第17話
ふわふわなベッドに背中を預けながら、手首に付けられた赤い斑点をジッと見つめていた。
世間では所詮キスマークと呼ばれているそれを、どんな感情で受け止めれば良いのか分からない。
どうして凪は、雪美にそんな跡を付けたのだろう。
何か特別な感情が込み上げて、思わず付けてしまったのだろうか。
手首に刻まれた赤い跡に、そっと自身の唇を押し付ける。
「凪……」
初めて下の名前で彼女を呼んだ。
いつも苗字で呼んで、名前で呼んだことは一度もなかったのだ。
彼女の前で呼べば、どんな顔をするだろう。
馴れ馴れしいからやめて、などと冷たく言い捨てられれば酷くショックを受けてしまうだろう。
「普通、友達同士でもキスなんてしない…」
少なくとも雪美は、今まで友達とキスしたことなんて一度もない。
性別問わず、口付けは本来恋愛感情を抱くもの同士で交わすものだ。
「嫌がらないってことは…あの子は私のことどう思ってるんだろ」
人形をギュッと抱きしめながら、答えの見えない自問自答を繰り返す。
自分自身、どうしたいのか。
彼女にどんな感情を抱いて欲しいのか、本当はもう答えはすぐ先にあるはずなのだ。
1日ぶりに天使が地上に舞い戻っても、誰も声を掛けようとしない。美しすぎる彼女は遠巻きに見られて、いつものように一人で過ごしているのだ。
周りからどう思われるかなんて考えるよりも先に、体が勝手に動いていた。
彼女に話したい、彼女の瞳に囚われたい。
そんな欲求から、凪のすぐ前の席に腰を下ろす。
「来海」
「おはよう、昨日はありがとう」
「もう平気なの?」
「おかげさまで」
寝癖どころか、アホ毛も殆ど立っていない綺麗な髪質。
昨日の気の抜けた姿は滅多に見られるものではなく、おそらくこのクラスでそんな天使の一面を知っているのは雪美だけだ。
同時に部屋でのことを思い出して、ジワジワと羞恥心が込み上げる。
ベッドに押し倒して、そのままいやらしい深いキスを彼女と交わしたのだ。
何とか気を紛らわそうとしていれば、天使の方から可愛らしい提案をされる。
「今日って放課後空いてる?」
「空いてるけど……」
「じゃあ、私とデートして」
今までもずっと、来海凪のことは可愛いと思っていた。
どこから見ても非の打ち所がない美しい容姿に、スラっとした体型。
だけど今は外見ではなくて、内面に愛おしさを感じている。
可愛らしくて、彼女を独占したくなってしまうのだ。
入り口には生花が至る所に飾られていて、カフェエリアへ行けば天井からドライフラワーが吊るされているなど、何ともお洒落な空間が広がっていた。
放課後に彼女が提案したのは、最近新しく出来た花がふんだんにあしらわれたカフェテリアだった。
店内だけでなくメニューにも花は使用されていて、SNS映えがすると若者から支持を得ているのだ。
「綺麗……」
紅茶に花が一輪浮かべられていて、綺麗な見た目に心が癒されていく。
一つのプレートにはミニケーキが幾つか乗せられていて、彩として添えられた花びらも全て食用だという。
「今日は私の奢りだよ」
「いいよ、私も出す」
「じゃあ、次は上村さんが奢って」
何気ない言葉に、胸を弾ませてしまう。
さりげなく次の約束が出来たようで、勝手に喜んでしまっているのだ。
「わかった」
食べる前にスマートフォンで写真を撮影していれば、同じように写真を撮っていた彼女にカメラを向けられる。
こちらを向いているレンズは、しっかりと雪美を捉えていた。
「可愛い」
美しい天使からの褒め言葉。
可愛いのは凪だろうと心の中で思いながら、彼女からの褒め言葉にしっかりと喜んでしまうのだ。
小さくケーキを切ってから口元に運んでいれば、彼女が何気ない言葉を口にする。
「……上村さんのこと、上村って呼んで良い?」
「別にいいけど何で呼び捨て?」
「その方が仲良い感じするから」
よく分からない理論に、つい吹き出してしまう。
本当にこの子は何を考えているかよく分からないけれど、だからこそ目が離せないのだ。
「それなら普通下の名前で呼ばない?」
「いいの?」
「当たり前じゃん。だめとか言うわけないし」
視線を下げたまま、彼女はそっと口元を緩ませていた。
カウンター席なため、口角の上がった凪の横顔をジッと眺める。
本当に綺麗だと、花々を背景にしていることもあって見惚れてしまいそうだ。
「雪美……?」
恥ずかしそうに下の名前を呼んでくれる凪は、今までで一番可愛く見えた。
ギュンっと勢いよく胸が鳴って、今の情景を映像で残したくて仕方なかった。
「来海はかわいいね」
自然と溢れた言葉に、凪がジワジワと頬を染め上げる。散々キスを重ねたくせに、たったそれだけの言葉で照れてしまうのはお互い様だ。
「私も雪美に下の名前で呼ばれたい」
「ええ…別に良いじゃん」
「やだ。呼んでくれなきゃ雪美にキスマークつけたこと皆んなにバラす」
一見卑怯に聞こえる言葉も、彼女の内面を知っているからこそ可愛く思えた。
名前を呼んで欲しいあまり、ついそんな言い草をしてしまう。
名前を呼ぶくらいどうって事ないはずなのに、不思議と目を合わせられないまま彼女の名前を呼んでいた。
「凪」
以前、独り言のように呟いた時とは違う。
目の前には本人がいて、雪美の呼ぶ声に嬉しそうに顔を綻ばせてくれる。
「本当、凪はかわいいね」
先ほどと同じ言葉だというのに、下の名前で呼んでいるせいか恥ずかしさが増しているような気がした。
ただでさえピンク色に染まっていた彼女の頬が、さらに色濃くなっている。
「ゆ、雪美は私のこと可愛いって思う?」
「……今そう言ったじゃん」
「そっか……」
照れ臭そうに長い髪を手櫛している姿。
その髪に触れたいと、キスをしたい衝動に駆られていた。
「目立つから嫌だったけど…雪美が可愛いって言ってくれるなら、この顔で良かったって思うよ」
この感情を何と表せば良いのか、ここまでくれば認めざるを得ないのだろうか。
堪らなく愛おしくて、可愛くて。
花の香りに包まれながら、天使のように美しい彼女に夢中になっていた。
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