第22話
来海凪という女性は良くも悪くも分かりやすい。
自分に興味がない人とは一言も喋らずに、目を合わせようとしない。
今まではそれが当たり前だったというのに、中途半端に距離を縮めてしまった今は些細なことが気になって仕方なかった。
間違いなく、凪は雪美を避けている。
連絡を入れても返事がなく、教室でも絶対に目を合わせてこない。
放課後になればそそくさと帰宅してしまうため、話しかけるタイミングが掴めずにいた。
あれ以来、明らかに避けられているのだ。
「何かしたかなぁ……」
自問自答を繰り返すが、答えは全く見えてこなかった。
何が彼女を怒らせてしまったのか、もしも嫌われてしまったのだとすれば立ち直れない。
どんどん嫌な方向へ考えてしまうせいで、すっかり気も滅入ってしまっていた。
戸棚には画材が収納されて、独特な絵の具の香りが鼻腔を擽る。
せっかくの昼休み時間に、友人の付き添いで美術室までやって来ていた。
日直である友人が美術教師に呼び出されて、ついでと言わんばかりに人手が欲しいと手伝いを頼まれたのだ。
「それ、一年生の頃に持って返ってない子のやつ。渡しておいて欲しいの」
そう言って美術教師が渡して来たのは、大きめの画用紙に彩られた絵だった。
風景画で、皆が思い思いの色で画用紙を彩っている。
雪美の通う高校は一年生の頃に美術が必修で、それ以降は音楽や書道と自由に選択ができる。
絵の苦手な生徒からすればかなり大変らしく、友人の中には不満を漏らす生徒も少なくなかった。
渡された画用紙は6枚。
卒業をする前に持って帰って欲しいとのことで、好奇心からこっそりと絵を盗み見ていた。
意外と楽しくて、友人とついはしゃいでしまう。
「うわ、これめっちゃ上手…て、飯田!?あいつこんな絵上手かったんだ」
クラスであまり目立つタイプではない男子生徒の意外な特技。色彩感覚が良いのか、綺麗な色で繊細に彩られている。
パラパラと絵を捲っていれば、一枚お世辞にも上手とは言い難い絵を見つけた。
一体誰の絵だろうかと、好奇心から裏面を捲る。
そこに記載された名前に、思わず目を見張った。
「え……?」
綺麗な達筆で描かれていた女子生徒の名前。
何度も指でなぞって、口にするだけで擽ったくなってしまう天使の名前が、そこには記載されていた。
「なんで……」
来海凪とたしかにそこには描かれている。
戸惑っていれば、こちらの手元を覗き込んだ友人がサラリとその答えを教えてくれた。
「天使の唯一の弱点」
「なにそれ」
「絵がめちゃくちゃ下手なの。描くのも嫌いらしくて、それ先生が渋々描かせたらしいよ」
最後の授業まで全く筆を取ろうとせず、たった1時間で描きあがったのがこの作品らしい。
彼女は百合漫画を描いていると言っていた。
そのためにキスシーンの参考にしたいと、雪美にキスを強請って来たのだ。
一体何のためにそんな嘘を付いたのか、そればかり考えてしまう。
「……凪ってそんなに絵を描くの嫌いなの…?」
「らしいよ。だから2年からは音楽を選択したんだって……運動神経抜群、頭脳明晰の天使にも苦手なものがあるんだって、結構有名だよ」
決して彼女は運動神経抜群ではない。
走るのが遅く、きっと持久力だってあまりないだろう。
ずっと彼女を完璧な天使だと思っていたけれど、そうではなかった。
絵が苦手で、走るのも遅い。
冗談を言うことも多くて、かなりの頻度でこちらを揶揄ってくる。
人並みに傷ついて、彼女にしか分からない感情を持つ一人の女の子なのだ。
絵が苦手で描くのを嫌がる彼女が、百合漫画を描いているとは考えづらい。
つまりあれは嘘で、こちらに近づくためについた方便だった。
その日のうちに用事があると送っても、勿論返事はない。
絵を描くことが嫌いなあの子が、嘘をついてでも雪美に接近してきた理由。
キスを強請って、沢山甘えてきた理由。
もしかしたらと、期待してしまっている自分がいる。
同じ気持ちなのではないかと、そんな願いがどんどん膨らんできているのだ。
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