つい笑みを溢してしまう。


 「なに……?」

 「切り方豪快すぎない?」

 「さっきから私、恥晒してばかりだ……」


 凪は恥ずかしそうにするけれど、こちらからすれば可愛くて仕方ないというのに。

 苦手なことも、嫌いなことも、凪のことは何でも知りたいと思ってしまう。


 付き合って少しずつだけど、知らなかった一面が見えてきて、そのたびに喜びを感じているのだ。

 苦手な部分も、それも含めて尚更愛おしくなっていく。


 ケーキを食べようとすれば、思い出したように彼女がプレゼントボックスを渡してくれる。


 可愛らしくラッピングされたそれに、自然と笑みを溢してしまっていた。


 「これ、私からもプレゼント」

 

 リボンを解いて箱を開けば、中身は有名ブランドの香水だった。

 蓋を取って、軽く手首にプッシュすれば、彼女が愛用している甘く爽やかな石鹸の香りが漂って来る。


 街中でこの香りを嗅ぐたびに、彼女のことを思い出してしまうのだ。

 

 「香水だ……」

 「私が使ってるやつとお揃いなの」

 「前から思ってたけど、これめちゃくちゃ良い香…り……」


 ゆっくりと顔が近づいて来て、そっと目を細める。軽く顎を引いてから最後まで瞼を閉じれば、唇に柔らかな感触が触れた。


 2人ともクリスマスのせいで、少し大胆になっているのかもしれない。

 触れるだけのキスは一瞬で、すぐに唇の隙間から柔らかな舌をねじ込まれていた。


 「ん…っ」


 熱い舌の感触に釣られて、体が熱っていく。

 舌の表面をすり合わせて、絡ませあうたびにいやらしい水音が響くのだ。


 それが尚更羞恥心を煽って、みるみるうちに体が昂っていく。


 「……ッ、んっ、んぅ」


 くすぐる様に耳の裏をなぞられた後、ゆっくりと彼女の手が下に伸びていく。

 鎖骨に触れた彼女の手は止まることなく、服の上から雪美の胸元に触れていた。


 そこに触れられたのは初めてで、ビクッと肩を跳ねさせる。

 軽く下から揉み込むだけで、そっと彼女の手が離れていった。


 キスの息苦しさから、肩を上下させながら凪と目を合わせる。

 2人とも酷く興奮した瞳の色をしているというのに、それ以上先に踏み込む勇気は持っていなかった。


 「……ケーキ食べよっか」

 「そ、そうだね」


 気にしていないふりをしてケーキ用のフォークを掴むが、緊張と戸惑いで僅かに手が震えていた。


 あんな風に、性的な意図を孕んで体に触れられたのは初めてだ。

 服の上からでも緊張したというのに、もしも直接肌に触れられてしまえばどうなってしまうのだろう。


 酷くゆっくりとしたペースかもしれないけれど、確かに2人の距離は着々と縮まっているのだ。


 




 ケーキを食べ終わる頃には、時刻は既に22時を迎えていた。

 食器を2人で綺麗に洗ってから、そろそろ帰る支度を始める。

 仕事で忙しいとは言え、きっともうすぐ彼女の父親も帰って来る頃だろう。


 「じゃあ私、そろそろ帰るね」

 「え…… 」

 「どうかした?」

 「な、何でもない……じゃあまた来年」


 玄関にしゃがみ込んで靴に履き替えていれば、背後から温もりを感じていた。


 遠慮がちにちょこんと服の裾を掴むのではなくて、大胆にギュッと抱きしめられたのは初めてだった。


 「……凪?」

 「……帰り道、気をつけてね」

 「平気だよ…ここら辺明るいし」

 「本当に?危なくない?」

 「大丈夫だって」


 好きな人から心配してもらえるだけで、嬉しくて仕方ない。

 帰り道は街頭も多いため、心配する必要なんて何もないというのに。


 振り返ってから、雪美の方から彼女にキスをする。

 先ほどとは違い、触れるだけの口付けは離れるのを惜しむためだ。


 「おやすみなさい」


 そう言い残して、彼女からもらったプレゼントを片手に帰宅する。

 キラキラと照らされたイルミネーション街を通って帰りながら、ふとあることに気づいた。


 「あれ……?」


 帰るね、と言った時に僅かに戸惑った表情。

 帰ろうとすれば名残惜しそうに背後から抱きしめられて、今まではなかった帰り道の心配をされた。

 

 思い返してみれば、あれは雪美が帰るのを引き止めるような言葉の数々だ。


 「もしかして泊まるつもりだった…?」


 こちらの妄想かもしれないというのに、気づけば頬が赤らんでしまっていた。

 もしそのつもりであれば、凪は恋人同士が一夜を共にする意味が分かっていたのだろうか。


 一線を越えたかもしれない未来があったかと思うと、それだけで心臓がバクバクと鳴ってしまいそうだった。


 勇気を出してもう少し一緒にいたいと、どちらかが切り出していれば、もう少し彼女と距離を縮めることが出来たのだろうか。

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